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まずまずの生活 20余年にわたる経済発展を経て、中国はまずまずの社会を全面的に建設し、社会主義現代化の推進を速める新たな発展段階に入っている。 蘭辛珍
今年38歳の朱さんは個人経営者であり、一家3人は普通の住宅ビルに住んでおり、住居面積は80余平方メートルで、都市部住民の1人当たり住宅面積よりずっと広い。娘は中学一年生で、朝食はミルク一杯にタマゴ2個とソーセージ1本である。「私が中学生の時、朝はトウモロコシの粉の粥をすすり、トウモロコシの粉で作ったパンを食べられたらとても喜んだ」と朱さんは感嘆した。 現在、朱さんのように幸せな毎日を送っている人が大勢いる。 上海市の郭宝生さんは以前は農民だったが、1982年上海にやってきて衣類の商売を始めた。商売の拡大につれて、個人経営のアパレル公司を設立した。今年中秋節期間に、彼は毎年のように妻と子供を連れて故郷に帰り、両親と団欒した。郭さんは両親に月餅と栄養強壮剤を1箱ずつ持っていった。生活の変化に触れて、郭さんは「現在は大きく変わった。以前は月餅を買う金がなかったので、メリケン粉や赤砂糖などを買って、家で作って間に合わせた。栄養強壮剤なんかはとても飲めなかった」と言った。
野菜市場の個人経営者たちもこれを深く体得している。数年前、脂身の肉がよく売れたが、現在、赤身がよく売れるようになった。高タンパク、低脂肪の食品は人々に好かれている。 「現在、北京市民は食品の栄養をより重視し、朝ご飯は何を食べるか、晩ご飯は何を食べるかはよく工夫している。例えば、私は朝ミルクにタマゴ2個と揚げパン2きれを食べ、昼食は公司が提供してくれ、晩ご飯は野菜と肉類がなければならず、食事の前に食欲をそそるために少し果物を食べ、食後は茶を飲んで消化を助けるようにしている」と程軍さんは言った。 また、住宅の面では、過去は3世代が一室に住む状況が多く、都市と農村を問わず老朽住宅、簡易住宅、危険な住宅があちこちいっぱいあったが、現在では住宅団地がつながり、高層の住宅ビルが建ち並んでいる。朱さんの住宅は5年前に買ったもので、新しい住宅ビルと比べてちょっと時代遅れのような感じがしている。 李勁松さんはこのところ新しい住宅を買うために忙しそうである。「現在の建て売り住宅の面積はますます大きくなっている。過去は80平方メートルぐらいの住宅は大きいと言えたが、現在は100、200平方メートルの住宅までも一般のものとなっている」と、北京秋季住宅展覧会を見物しにきた李さんは言った。李さんは北京市ある中学校の教師で、妻、息子、息子の嫁と一家4人が一緒に住んでいる。「住宅と言うと、快適さがとても重要です。環境や付属施設が必要で、緑地、商店、学校、病院、体を鍛えるところもなければならない」 北京市労働と社会保障部の李向平氏の説明では、現在、都市部住民の住宅は、面積が大きくなっただけでなく、住宅の質や住生活関連の機能も向上し、ガスまたは液化石油ガス、電話が一応普及し、家具や内装に使う支出が倍増した。 金陸成さんはカーマニアであり、このほど彼はどうしても手に入れたい車を買った。彼はこの車を買うために多くの自動車販売店を駆け回った。2002年2月から今まで、北京北方自動車販売店の販売量の内に、個人購入比率は93%に達している。 20年前の北京では、マイカーはあまりなかった。現在、すべての住宅ビルの前にマイカーがたくさんある。「われわれの住宅団地の空き地は200平方メートル足らずだが、マイカーが17台も駐車している。夜遅く帰ってくるなら、駐車するところもない」と金さんは語った。 「飽食暖衣」、「高層ビル」、「外出に車があり」、「帰ってくれば快適な家があり」は20年前に国民がまずまずの生活に対する憧れに過ぎなかったが、2000年には、中国のエンゲル係数ははじめて50%を下回り、2001年はさらに44%に下がった。住民の平均生活レベルがまずまずの段階に入っていることは統計で明らかになった。 劉偉氏は、この段階の人々の生活に質的な変化が生じた。自分の文化教養や製品の品質の向上をより重視するようになり、模倣品や偽物などを受け入れず、仕事に取り組むかたわら、観光やダンス、バー、水泳、インターネット接続などレジャーも楽しんでいる、と語った。 資料 人民生活レベルの変化一覧表
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