ペンタゴンはわれわれに何を教えたのか

黎海波

 ブッシュ大統領が訪中を終えたばかりで、胡錦涛副主席が近いうち(来月かもしれない)初めてアメリカを訪問するという時に、われわれはペンタゴンが米議会に提出した核計画の中に中国が核攻撃の目標の一つとなっているのを知った。米国防総省の56ページに及ぶこの秘密レポート――「核態勢見直し報告」は、アメリカが敵国にその「核攻撃能力」を使用する可能性のあるいわゆる緊急状況を討論し、中国が潜在的な敵対勢力であり、しかも核兵器と通常兵器の現代化を速めていると述べている。このため、アメリカは核兵器を中国に狙いを定めることにした。

 これは当今世界におけるいま一つの荒唐無稽なことである。大統領が中国で温かいもてなしを受けたばかりのこの政府は、ほかでもなく中国を将来の核攻撃の目標としている政府である。中国指導者の友好訪問を招請したこの国も、とりもなおさず中国を潜在的な敵と見なしている国である。不思議だろうか。そうかもしれない。しかし、アメリカ政治の虚偽性と二面性を知っているなら、この現象をどう理解するかがわかるだろう。

 多くの中国人はこの報告からショックを受けたが、私はそれには何も意外なところがあるとは思わない。アメリカの一部政客の目で見れば、中国は友達になるよりかむしろ敵になりたい国である。私は両国の間にハネムーンなるものを見たことがなく、またそれを見たいとも思わない。これはわれわれがアンクル・サムの友達になりたくないからではなく、アンクル・サムがわれわれをほんとうの友達としないからである。それだけに、ペンタゴン、米議会あるいはホワイトハウスに潜在しているまたは現実の敵対勢力に入れられるのは意外に思わない。それにしても、この核計画はわれわれの視野を広げ、善良な人たちにアメリカ政権の本質、とりわけ軍部の指揮の本質を見て取らせた。

 この報告から、アメリカ当局が中国人から見てきわめて恥ずかしく恩知らずのことをしているという結論を引き出せる。「9.11テロ事件」発生後、道義上の支持から物資援助に至るまで、情報交換から外交協調に至るまで、中国はずっと最大限の力を尽くしてアメリカがその大規模な反テロ戦争を完成するのを援助している。しかし、その報いとして、中国がなんとアメリカの核攻撃の目標に入れられた。このことが人々の極めて大きな憤りを引き起こしたのは無理からぬことである。ある友人は憤って、「これはまったく川を渡ったあと橋を壊すものだ」と語った。アメリカはいままだ欲しいものを手に入れておらず、反テロ戦争の勝利を勝ち取るまでなおも長い道を歩まなければならない。こうすると問題がひとりでに生じた。つまり、同盟者、友達、支持者が必要ではないのか。必要だったら、どうしてその国防総省はこのような明知でない計画をでっち上げたのかと。中国人は、ひょっとしたら貿易、文化、軍事、外交の分野におけるアメリカという協力パートナーが恩返しをあまりわからないかもしれないことをしっかり覚えておく必要がある。だから、気をつけなければならない。

 ペンタゴンのこの計画は冷戦時期の「遺腹奇形胎児」である。それは計画の作成者と画策者が誠意と信用を欠く本質を十分に暴露している。彼らが公言するものと実際にやるのと別々である。両国は1979年に国交を樹立して以来、アメリカの歴代政府はいずれも一つの中国の政策を堅持し、中米の三つのコミュニケの精神を遵守すると声明した。米政府はこの三つのコミュニケの中で、世界に中国が一つしかなく、台湾が中国の一部分であることを承認している。多くの場合、アメリカの指導者は繁栄して強大な中国を目にするのを期待していると言ったが、事実はアメリカ政府がいつか中国が平和的統一を実現したのを目にしたくなく、同時に中国が強大になるのを怖がっていることを示している。この報告は、アメリカは目下核武力使用を招く可能性のある緊急状況に直面しており、その中には、「台湾の地位の問題にかかわる軍事対峙」も含まれていると言っている。これは何を意味しているのか、見識のある人は一目見ればよく分かる。

 この計画にも積極的な面がある。つまり、それは多くの中国人、とりわけ若者の目を覚まさせたことである。調査によると、普通の中国人はアメリカ人民と彼らの国に好感を抱いている。こうした好感は引き続き存在していくものと信じている。しかし、わが国にはアメリカ当局が長年来目にしたがっている親米世代は絶対にないのである。「われわれが強大になると、アメリカは喜ばなくなる。彼らはほんとうにわれわれがよくなるのを望んでいるのだろうかと聞きたい」とある大学生が言う。ほかでもなく、中国の若い世代にこの超大国にいなかる幻想を抱かせなくなったのはアメリカ政府である。この核計画は疑いなく中国がアメリカの推し進める強権政治の障害になったことを示すいま一つの例である。

 他人の相手または潜在的な敵となるのはひょっとしたら何も悪いことではない。なるほどこうした状況は中国人民に憂患をもたらすだろうが、中国古代の哲学者孟子が言うように、「憂患に生まれ、安楽に死ぬ」のである。核威嚇はむろん多少の効果があげられるものの、それを怖れない民族の前では、それは取るに足りないものであり、この民族がいちだんと活力に満ちあふれさせるだけである。

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