印パ関係のしこり

鄭瑞祥

 アフガン情勢の進展は、南アジア地域の形勢に影響を及ぼしつつあり、印パ関係をいっそう複雑化させている。「9.11」事件後、インドとパキスタンはいずれも米国の反テロ戦争に支持を表明し、米国は反テロ戦争の必要性からインド、パキスタンに対する経済制裁を同時に解除するとともに、この時期に「余計なトラブル」を引き起こさないよう両国に求めたが、印パ関係は緩和も改善もされず、むしろいっそう緊張する事態となってしまった。10月中旬以降、インドとパキスタンは、カシミールの停戦ラインで大きな衝突事件を何度も起こした。また1213日にはインドの国会議事堂が武装グループに襲撃されるという事件が発生した。インドのメディアと政府当局は、ただちにほこ先をパキスタンに向けた。インド警察当局は、この事件の主謀者と10余名の容疑者をすでに逮捕したと発表し、これらの人物はいずれも、本部をパキスタンに置く民兵組織「ラシュカレ・トイバ」と聖戦組織「ジャイシェ・ムハマド」のメンバーであると指摘した。インドの指導者は、インドの「忍耐はすでに極限に達した」と表明した。パキスタンは、一方では、上記のインド国会襲撃事件を強く非難し、インド側と協力して調査を進めたいと表明し、他方では、パキスタンに対するインドの非難を退け、パキスタンが攻撃を受けるようなことがあれば、パキスタンは相応の措置を講じて反撃を加えるであろうと指摘した。1221日、インドは駐パキスタン大使を召還すること、さらに200211日から印パ間のバスと列車の往来を停止することを決定した。印パ両国は、激しい非難合戦を繰り広げると同時に、国境の部隊も高度な戦闘準備態勢に入った。インドはさらに、パキスタンと境界を接する西部地区で軍事演習を行うことになっている。一時は、両国関係は緊張して一触即発の状態にまで至った。しかし、インド首相は国会で、インドはパキスタンとの開戦を望んではおらず、「性急に感情に走ることはない」と言明した。

 印パ関係がこれほど緊張するゆえんは、上記の突発事件以外に、さらに根の深い原因があり、それがカシミール紛争である。印パ関係の歴史を概観すると、両国間の緊張、衝突、戦争の根源にあるのは、いずれもカシミール問題である。時が経つにつれ、この問題はますます複雑で、ますます解決困難なものへと変化している。それは、単純な領土紛争というだけでなく、民族矛盾、宗派対立、双方の党内の派閥闘争、政局の変化及び外部環境の影響など諸々の要素にまで波及している。これらの要素は複雑に絡み合い、根が深く、中東のアラブ・イスラエル衝突と同様に50年以上も続いており、世紀にまたがる地域衝突となってしまったものである。

 カシミール問題は、英国の植民地主義者が南アジアに残した禍根である。1947年、インドとパキスタンの分離独立後間もなく、印パ両国はカシミールの帰属問題をめぐって武力衝突。同年10月末、インドがこの問題を国連にはかる。翌年、国連がカシミール紛争の解決に関する停戦、非武装化、住民投票の三段階に分けた決議を採択。19491月、印パは正式に停戦。停戦ラインに基づき、カシミールは二つに分割され、インドが五分の三の土地と五分の四の人口を支配、その残りをパキスタンが支配することとなる。1965年、印パはカシミール争奪のために再び戦争。1971年、第3次印パ戦争勃発の原因は、主に当時の東パキスタンによる独立要求であったが、カシミールと全く無関係とも言えないものであった。この後30年近く、全面戦争が発生したことはないものの、印パ両国のカシミール問題をめぐる矛盾と衝突が止むことはなかった。とりわけ、1999年の夏に起きたカルギルでの武力衝突は、印パ関係を全面戦争の瀬戸際まで雪崩れ込ませた。

