(その二)

中国医薬商業協会:自治に加えサービス

「われわれの協会は理事と正副会長いずれも民主的な選挙で選び、企業家で組織した協会であり、政府の色彩は帯びておらず、完全に民間団体としての性格を備えている」。3月26日にインタビューした中国医薬商業協会の朱長浩常務副会長は、この点を何度も強調した。

朱副会長が言うこうした変化が見られるようになったのは、1998年以降だ。1988年に設立されて以来、中国医薬商業協会は一貫して国家医薬局(後に国家薬品監督管理局に改名)傘下の企業、中国医薬公司の一つの分支機構だった。会長は中国医薬公司が直接指名し、その他の大部分の専門職も医薬公司が派遣していた。

朱副会長は「当時の協会は実質的には半官半民の機構で、仕事のやり方では、国家医薬局の身分で会員企業に対し上級機関の文書の転送、会議の通知といった管理的なサービスを行うようなものだった」と回顧する。

1998年に第4次政府機構改革が始まり、一部の政府機関が業界管理から撤退したため、協会の政府色は徐々に薄れていった。この年、国家医薬局は国家薬品監督管理局(現在は国家食品薬品監督管理局)に改名され、業界管理の権限はこれを機に大幅に減少した。この時、朱副会長は「中国医薬商業協会はこれを機に、絶えず民間自治の道を邁進していく」と強調した。

民間自治を実現した後、協会が最も強調するのが、民主的に管理する協会だ。このため、理事会と会長会、この二つの民主政策決定機構を設立。前者は重大問題について最終決定を下し、後者は重大事項の検討に責任を担っている。

また正副会長と理事については、前期理事会が指名し、最後に会員選挙で選出するが、法定代表人数(会員の3分の2以上)の50%を超える得票が必要となる。指名された正副会長と理事は、業界で信望のある企業家であることが条件だ。

朱長浩氏は豊かな企業経営と業界管理の経験をもち、国薬集団薬業股?有限公司の副社長を務める。1998年以降、中国医薬商業協会を主要な仕事にしており、協会の民間自治に向けた発展を絶えず推し進めてきた。

「今では、業界内で何か重要な問題が起きれば、政府であれ、また業界の企業であれ、われわれ協会を思い浮かべるまでになった」。軌道転換後の協会の地位と役割が次第に向上し、また社会各界に認められつつあることに、朱副会長は胸を熱くした。

だが、すでに得たこの成果は受動的なものだ、と朱副会長は考える。業界協会が真に社会各界から認められる上で鍵となるのは、政府や企業に対し有効的にサービスを提供できるか否かにある。協会を政府が設立していた体制の下では、国の財政に依存し、有効的にサービスを提供できるか否かに対しては大きな圧力はなかった。協会が民間自治の道を歩み始めたことは、財政的に“乳離れ”したことを意味する。朱副会長は「会員企業に有効的にサービスできなければ、協会に加入する企業はなくなるだろう。そうなれば、協会は資金源を失うことになり、専門職の給料も支払えなくなる。協会も自然、倒産するだろう。今の協会はまさに、企業が考えることを考え、企業が憂えることを憂えるまでになった」と強調する。

地方保護主義に反対:長年にわたり、地方の利益を保護する必要から、各地方政府は医薬企業に対し審査・認可・登記制を実施してきた。登記条件や審査・認可手順は地方によって異なるため、企業の地区を越えた経営は非常に難しく、規模拡大はできなかった。例を挙げれば、上海に登記した企業が北京に支店を設置する場合、北京の商工業関連機関にも登記申請をしなければならない。こうした不合理な規定に以前、医薬企業は単独で国の関連機関に申し入れたことがあるが、劣勢で力は足りず、大きな効果は見られなかった。

企業のこうした苦衷を察して、協会は2002年から一部の企業と連合で国の関連機関に何度も陳情に出かけ、医薬企業の経営許可証が全国で通用するよう求めてきた。こうした集団での呼び掛けや意見に、国はもちろん怠慢ではいられず、全面的に詳細な調査を実施した後、基本的にこの意見に賛同するとともに、地方の保護主義をあくまで排除していく姿勢を示した。

産業情報:会員企業が全面的、適時に内外市場の動向を理解できるようにと、協会は2000年に内部刊行物『中国医薬市場情報』を創刊した。10日に1冊発行し、会員企業と政府関連機関に配布。2001年からは6月と12月に定期的に情報交流会を開催するようになり、その情報をまとめて会員企業に提供している。

業界基準:政府は200年から、医薬企業に対し全面品質管理(GSP)基準を適用するとともに、すべての企業は2004年までに査定を受けなければならず、受けなければ排除される、との規定を設けた。GSPは中国で初めて実施されるため、多くの企業はいかに対応したらいいか分からず、強い焦燥に駆られた。

こうした状況が協会に伝えられたことから、協会は一部専門家を組織してGSP査定指導手引書を作成するとともに、研修班を設置。これにより多くの企業にとって焦眉の急は解消された。北京医薬股?有限公司の李世英チーフエコノミストは「もし協会が乗り出さなかったならば、企業個人の力だけでは解消されなかっただろう」と指摘する。

電子商取引:2年前に中国で電子商取引が立ち上がったころ、国の関連機関は経験を模索するため、数社で試験的に実施し、その他の企業は許可しないとの規定を設けたが、多くの企業が「これは不公平な競争であり、利益保護主義的傾向がある」と考えたことから、協会は企業を代表して、関連機関との交渉に当たった。この差別的な規定はすでに完全に廃止されている。

1.会員企業の増加と構成の状況

年度
会員企業数
国有企業の比率
非国有企業の比率
1989−1995年
200
100%
1996−1997年
300
99%
1%
1998−現在
350
90%
10%

2.2001年の会員企業の生産高状況(単位:人民元)

会員企業350社のうち、売上高が50億以上は2社、20億以上10社、10億以上22社、1億以上は約250社。会員企業の総売上高が全業界に占める割合は45%。