北京お寺巡り 中国ではお寺のことを「寺院(スーユエン)」と呼び、仏教の寺院だけではなく、道教、イスラム教、はてはキリスト教まで、様々な宗教の修道院全般の総称となる場合がある。しかしその数や歴史などからみると、やはり仏教寺院が主となる。北京にもかつては多くのお寺が存在した。時代の移り変わりの中でその事情は変化しているが、お寺を巡ることはまた北京の歴史・文化を巡ることである。
市内中心部から西に35km、門頭溝区馬鞍山麓に位置する。唐代に創建され、既に1400年の歴史を持つ。遼代に法均和尚が大戒壇を造ったことから、戒壇寺とも呼ばれる。現存する戒壇は3.5mの高さを誇り全国最大のもので、白い大理石で造られており、精巧な彫刻が施されている。また、臥龍松、自在松、九龍松、抱塔松、活動松の「戒台五松」も有名。美しい奇松を観賞しよう。毎年4月半ば〜5月初めにかけて廟会が開かれる。 唐代622年に創設され、元は「聚慧寺」と名付けられていた。遼代に大戒壇が造られてから、戒台寺または戒壇寺と呼ばれるようになった。現在まで何度かの修築、拡大を経ており、現存する建築物の多くは清代のもの。しかし、基本的な建築様式は遼代のものである。特に遼代の戒壇は「天下第一壇」とされ、保存状態もよく、歴史的価値が高い。 紅螺寺は北京郊外懐柔県懐柔区内、紅螺山の南山麓にある。市内中心部からは北へ約50km(公共バスで2時間弱)といった距離なので日帰りで楽しめるスポット。車があるならば、慕田峪長城が近くにあるので寄ってみるのも良いだろう。面積6kuという大規模な境内には、山林、渓谷、五百羅漢、遊園地など見所がたくさん。また山頂には観音寺(同じ入場券でOK)があるので足を伸ばしてみて欲しい。秋は紅葉が素晴らしい。 古くから中国仏教の聖地とされてきた紅螺山に、お寺が創建されたのは東晋時代348年。その後、唐代に高僧ケ隠峰によって、山林の整備と建物の拡大がなされ現在の規模となった。明代になると自然の美しいことから貴族達に重用され、数回の修復が行われて今に至っている。1923年に中国三大僧侶に選ばれた普泉僧侶がいたことでも有名。 元代末期の1366年、有名な宰相、耶律楚材の子孫の住居、碧雲庵として創建された。その後、清代乾隆帝の時代1748年に500羅漢像が安置される羅漢堂と北京中心部を望むインド建築様式を取り入れた金剛宝座塔が増築された。孫文の死後、安置されたことを記念した孫中山記念堂には当時をしのぶ物が数多く展示されている。 石景山区の翠微山南麓に位置し、明代に創建された。静かで美しい最高の環境の中にある。この寺の名を世間に知らしめているのは、非常に貴重な明代の大壁画の存在である。苑福清、王怒など15人の宮廷の画士官により、明代1443年に完成された。全部で260uもの壁画は、主に宗教を題材とし、仏教世界が鮮明に表現されている。1本1本の線さえも入念に描かれており、その芸の細かさ、精巧さに息を呑まずにはいられない。 明代、英宗の寵臣であった禦用監太監、李童が1439年に創建した。法海寺の名は、「仏法は広大で、測ることが難しい。まるで海のようである。」という文句からきている。寺内の壁画は15世紀中期のものであるが、敦煌や永楽宮の壁画と同じくらい価値があり、その芸術性は、ヨーロッパ・ルネッサンスと比べても遜色がないと言われている。 晋代(3世紀)に創建され、元は「嘉福寺」と名付けられていた。清代に「岫雲寺」と改名されたが、敷地内に、龍が住んでいたとされる「龍潭」と、「柘の木」(ヤマグワ)が多かったことから、俗に潭柘寺と呼ばれるようになった。(柘の木は過去に全て枯れてしまい、近年、門を入ってすぐの左側に数本植えられた。)現存の建築物は明清代のもの。 兜率寺という名前で創建されたのが唐の時代。その後、元代の1321年には約2000人の人員と1年以上の歳月をかけて涅槃仏が鋳造された。その後、400年余りの歳月を経た1734年、清代の雍正帝の時代に普覚寺と改名したが、一般的には元代に鋳造された涅槃物が本尊であることから臥仏寺と呼ばれるようになった。 唐代645年に創設され、既に1400年近くの歴史がある。元は「憫忠寺」と名付けられていた。明清代に何度も修築され、現在の名となった。この寺からは歴代たくさんの名僧を輩出し、仏教に関する重要な文物も多い。1965年、寺内に中国仏学院が設立され、80年、中国仏教図書文物館も建立され、中国仏教研究の中心となっている。 盛んな仏教活動仏教の行事日には、多くの信者が集まる。写真は盂蘭盆会(旧暦7/15)を迎える際。 雍和宮は清代康熙33年(1694年)ラマ教寺院として創建された。元々雍正帝の皇太子時代の邸宅だった。雍正帝は即位までの30年余を雍和宮で過し、崩御後も皇帝陵に移されるまでの一時期をここに安置される。雍正帝の次代、乾隆帝がここをラマ教の寺院とし今に至っている。現在でも多くのラマ僧が修行を積んでいる場所である。 明代の司礼太監、王振が1443年に創建した。当時、王振は英宗の寵臣として、権力と財をほしいがままにし、その力で、かくも雄大で壮麗なお寺を建設した。元のお寺は非常に大きく、数百の部屋があった。王振は僧侶たちに「京音楽」を移入したのだが、それが、他の音楽の影響も受けず、また外部にも漏れず、そのまま今に伝わっている。 秦漢時代に端を発し、1800年以上の歴史がある中国特有の宗教である道教は、老荘思想を基に発展した。古代の名士、老子を「太上老君」としてその教えである「道徳経(老子五千文)」を主な理念としている。白雲観は唐の玄宗の時代に建立され、当時は天長観と命名されるが、明代初期から白雲観と名を変えて現在に至っている。 ここ、牛街礼拝寺は北京市内でも最も有名なイスラム教のモスク。その歴史は意外にも古く、遼代の996年にアラブからきた学者ナスルタンにより創建された。明代の1474年には、時の皇帝より「礼拝寺」の名前をもらっている。1979年には全面改修により、歴史を感じながらも人々の信仰の地として古い面影を今に伝えている。 清代、雍正11年(1733年)に創建。元の名は覚生寺。干ばつの年に皇帝自ら雨乞いの祈祷を行ったところであった。ここには明代永年年間に鋳造された巨大な鐘「永楽大鐘」が祭られていたことから民間の俗称で「大鐘寺」と称されていた。1985年、正式に「大鐘寺古鐘博物館」と認定され、観光、文化保護研究のための場所となった。 金代、劉望雲によって創建されたお寺。その時代、ここは「西劉村」という地名であったため、「西劉村寺」とも呼ばれていた。既に800年以上の長い歴史を持つ。その後、何度も修築されながら、古建築を今に残している。 1953年、中国仏教協会がここで成立された。寺内には、大量の貴重な文物や各国仏教界からの贈答品が珍蔵されている。
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