米国の2つの物差し

王嵎生

(前APEC高官)

米国は元々、イラクを軍事占領すれば、その他の問題はスムーズに解決できると考えていた。だが意に反して統治はなかなか進まず、受動的な局面に陥ってしまった。ブッシュ大統領の支持率は9・11テロ事件の時の89%から一気に50%前後まで落ち込み、外交政策に賛同する世論も44%に過ぎない。足元を安定させて再選を目指すため、ブッシュ大統領はかなり切迫した状況の中、米民主基金の場を選んで演説を行い、世界の民主化事業を積極的に推進するのが米国の「歴史的使命」だ、とする切り札を持ち出した。ブッシュ大統領は、対イラク戦争は米国にとって「新たな世界の民主化プロセスを推進するスタート」であり、「民主を育むために講じなければならないステップ」でもあり、恐らく冷静時代に旧ソ連に対処したように、数十年の時間が必要であり、そのために「甘んじて犠牲を払う」と強調した。

ブッシュ大統領が持ち出した切り札は、国際社会に幅広い議論と疑問を呼び起こした。米メリーランド州立大学の中東問題専門家のシプレイ・テルハミ氏は「ブッシュ氏はアラブ世界の女性の政治的権利を強調しているが、未だに投票権を持たないクウェートを称賛する一方で、早くに投票権を手にしたイランやシリアに対してはこれまで以上に批判を加えている。何故なら、後者は米国の中東政策、特にパレスチナとイスラエル紛争を巡る米国の立場に反対しているからだ。これは何を物語るか。重要なのは『誰がより民主的かではなく』、『誰が米国の友人で、誰が米国の敵であるか』を物語っている」と指摘する。

アラブのある外交官の言葉はさらに面白い。「貴方が彼(ブッシュ氏)を称賛すればするほど、貴方はそれだけ民主的になる」。

実際、米国の「敵は本能寺(本心は他にある)」や二重基準といった政策的行為は到るところで見られ、歴史的にも早くから存在していた。ある年の記者会見で、「米国がラテンアメリカのある国の大量殺人者である独裁者に反対しないばかりか、支持するのは何故か」と問われた当時のフランクリン・ルーズベルト大統領は、単刀直入にこう答えた。「その独裁者は非人道的な人間かも知れないが、彼は我々(米国)が育てたからだ」と。昨年4月、ベネズエラでクーデター未遂事件が起きた。アメリカ国家機構はワシントンで緊急会議を招集し、全ての加盟国は『アメリカ国家憲章』に基づき厳しく批判するよう主張したが、米国だけが反対した。米国の一部の主要メディアはこれに関して深く真相を解明し、批判を展開した。『ニューヨークタイムズ』は「“クーデター”とはどんな場合に“クーデター”と呼ばれないのか。仮に米国が“クーデター”でないと考えるなら、それは“クーデター”はなく、それは“政府の更迭”であろう。米国はラテンアメリでは一貫して、米国に友好的な顔をホワイトハウスに見せるよう仕向けてきた。この顔が軍服を着ていようといまいと、彼らが米国に忠実でありさえすれば、それでいいのだ」と報じている。

確かに、米国の一部の者にとっては、“民主”は大きな旗に過ぎず、その色は米国の利益や政策によって変化してもいいのだろう。君主は自らの手が2つの物差しを握っていることが眼に入らないのだ。