日本経済はどうなったのか

 ここ数年来の世界経済の動きについてのさまざまな予測の中で、日本経済はどうもはっきりせず、不確実な役を演じているような気がする。日本経済はいったいどうなったのか。人の専門家はこれについて異なる角度から分析した。  ――編集者

 

好転しないのはなぜか

新華社国際情勢研究室副主任・高級記者 楽紹延

 昨年来、日本経済は不利な国際大環境の中でいちだんと悪化し、2001年の第2・四半期、第3・四半期は連続してマイナス成長となった。日本政府は、2001会計年度の経済成長率がマイナス1%で、2002会計年度がゼロ成長になると予測しているが、経済界の関係筋は、実状は政府の予想より厳しく、戦後最も深刻な経済衰退が現われかねないと見ている。

 1991年に「バブル経済」が崩壊して以来、日本経済は十余年の調整を経たにもかかわらず、いまだに根本的好転が現われていない。日本経済が好転しないのはなぜか。その原因はたくさんあるが、主として次のいくつかある。

 経済構造調整が緩慢で、ハイテク産業の発展と産業の転換が比較的遅れている。日本の一部の経済管理部門と企業の責任者の観念が旧く、革新意識に欠け、世界各国が情報、通信などの新経済を大いに発展させている時、日本は依然として製造業の優位を維持することを強調し、その上多額の資金を調達して「製造大学」を創設している。そのため、日本は情報、通信技術を主導とするハイテク産業の面でアメリカよりはるかに遅れ、その総合競争力は1990年の世界第3位から2000年は第17位にまで落ち込んだ。

 経済体制が硬直化し、市場参入の規制が厳しすぎ、経済活動と競争が制限されている。20世紀末になっても、日本の通信、金融、電力などの重要な業種にはまださまざまな制限があった。例えば、長距離電話に従事する会社は市内電話の経営を許されず、国際電話会社は国内業務を扱ってはならないとか、銀行は証券と保険業務に従事してはならず、保険業の中の財産保険会社と生命保険会社は規定以外の保険の経営を許されず、自社の業務範囲を厳しく制限しなければならないとか、企業は特定の条件を除いて、自社の株式を買ってはならないとかがそれである。ここ数年に、日本は上述の制限をほとんど廃止したが、これらの制限によって経済発展にもたらされたマイナス影響をなくすには一定の過程が必要である。

 経済財政政策が失策だった。バブル経済崩壊後、日本経済は数年の調整を経て、1995年と96年にそれぞれ3%と4.4%成長した。日本経済がその安定成長を促すため一歩進んだ措置をとる必要があった時、日本政府は誤って情勢を判断し、財政を建て直すため、19974月から消費税を引き上げ、2項目の企業特別減税措置を廃止することを決定した。また同年に養老保険金と医療保険料及び医療費の自己負担率をそれぞれ引き上げた。これらの政策は実施してから、個人消費と企業の設備投資を大いに抑えて、経済の大幅な後退を招いたばかりでなく、それ以後の経済発展に重大なマイナス影響をももたらした。

 終身雇用制は企業の活力を抑え、政府の財政負担をも増やした。日本の一部の企業は終身雇用制を廃止したが、この制度はまだ非常に根強いものである。調査によると、20003月現在、日本では75%の企業がまだ終身雇用制を採用している。多くの企業は人員過剰ではあるが、たやすく従業員を解雇するようなことをせず、倒産するまで解雇しない企業も一部ある。日本政府は一部の失業率の高い地区で特殊な政策を取っている。例えば、企業が余剰人員を解雇しないならば、政府は従業員の給料の60%に相当する補助金を提供するなどがそれである。この政策は従業員の生活を保障し、社会を安定させるメリットもあるが、遅れたものを保護し、優勝劣敗という市場経済法則に背く欠点もある。

 バブル経済の後遺症。日本経済は十数年の調整を経てきたが、株価と不動産の暴落を特徴とするバブル経済のマイナス影響は依然として深刻で、金融業の不良債権は極めて大きく、負担が重い。株価と不動産が十余年連続して下落し、企業の破産が増えたなどの原因で、新たな不良債権がたえず生まれた。20019月末現在、日本銀行業の不良債権残高は367560億円で、同年3月より31260億円増えた。日本の不良債権は累計150兆円にのぼっている。

 超低利率のマイナス作用。20世紀90年代中期に入ってから、日本は経済を刺激するため、ずっと非常に緩い金融政策を実施してきた。20019月、日本の中央銀行が公定歩合を0.1%に引き下げたため、銀行の預金利率はほとんどゼロとなった。超低利率は預金者の利子収入を減らし、その購買力を弱めた。20009月末現在、日本では定期預金だけでも600兆円もあり、利率を1%引き下げたら、その利子収入は6兆円減る。この額はGDP1%強に相当する。これらの預金はほとんど60歳以上の年配者が所有しており、ゼロ利率政策により、彼らの購買力は大幅に低下し、消費が萎縮した。

