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平和の機会を求める ――朝鮮は核兵器問題の解決を約束していないが、問題解決のために門を大きく開いている。 中国国際問題研究所副研究員 時永明
冷戦時期は大国が対峙する最前線であった朝鮮半島では、冷戦後は和解、平和、安定の問題が解決されていない。国際社会にとって、朝鮮はあたかも神秘的なベールをかぶっているようで、その多くの挙動は外部の人が理解しにくいものであり、朝鮮の核兵器問題はなおさら事情がこんがらがってはっきりしないものである。西側の一部の人は朝鮮に悪巧みが多すぎると見ている。しかし、客観的に見るならば、朝鮮とその他の国との摩擦は、たいてい外部に強大な敵対勢力が存在し、ほとんど世の中と断絶した状態の下でも発生したものである。冷戦終結後、二極体制が消失し、一つの超大国が覇を唱える状況の下で、国際安全情勢の極めて大きな不確実性が朝鮮自体の安全感にもたらすプレッシャーは終始朝鮮の内外政策の方向に大きな影響を及ぼしている。朝鮮にとって、対外的にはどのように自国を主として国の安全環境をつくり出すかを考え、対内的にはソ連が解体し、中国が全面的な改革・開放を実施する環境の下で、今後の発展方向をどう選ぶかを考えなければならない。最も重要で緊迫した問題は朝鮮半島南部、アメリカとの戦争状態を終結させることであり、1950年代の停戦協定を平和協定に変えることである。これは朝鮮側の主な要求である。 しかし、冷戦の終結は軍事面における米ソの対峙を終わらせただけで、イデオロギー面の戦争を終わらせていないことを見てとるべきである。ソ連の解体がドミノ効果をもたらし、すべての社会主義国の政権が変わるという考えは、当時の西側諸国の思潮の中で主流の地位を占めていた。このような思潮が朝鮮半島問題の上に現れたのは、北部政権の崩壊を望むことである。当時、ドイツに習い、南が北を合併して統一を実現することが絶えず論議された。このような背景の下で、朝鮮南北の双方は信頼感を持ちにくく、朝米関係に変化を生じさせるのも難しい。朝鮮に確かに核兵器があると言うなら、外部環境の要素だけから考えて、朝鮮はほかでもなくその時核兵器を発展させる戦略を選んだ可能性がある。 しかし、核拡散の脅威を防止することは冷戦後の国際社会が共通の安全を探究する時に関心を持つ主な話題の一つである。朝鮮半島の北南双方もかつて1991年12月31日に板門店で「朝鮮半島非核保有化共同宣言」に調印した。しかし、ちょうどその時、アメリカは朝鮮に核兵器を発展させる兆しがあることを見つけたと公言した。そのため、国際社会のいろいろな要素の影響の下で、米朝双方は1994年に核問題に関する「枠組み取り決め」を結んだ。取り決めは朝鮮が旧式の重水炉を取り除き、軽水炉原子力発電所を建設するのを日米などの国が援助すると規定している。しかし、この取り決めは経済利益で交換するという策略的手段で朝鮮の核兵器開発を阻止する問題を解決しようとしているだけで、朝鮮が必要とする安全保障と朝米間の相互敵対という戦略的問題を解決しておらず、そのため、取り決めの実行可能性と信頼度が大幅に低下した。実際には、冷戦後、朝米関係は起伏して定まらず、トラブルがすこぶる多い。その根本的原因は朝鮮戦争後に残された敵対構造が解決されていないことにある。敵意と相互不信は終始双方の関係の進展を妨げているだけでなく、双方に防備措置をもたえず強化させている。いまでは、事実が立証しているように、朝鮮の核兵器問題がまたも人々の前に持ち出され、「枠組み取り決め」の規定によれば、2003年に竣工すべきである軽水炉原子力発電所の竣工期日も、報道によると、依然としてはっきりしないという。朝米双方はともに協定を守っていない。
朝鮮の核問題を解決するには、朝鮮、アメリカと国際社会が共同で努力する必要がある。 朝鮮が一体どうして核兵器を開発していることを認めたのかに対し、意見がまちまちである。しかし、もしそれを単に、自らの交渉の地位を高め、かけひきの手段を増やすためであると言えば、それは少し片寄っている。前のところで述べたように、朝鮮が核兵器の開発を始めたのは1990年代中期以前の特殊な時期である。朝米が「枠組み取り決め」を結んだ1994年に朝鮮にまた金日成が急逝という重大な事が発生した。そのため、間もなく行われる朝鮮半島の南北サミット会議がお流れになり、朝米関係も緊張していった。金正日氏は3年余りも喪に服したあと、1998年にようやく正式に職務を引き継いだ。2000年、朝鮮半島の情勢に喜ばしい局面が現れた。まず6月に朝鮮半島の南北双方がついに最初の首脳会談を実現した。10月12日、朝鮮指導者金正日の特使、朝鮮国防委員会第一副委員長、人民軍総政治局局長の趙明録次帥がアメリカを訪問した際、双方は共同声明を発表し、「過去の敵対状態から脱却した新しいタイプの関係」の樹立に努力すると発表した。続いて、オルブライト米国務長官はピョンヤンを訪問し、金正日氏はもしアメリカと合意に達するなら、朝鮮はミサイルの生産、輸出、実験を停止すると表明した。 しかし、ブッシュ政府が登場してから、アメリカは再び朝鮮に対し強硬な政策をとったため、朝鮮半島で始めたばかりの和解プロセスが停滞し、朝鮮半島が再び冷戦の雰囲気に覆われている。今年初め、アメリカは朝鮮を悪の枢軸の一つにして、米朝関係を谷底に落ちさせたが、朝鮮は相変わらず韓国と和解する努力を続けている。秋になると、朝鮮はまた目を見張らせる2つのことをした。一つは新義州に資本主義化の経済特別区を設置することを発表したことであり、もう一つは小泉首相を朝鮮訪問に招請したことである。 これら一連のことを結び付けて見ると、朝鮮が変わっており、少なくともある種の転換をはかっていると見てとることができる。そのため、朝鮮はアメリカに核兵器を擁していると認めたことを、単なる戦術行為と見るのも難しい。いま、朝鮮は核兵器問題を解決することを約束してはいないが、問題解決のために門を大きく開いている。その代価も大きくはなく、アメリカの平和と敵意放棄についての法的保証を求めているだけである。核兵器開発反対は国際社会の普遍的な共通の認識であるが、われわれはこのために一国の自国の安全権に対する要求を否定することができない。一国の指導者の真の考えをやたらに推測することはできないが、少なくとも事情の表面現象から、このことを朝鮮が平和の機会を求めていると見るべきである。次のカギとなる問題はアメリカがどのように対応するかである。 いま、問題がすでにテーブルの上に持ち出されているが、アメリカはこれについて朝鮮と交渉する願望がないように見える。アメリカは弱小の相手に対しては、従来からまず相手に武装を解除させ、それから交渉するという方法をとっている。このような方法は問題を解決することができないが、アメリカにコントロール権を握らせることがよくある。 国際社会は、核兵器開発が人類とそれ自体の安全に危害をもたらすことを朝鮮に知らせるだけでなく、敵意と怨恨が平和に与える危害が核兵器よりはるかに大きいことに注意するようアメリカを喚起しなければならない。そのため、敵意をなくすことで核兵器を取り除く交渉を行うのは試しにやってみる値打ちがあり、敵対の情緒と核兵器を同時に朝鮮半島に残してはならない。いまは、各当事者の平和への誠意を試す時である。対話と交渉を通して、戦争を友好に変え、危機を平和に変える目的を達する唯一の方途である。 |