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台湾問題に対する大陸の最低限の 中国社会科学院台湾研究所 劉 宏
1995年1月30日、江沢民主席は「祖国統一大事業の完成を促進するために引き続き奮闘しょう」という重要な講話を発表した。2002年1月24日、中国共産党中央は座談会を開き、この重要講話を改めて学習した。銭其茵副総理は座談会で特別講話を発表した。銭副総理の講話全文を総合して見ると、その精神は主に次の3点ある。 一、92共通認識は両岸が対話と交渉を再開する基礎である。1992年、大陸海峡両岸関係協会と台湾海峡交流基金会はそれぞれ口頭の方式で「海峡両岸はともに一つの中国の原則を堅持する」という共通認識を述べ表した。この共通認識はその後の大陸海峡両岸関係協会と台湾海峡交流基金会に高級会談を開かせることに成功し、両岸関係の良性の相互促進のために基礎を築いた。1995年、台湾当局指導者の李登輝は我意を張ってアメリカで分裂活動を行い、両岸関係を急速に悪化させた。1999年7月に李登輝が「二国論」を打ち出す前に、台湾当局は依然として「一つの中国」という枠組みを堅持し、「92共通認識」を否定することが一度もなかった。2000年に民進党が政権の座についてから「92共通認識」が存在するかどうかはようやく話題とされるようになった。 台湾当局の指導者がどのように一歩一歩「92共通認識」、「一つの中国」の原則から後退しているかを回顧してみよう。2000年に台湾地区指導者の選挙が終わった後、台湾当局指導者の陳水扁は一再ならず、自分は「台湾のニクソンになる」、両岸関係がきっと「雨がやんで空が晴れる」と公言した。2000年5月20日、陳水扁が就任演説の中で「独立を宣言しない、国号を改めない、二国論を憲法に書き入れることを推進しない、現状を変える統一と独立についての公民投票を推進しない、国家統一綱領と国家統一委員会を廃止する問題もない」ということを打ち出すとともに、人を通じて、自分は「トラブルメーカー」とならないという考えをアメリカに伝えた。6月になると、口調を変えて「92共通認識」は共通認識のない「共通認識」だ、「AGREE TO DISAGREE」だと言った。7月はさらに「92共通認識」を「92精神」に歪曲した。8月に中央アメリカを訪問した時は、またも「統一は唯一および最後の選択ではない」と鼓吹し、「国家統一委員会の主任委員」を引き継ぐようなことはないと言った。11月に発表されたいわゆる「三つの認知、四つの提案」は両岸が「互いに従属せず、互いに代表しない」ことを強調した。2001年の元旦に行った講話は、統一に似ているが、実際には独立をはかるあいまいな「統合論」を打ち出した。2001年5月にアメリカの国境を通過する時、アメリカシンクタンクと会談したが、その際、「新政府」は以前の「旧政府」の行ったシンガポール合意、「一つの中国」についてのそれぞれの説明(つまり国民党時期の「92共通認識」)を含むいかなる協議と約束を覆すようなことがないと表明した。しかし、アメリカを離れるとすぐそれを否定し、いわゆる「92共通認識」は「今までに定説がない」と称した。昨年11月から12月にかけて、陳水扁、張俊雄らは、両岸の「92共通認識」がまったくない、「本来無一物なのに、ほこりが立つのはなぜか」と何度も公言し、ひいては「92共通認識」を受け入れれば「一国二制度」を受け入れることであり、「台湾を消滅させる」ことだと中傷した。 二、両岸の直接「三通」(通商・通航・通信)はどうしてもやらなければならないことである。直接「三通」は古い問題であり、大陸と台湾は直接「三通」の実現を要求する声が日に日に高まり、昨年末に両岸が相前後してWTOに加盟してから、「三通」はいっそう緊迫する問題になった。島内の民意の呼びかけの下で、台湾当局はすでに金門、馬祖の二区で「小さい三通」を推進した。昨年長年に実行した「焦りを戒め我慢する」という政策を放棄し、その代わりに「積極的に開放し、効果的に管理し」、島内企業の対大陸投資の制限をゆるめ、大陸の製品と資金の台湾進出を制限づきで開放した。昨年11月は、大陸の人士の台湾観光を開放すると発表した。これらは両岸関係の発展に対し確かにある程度正面の意義を持っているが、依然として両岸の民間交流の客観的現実からかなり離れている。