 国際経済環境の変化。国際経済環境の変化も日本経済に重大な影響を及ぼしている。1997年のアジア金融危機は日本金融業の激動を引き起こし、北海道拓殖銀行、山一証券など多くの大型金融機構の倒産を招いた。金融危機は日本経済の衰退を激化させた。2000年下半期に始まったアメリカ経済の成長減速、アジア経済の回復の勢いの鈍化も日本経済にマイナス影響を及ぼし、輸出を激減させた。2001年、日本の貿易黒字は前年と比べて、85210万円にまで322%も大幅に減少した。同年の国際収支経常項目黒字も前年に比べ12%減少した。

 

相変わらずアジア経済の主役

中国国際問題研究所研究員 孫 承

 前世紀末の東アジア金融危機以来、東アジア経済に現われた明らかな変化は、中国経済が持続的に安定して発展しているが、日本経済が4年連続してマイナス成長であったことであり、両者は鮮明なコントラストをなしている。最近の情勢から見れば、中国経済はこの発展の勢いを持続するが、日本は依然として経済の苦境から脱出するのが難しい。中国はWTOに加盟した後、世界経済への参入を速め、巨大な発展の潜在力と市場の潜在力でますます多くの国際資本を引きつけ、「世界工場」になりつつあると世論から言われているが、日本経済は国内消費不振、国際経済とりわけアメリカ経済の成長緩慢などのため、景気の回復が困難であり、そのうえ構造改革もいろいろな困難にぶつかっているので、人々は日本の将来に憂慮を示さざるを得なくなる。

 上述の経済情勢にかんがみ、中日両国がアジア経済に果たす役割に対する見方も異なっている。ある見方では、日本経済は停滞し、東アジア経済を牽引する役割が小さくなったが、金融危機後の東アジア経済の回復の程度がまちまちで、特に中国経済が急速な発展をとげたため、前世紀80年代後期に東アジアに現われた、日本をはじめとする「雁行成長モデル」が存在しなくなり、これと同時に中国経済は日本に取って代わって、東アジア経済の「機関車」となっている。

 日本は経済大国であり、中国は急速に発展している大国であり、中日両国の経済はいずれも東アジア経済の繁栄のために積極的な貢献を果たした。中日経済の善し悪しも必然的に東アジア経済における両国の役割に影響を及ぼす。しかし、現段階の中日両国の経済情勢だけに基づいて、日本経済、ひいてはアジアにおける日本の経済的役割を否定したり、東アジア経済における中国の役割が日本を上回ったと考えるのは、少し偏っており、東アジア経済の現実にも合わないようである。われわれが知っているように、経済成長率は経済状態を反映する重要な指標ではあるが、唯一の指標ではなく、この指標に基づいて一国の国際経済における役割を評価するのはなおさらできない。事実上、その他の多くの重要な指標は、日本は依然としてアメリカに次ぐ世界第2位の経済体で、依然としてアジア経済の主役であることを示している。

 まず、日本の経済規模を見てみよう。1998年以来、日本の名目GDPはずっとマイナス成長であったが、実質GDP1998年を除いて、依然として小幅の成長を維持し、1999年度は1.4%2000年度は1%で(『東洋経済統計月報』20021月号により)、西側先進諸国の中でも最低とは言えない。しかも日本経済の基数が大きく、2000年の日本のGNPはおよそ47500億ドルで、アメリカに次いで第2位を占め、中国の4倍以上に相当する。そのため、日本経済が低速成長しているとはいえ、その経済規模は依然として相当なものである。日本の関連部門の予測では、日本経済は3%の潜在成長率を持ち、3年ないし5年の構造改革を経てこの成長に対する予想が現実となるだろうという。現在、日本の一人あたりGDPは中国の40倍、外貨準備高は中国の2倍で4000億ドルを上回り、海外純資産は11500億ドル、対外貿易総額は中国の2倍近くの8600億ドルにそれぞれ達している。