 1989年以降、インドが支配するカシミール地方での暴力事件と武力衝突は、発生するたびにエスカレートし、すでに3万人以上の生命が奪われている。インド軍と警察が、そこのイスラム武装勢力に対して長期にわたる包囲討伐を進め、インド政府が現地のイスラム政党組織との話し合いを試みてもいるが、期待したような効果はあげていない。カシミールの暴力活動がエスカレートするにつれて、印パ両国の非難合戦もエスカレートしている。インド側は、インドが支配するカシミール地区でのイスラム武装勢力はパキスタンの支援を得ていると考えており、ひいてはパキスタンの領土内で訓練を受けたことのあるテロリストであるとすら考えている。パキスタン側は、インド側の非難を退け、カシミールのイスラムゲリラは自由を勝ち取るために戦う戦士であり、暴力活動はインド軍と警察のカシミール人民に対する鎮圧が呼び起こしたものだと考えている。

 カシミール問題は、インド・パキスタン国内での党派の政治闘争において非常に重要な地位を占めている。インドでは、ヒンズー教とイスラム教の宗教対立はきわめて敏感な問題であり、少しでも処理のしかたを間違えれば、大きな災いをもたらしかねない。宗教色の強い一部の政党は、常に煽り立て、もめごとを引き起こしている。かつて1990年代初期にアヨーディヤ・イスラム寺院が破壊された事件は、宗派による大規模な流血の衝突を引き起こした。この事件は、カシミールのゆくえに大きなマイナス面の影響をもたらし、宗派間の衝突を激化させた。パキスタンでは、政権を握った者はみな、カシミール問題でインドに妥協することはできない。さもなければ、野党の一斉攻撃を引き起こし、ひいては政権の座をおびやかすことになろう。

 カシミール問題は印パ関係のしこりであり、関係改善の最大の障害である。いまのところ、印パ両国のカシミール問題における立場は根本的に対立しており、その溝を埋めるのは難しい。パキスタン側は、国連の関連決議に基づき、カシミールで住民投票を行い、カシミールの将来を決定するという立場を堅持している。インド側は、1972年に印パ間で締結した「シムラー協定」に基づき、話し合いで解決すべきだと考えており、カシミールで住民投票を行うことには断固反対している。パキスタン側は、米国などその他の国が調停して、カシミール問題の解決に協力することを望んでいるが、インド側は、二国間問題は話し合いでのみ解決できるとして、いかなる第三者の介入にも反対するという立場を堅持している。このため、いまのところまだカシミール問題を解決する見通しは立っていない。

 むろん、印パ関係は一貫して緊張状態にあったわけではなく、緊張が緩和した時期もあったが、総体的に言えば、緊張のほうが緩和より多かった。たとえば、19985月に印パ両国が核実験を行ったあと、両国関係はかなり緊張したが、翌19992月には、両国の指導者が「ラホール宣言」に調印し、その中で、平和で安全な地域環境を創出することは両国の最高度の国益に合致するものだと指摘した。このため、双方は、安全環境を改善するために共に信頼醸成措置を講じることを重視した。宣言発表のわずか3カ月後に、カシミールのカルギルで武力衝突が勃発し、衝突は2カ月近く続いた。印パ関係は、にわかに状況が変化するのである。

 最近出現した印パ緊張は「9.11」事件後、米国がアフガニスタンに対して反テロ戦争を発動した時である。インドの国内世論から見ると、インドのカシミールでの「反テロ」と米国のアフガニスタンでの「反テロ」を結びつけて考える見方がある。米国が他国の領土に行ってテロリストを掃討することが許される以上、インドも同じことをして構わないというわけだ。インドの与党の一つであるインド人民党(BJP)は、印パ国境を越えてテロリストを攻撃するよう政府に求めている。

 現在、印パ間の一触即発の緊張状態は、国際社会の関心を呼び起こしている。インド・パキスタンという核能力を持つこの二つの大国は、南アジア地域の平和と安定にとって重大な責任を負っている。印パ間の緊張と衝突は、南アジアないしアジア全体の平和と安定にとって深刻な悪影響をもたらすであろう。国際社会は、印パ両国が両国人民の根本的利益から出発し、当該地域の平和と安全を擁護するという大局から出発して、抑制を保ち、和平交渉を通じて、懸案となっている未解決のすべての問題を解決することを願っているのである。

筆者・鄭瑞祥氏プロフィール:

 中国国際問題研究所研究員。かつて駐ボンベイ総領事、中国国際問題研究所副所長(19911999年)を歴任、長期にわたって南アジアで活動。主に南アジア戦略と安全保障の研究に従事、国内外で多数の文章とレポートを発表している。