両岸のWTO加盟は両岸の経済貿易関係発展に新しいきっかけを提供し、両岸の経済関係をいっそう発展させるのは、客観的な趨勢であり、双方の利益があるところでもある。そのため、江沢民主席が1995年に主張した「政治の食い違いで両岸の経済貿易交流を妨害しない」ことは、いまはなおさら現実的な意義がある。島内には両岸の経済貿易問題、ひいては直接「三通」をWTOの枠組みに延長することを期待し、WTO交渉メカニズム、紛争解決メカニズムの使用開始を通じて両岸の平等のイメージをつくり、これによって台湾問題を「国際化」させようとする人がいる。このような主張は必要でもなければ、不可能なことでもある。WTOは経済貿易組織であるが、直接「三通」などを含む議題はこの範疇を超え、両岸の経済貿易問題は両岸の間で解決すべきであり、またそのようにすることがまったくできる。いわんや、WTOのメカニズムの使用開始を通じて、ある政治的目的に達しようとするならば、WTOの主旨にまったく背き、大陸も受け入れないだろう。
島内の各政治勢力の政治方向から見て、民進党、建国党、台湾団結同盟は「台湾独立」のイデオロギーを持つ三つの政党であり、そのうち民進党の勢力が最も大きい。この党は国民党の一党独裁時期の「党外運動」に起源し、もとは国民党の独裁支配に反対することを訴えていたが、1986年に党の結成後、徐々に「台湾独立」の道に滑り込んでいった。1988年の第2期第1回臨時代表大会は「四一七主権独立に関する決議文」を採択した。1991年10月の民進党第5期第1回代表大会は「主権独立自主の台湾共和国を樹立する基本綱領」を改正して採択した。改正案の採択は民進党が徹底的に「台湾独立」の政党に変わったことを示している。その後島内の選挙と島内外の環境の変化により、「基本綱領」はいくらか変わり、1998年11月に採択された「選挙綱領」は「台湾独立の公民投票」が「現状改変の公民投票」に改められた。1999年5月の第8期第2回党代表大会はまた「台湾前途に関する決議文」を採択した。「決議文」の本質は、「台湾独立の党の綱領」を頑くなに固持しているが、公然と「台湾独立」を推進する勇気がなく、転じて「現状の独立」を受け入れる方式で、「装いを変えて登場した」のである。 民進党出身の立候補者は2000年の台湾地区指導者の選挙の中で国民党に取って代わって当選し、また2001年末の「立法委員」の選挙を通じて「立法院」の最大の政党となったが、そのため、台湾人民の福祉をより多く考え、「台湾独立の党の綱領」を徹底的に放棄し、民進党の実務への転換を推進すべきである。昨年10月20日、民進党第9期第2回全体代表大会は「全党員代表大会を経て重大政策について行った決議文を『党の綱領の一部と見なす』」という提案を採択した。これは民進党内の温和派の一大勝利と見なされ、その採択は民進党が「統一、独立」という問題の上で調整を行うために弾力的空間を切り開いた。 たとえ台湾の「中華民国憲法」に従っても、民進党と台湾当局指導者は「一つの中国」の原則に対応する余地が十分ある。 江沢民主席は八つの主張の中で、「台湾の各党派が理性、前向き、建設的な態度で両岸関係の発展を推進するよう望み」、「台湾の各党派、各界の人士が、われわれと両岸関係と平和統一についての意見を交換することを歓迎し、彼らが大陸参観、訪問するのを歓迎する」と強調した。銭副総理も、「広範な民進党の成員はごく少数の頑固な『台湾独立』分子と違いがある。われわれは彼らが適切な身分で大陸を参観、訪問し、理解を深めることを歓迎する」と述べた。そのため、民進党と接触するかどうか、どのように接触するかについては、その鍵は民進党と民進党の成員がどのように「台湾独立の党の綱領」を処理するか、どのように「一つの中国」の原則に対応するかということにある。 銭副総理の談話が表明しているように、大陸はここ数年の島内外の情勢の変化を十分に理解し、両岸の政治的行き詰まった状態を打ち破る誠意がある。しかし、これは大陸が台湾問題に対する基本的立場を変えたことを意味せず、なおさら台湾当局が「一つの中国」、「92共通認識」を否定する主張を大陸が受け入れたと考えてはならない。「一つの中国」の原則は台湾問題に対する大陸の核心的な政策であり、「一つの中国」を基礎としてのみはじめて両岸関係の正常化を実現する可能性がある。
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