音楽を感じ、中国を理解する

 田鶏 (太和田 基)

 早いもので北京にきて2年が過ぎた。最初に中国に来たのは母が生まれた青島、それでこの国に一目惚れして留学は大連。その他、旅行などを含めると延べ3年くらいかな?

仕事柄、日本へは中国の音楽を紹介し、中国へは日本の音楽を紹介するラジオ番組を担当している。そう、ちょうど両国の音楽界を真ん中に立って感じる事の出来る面白い仕事。

 日本で中国の音楽に初めて触れたのは、1998年、福岡市が毎年9月に開催している『アジア・マンス』に参加した「黒豹」のライブ。はっきり言って予想外だった。当時から中国音楽を紹介するラジオ番組を作っていたから名前は知っていたが、まさかライブでこんな素晴らしいパフォーマンスを見せてくれるとは…、そして何よりも会場に来ていた中国人達の盛り上がりに感動した。私が本当の意味で中国に目を向けたのはこの時からだったかもしれない。

 福岡市は古くからアジアと交流がある街として、行政レベルでアジアに目を向けている。中国を始めとするアジア各国からの留学生も多く生活している。しかし、市民レベルでは、東京、そしてそれを通した西洋文化に傾倒している事は否めない。私自身大学生の頃まではアジアの事をまったく知らなかった。興味すらなかった。中国の音楽と出会い、そして中国を訪れて、初めて色々なことを知った。中国に来て自分が日本人だと言う事を改めて感じさせられ、日本の義務教育では教えてくれなかった歴史について、日本人として知らなくてはいけないと思うようになった。

 最近は中国のミュージシャンたちも、よく日本へ行くようになってきた。今年は、「痩人」が2年連続で日本の富士ロックという日本最大の野外ロックフェスティバルに参加し、「挂在盒子上」が日本横断ツアーをした。彼らは日本から帰ってきて格段に成長した。北京では、毎週末ライブハウスに行くと何かしらのバンドがライブをやっている。それを見るのが好き。以前あるばんどがライブの時に「もしまた日本と中国が喧嘩をしたら俺達みんなでモンゴルの草原に行って平和を楽しもう」とMCしていたと聞かされ感動した。日本でそんな事が言えるミュージシャンっているだろう?音楽は(特にロックは)昔から政治の影響を受け、それに反映されて成長してきた。今の日本にはそんなミュージシャンは少なくなって来たように感じる。中国にはまだ商業的ではない音楽が残っている。そして長い歴史に培われた文化に誇りを持ち、それを継承しているバンドが多くある。

 一方今年は日本のバンドやミュージシャンも相次いで北京を訪れ、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれた。日本のテレビで中国語講座に出演していたファンキー末吉氏はちょくちょく北京の随所に現れているし、今年3月,中国国際ラジオ局でライブした「伊勢谷良介」は来年にも中国でアルバムを出そうと言う動きを見せている。音楽は国境を越える。幸い彼らは多くの中国人に受け入れられているし、日本のドラマやファッションは少なからず中国の若者の中に浸透してきている。ここ中国でも本屋に行くと日本語の辞書は片隅に追いやられ、やはり英語の辞書が幅を利かせている中で、お隣の国の文化に目を向け、興味を持ってくれることは、いち日本人として心からありがたい事だと思う。これは西洋にばかり目を向けている日本人にも大いに学んで頂きたい点だ。

 今年中国は、2008年北京オリンピック開催決定、ワールドカップ出場、WTO正式加盟と、来年から始まる未来に向けて大きなスタートを切った年だった。713日、オリンピックが決まったその日、私は人の波に流されるかのように天安門広場へと向かった。そしてそこで人間の人間としての熱さと喜びを肌で感じ、その場で、2008年まではこの国に居る事を決めた。

 来年は中日国交回復30周年の年。今後益々、両国間の文化交流が盛んになるのは間違い無いであろうが、文化面での表面的な交流だけでなく、一般レベルでの相互理解が進んでいくことを切に願う。相互理解は親から、学校の教育から…。そうも思うのだが、僕は、ただ単に音楽が好き。そして中国が肌に合う。ただそれだけの事。

 そんな事を考えていてふっと思った。そう、今日はジョンレノンの命日だ!!!

 

2001128