 次に、アジア経済における日本の役割を見てみよう。日本はこれまでずっとアジアの主要な資金、技術提供国であり、この地位はいまだに変わっていない。2000年、日本政府は対外開発援助の63%をアジアに投下した。日本の対東南アジアの直接投資はアメリカを上回り、東南アジアの主要な外資源である。ここ数年来、日本企業は合理化改革を速め、生産コストを引き下げ、海外市場を開拓するため、海外への生産移転をいちだんと速めている。東アジア地域は安価な労働力と巨大な市場潜在力で、依然として日本の企業から重視されている。2000年の日本の対東アジア直接投資はその対外直接投資の19%を占めたが、製造業の現地法人の売上高は北米地域と大体同じであった。中国は日本企業が優先的に選んだ海外生産の拠点の一つである。日本の海外への生産移転は、東アジア諸国の経済と社会の発展に新たなチャンスを提供し、東アジア諸国の企業の技術と経営水準の向上を促した。貿易の面では、日本は同様に東アジア諸国の主要な貿易パートナーである。日本は長期以来中国最大の貿易パートナーであり、2000年度の中日貿易額は857億ドルであったが、2001年度は1000億ドルを突破する見込みである。2000年の日本とASEAN十カ国の貿易額は1290億ドルに達したが、この額は中国とASEAN 十カ国の貿易額の4倍近くに相当するものである。

 もちろん、中国の経済運行状況がいまのところ良好で、経済発展に伴い、地域経済により積極的に参与し、国際的責務をより多く担い、アジア経済の中でますます重要な役割を果たしているが、地域の繁栄と安定を促進することも中国の根本的利益に合致するものである。しかし、中国は畢竟発展途上国で、自身の経済発展という極めて困難な任務に直面しているため、アジアに対する貢献は限られたものである。日本経済は転換の瀬戸際に立たされており、小泉首相の最近のASEAN諸国訪問は、新たな経済外交の展開が日本にとっていまの苦境から抜け出す重要な選択であり、日本がアジア経済の中で依然としてないがしろにできない主要な役を演じることを表明している。

 

全世界の視野から日本経済を見る

中国現代国際関係研究所副研究員 劉軍紅

 バブル経済崩壊後十数年このかた、日本経済は景気後退と構造改革の中で苦しみながらもがいている。政府の経済政策もほとんど景気刺激と改革推進の間をさ迷い、悪循環に陥っている。前世紀90年代、アメリカ経済は「ゴールデンエージ」を迎え、世界経済の成長を牽引する核心的原動力の役を演じたが、世界経済における日本経済の役割はないがしろにされた。しかし、2000年中期に入ってから、ITバブルが破滅し、シリコンバレーの発展が低迷期に入り、アメリカ経済が急激に減速し、特に「9.11」テロ事件とその後の反テロ戦争がアメリカ経済の回復をかなり遅らせたため、世界経済は原動力を失ってしまった。2002年に入ってから、ヨーロッパ経済もスローダウンし、世界経済は全面的な衰退の瀬戸際に立たされた。こうした状況の下で、世界二番目の経済強国としての日本の経済の役割は再び世界から重視されるようになった。しかし、カギは日本経済がアメリカ経済の回復に頼らずに早めに回復できるかどうか、しかもアメリカ経済の回復に積極的な援助を提供し、世界経済の成長の重任を果たすことができるかどうかにある。

 アメリカの「新経済」は二つの重要な支柱があり、一つはインターネット技術を代表とする新興技術とその産業の空前の発展であり、もう一つはニューヨーク資本市場を中心とし、ドルで表現される世界資金循環圏の拡張である。新興技術はアメリカがたえず新興産業を発展させ、経済を繁栄させることに重要な原動力を提供したばかりでなく、アメリカ市場を世界で最も吸引力のある投資のホット・スポットに作り上げた。そのほか、ニューヨーク資本市場の自由で弾力的なメカニズムと大きな市場規模は、全世界の資金がアメリカの資本市場に流れ込んでアメリカの資金になり、アメリカの資本市場を通じて世界で最も競争力のある地域と分野に投資するために滞りなく通じるルートを提供し、アメリカが最低のコストで経済を発展させるために十分な資金の基礎を築いた。この二つの支柱の結合は、ドルの覇権としての地位を支えているばかりでなく、資本収支の黒字で経常収支の赤字を埋め、アメリカ経済のバランスのとれた発展を確保している。2000年のアメリカの貿易収支赤字は約4361億ドルであったが、ドルの強い地位は依然として維持されている。カギは世界の巨額の資金、特に日本の資金のアメリカへの流入が重要な役割を果たしたことにある。

 問題は、2000年中期以後、ITバブルが破滅し、全世界の資金を引きつける原動力が低下し、ナスダック総合指数が約70%下がり、ダウジョーンズ指数も絶えず下落し、激動したということである。アメリカの債券市場が巨額の資金を引きつけてドルの地位を維持しているにもかかわらず、「9.11」事件以後、アメリカ資本市場の不確実要素が増え、その上アメリカの景気の見通しがなかなかはっきりしないため、資金流失の危機が潜伏している。アメリカの資本市場が全世界の資金を引きつける吸引力を失い、資金が流入しなければ、アメリカの巨額の経常収支赤字は埋められなくなり、ドルの地位はかならず全面的に下がるだろう。

 現在、日本国内は約14兆円の個人金融資産と年間1000億ドル近い経常収支黒字を保有しているが、いかにしてこの資金をアメリカへの現実的投資に転化させるかは、アメリカの資本市場がアメリカの対外経済のアンバランスを引き続き調整できるかどうかにかかわり、これにもましてドルの地位にかかわっている。

 同時に、日本の市場はアメリカ経済にとって言えば、投資であろうと、輸出であろうと、質の高い市場である。特に日本の巨額の不良債権はアメリカの投資銀行とヘッジファンドなどの金融機構にとって巨大な利益を得る条件を持っている。80年代末期と90年代初期、アメリカの投資銀行などの金融機構はアメリカ銀行の不良債権を処理する重任を引き受けて、経験を積み、大きな利益も獲得した。当面の日本の不良債権がどのように処理されるかは、アメリカの金融機構が利益を得るチャンスに恵まれるかどうかにかかわっている。そのため、日本が構造を改革し、早期に不良債権を解決し、アメリカにチャンスを与えるよう促すことは、アメリカから注目される要点となった。それと同時に、日本経済の回復は、かならずや国内市場の空間を開放し、アメリカの対日輸出を増やし、アメリカ経済を早く回復させるだろう。

 当面、アメリカは全世界でテロに反対しているが、効果ははなはだ小さく、世界経済の成長に十分な安定の要素をもたらしていない。アフガニスタン連立政府が登場した後、アメリカの株式市場がテロ事件以前のレベルに回復したにもかかわらず、市場は急激に冷却してしまった。これは市場が当面の国際政治経済秩序に対しまだ十分な自信を確立していないことを示している。特にブッシュ政権の人事構成が国際金融危機を処理する十分な実力を持っていることを反映できず、国際金融体系におけるアメリカの地位に動揺の兆しが現われている。そのため、ブッシュ大統領は日本が世界経済成長の重任を担うよう希望する意向を示し、日本が早く不良債権を解決し、金融構造を健全にし、日本の金融危機を回避し、国際金融システムの安定を確保するよう促している。

 目下、日本は「3月の危機」に直面している。日本が適時に危機を阻止し、日本の危機が世界の危機を引き起こすのを防止できるかどうかは、アメリカの関心の焦点となっている。ブッシュ大統領はさる2月中旬に日本を訪問した時、アジア太平洋地域の安全から日本経済の意義を考慮するべきだと強調した。つまり、小泉政府が改革を推進し、日本経済を速やかに振興し、経済危機の誘発を防止できるかどうかは、世界経済がすぐにも回復できるかどうかにかかわっているだけでなく、ひいてはアジア太平洋地域経済の安全、当面の世界情勢の安定にもかかわっている。そのため、アメリカ政府の高官はブッシュ政権の対日政策を説明した時、日本経済が早期回復できるかどうかは日米長期戦略の大前提だと強調した。アメリカ経済が衰退し、あるいは回復の前夜にある状況の下で、日本経済は回復できず、アメリカ経済が世界経済の成長で役割を果たすのを援助できないことは、世界経済全体の発展に影響するだけではなく、ひいては日米関係の健全な発展にも影響すると言えよう。

 残念ながら、小泉政府はデフレ総合対策を打ち出したにもかかわらず、この政策はただその長期戦略性を強調しているだけで、今の日本経済政策の混沌性を取り除くことができない。現在、日本の経済政策の中では金融政策が主役を勤めているが、不良債権問題の妨げで、一方では銀行は資産を圧縮しながら「貸し惜しみ」をし、金融の仲介機能が小さくなり、他方では、大部分の企業は収益が激減し、投資の欲望が小さくなった。中央銀行は絶えず利子を引き下げ、貸付金額を大きくしているが、資金は銀行に残って、しかるべき役割を果たすことができない。たとえ総合対策が物価上昇の目標を設定したとしても、現状から見れば、高コスト構造を妨げる調整が改革を後退させるほか、企業投資と個人消費の上昇を刺激するのは極めて難しい。現在、日本には150万社の企業があるが、上場企業は4000社足らずで、99%の企業は資本市場を通じてローコストの資金による支持を獲得することができない。このような資本市場体制は、日本の中央銀行が金融を緩和させ、通貨供給を拡大してもデフレを転換させるすべがないことを決定づけている。総合対策は減税を、経済の活力を活性化させる重要な手段としてはいるが、企業が倒産し、収入が不安定で、未来を悲観する情勢の下で、即時的役割を発揮するのは難しく、投資を促進し、消費を増やす効果をあげるのも難しい。

 これを見てもわかるように、日本経済が期限どおりに成長できるかどうか、世界経済の成長に対しどれほど責任を担い得るかは、日本政府が利己主義的な経済思想を放棄し、思い切って確実で実行可能な経済政策を打ち出すかどうかにかかっている。