「一つの中国」の政策に危害を及ぼす米台関係調整

中国社会科学院台湾研究所 劉 宏

 

 「一つの中国」の政策は中米関係の政治的基礎であり、アメリカの対中政策の核心でもある。しかし、この政策はいろいろの風雨にさらされた。国家主権と領土保全を擁護するため、「一つの中国」の原則をめぐって、中国はアメリカと長期にわたる、断固とした闘争を行った。

 ブッシュ政府は発足後、台湾高官の訪米と「経由」の制限をゆるめ、台湾向け兵器売却方式を変え、「台湾共和国」、「中華民国」など主権の意味を強く含んでいる語句を公然と使い、重大事件をめぐっての相互通報を強化した。昨年4月、ブッシュ大統領は、長年続いてきた台米年度兵器売却会議を取り消し、台湾向け兵器売却はアメリカのその他の国に対する「正常」な方式を使うと発表した。アメリカ国会も、台湾をNATO加盟国以外の「友好国」と同一視するように鼓吹する議案を提出した。昨年の37日と8日、パウエル米国務長官は二日続けて上下両院の外交と国際事務委員会で証言した時、二回も台湾を「中華民国」と呼んだ。ブッシュ大統領もさる44日国務省で、国会に貿易促進権限授与法案(TPA)」を採択させるために演説を行った際、口が滑って「『台湾共和国』と中国の両国のWTO加盟を承認、歓迎することはアメリカにとってプラスの発展である」と言った。そればかりでなく、この発言はホワイトハウスと国務省のウェブサイトにそのまま載せられ、CNNAFPなどの大手メディアはそれを報道し、AFPはブッシュ大統領の談話は「予想外だ」と評論した。

 アメリカ政府はその後これは「言い間違い」だと説明したが、台湾のメディアが指摘しているように、ブッシュ大統領の心の中では両岸が「二つの国」である。疑いもなく、ブッシュ大統領は「誤って本音を吐いた」にすぎない。今年4月初め、アメリカ国会はいわゆる「台湾コーカス(TAIWAN CAUCUS)」を発足させ、80数名の国会議員が参加した。いろいろの兆しが顕示しているように、中国大陸部との全面的対決を回避する状況の下で、米台は双方の事実上の(DE FACTO)政府関係の発展を急いでいる。米台関係のグレードアップに伴い、アメリカの「一つの中国」の政策にかなりの程度において「漂流化」が現われた。アメリカの対台湾政策の調整はすでにその承諾した「一つの中国」の政策に対する挑戦となっている。

 1979年に中米が国交関係を樹立した後、アメリカは台湾との「国交」関係を中止し、経済、文化など民間の性格をもつ関係だけを維持した。しかし、ここ数年来、米台は上述の規定を無視し、「反中国」、「統一拒否」を核心とする準同盟関係の樹立にとりかかった。ブッシュ政府の時期に、このような特徴はさらにはっきりし、主に以下のいくつかの方面に体現されている。

 (一)台湾高官の訪米と活動に対する制限を絶えず突破している。

 台米は高級指導者の訪問と接触の問題の上では前後して三つの段階を経歴した。

 第一段階は冷淡期であり、1979年の「国交断絶」から1994年までの間に、米台は「国交断絶」後の連絡方式を模索し、ハイレベルの政府間接触は多くなかった。

 第二段階は限度のある加温期であり、1994年から2000年末までの期間に、台湾当局は対米ハイレベル接触を対米活動の重点として、高官訪米問題の上で既存の制限を突破しようとした。台湾当局は苦心惨憺して、「私的訪問」と「経由外交」という二つのパターンをつくった。台湾当局の全力あげての遊説で、クリントン政府は1995年に李登輝の訪米を許可した。中国政府の強硬な抗議の下で、アメリカ政府は李登輝の訪米活動に厳格な制限を加え、空港で歓迎式を行うことや、ワシントンなどの都市へ行って活動を行うことや、政府関係者が李登輝と会見することを禁止し、コーネル大学での記者会見を取り消した。しかし、李登輝が明らかに「台湾独立」の色彩を帯びる講演を公然と行い、アメリカ国会の親台派議員と当地の政界や商業界の有名人と幅広く会見し、その性質と劣悪な影響は非政府関係が我慢できる極限を超え、1995年から1996年にかけての台湾海峡危機及び両岸関係と中米関係の重大な悪化をもたらし、後遺症は今なお残っている。この事件によって、アメリカは台湾当局の指導者がどのような名義でもアメリカを訪問できないことを認識した。そのため、たとえ国会の親台湾勢力が絶えず圧力を加えても、クリントン政府は台湾高官の訪米を調整しなかった。「行政院長」、「国防部長」などに対する訪問禁止命令も取り消さなかった。

 「私的訪問」と比べて、台湾当局の「経由外交」はいっそう頻繁に行われるようになった。1991年、李登輝はアメリカと日本経由で中南米へ行って活動しようとしたが、アメリカと日本が同意しなかったため、やむを得ず「副大統領」の李元簇を行かせた。1994年、アメリカは初めて李登輝のアメリカ経由を許可したが、経由の場所をハワイに選び、しかも空港で1時間半滞在することしか許可せず、宿泊も許さなければ、政府間の接触も許さなかった。これに対し、李登輝はきわめて不満で、飛行機から降りることさえ拒否した。今回の気まずい「経由」の後、台湾はアメリカ国会の親台湾勢力に対する遊説を強化し、台湾高官の「経由」方式を変えるようアメリカに要求した。アメリカ政府は対台湾政策の調整を急ぎ、19949月に発表した「対台湾政策検討」の中で、台湾高官のアメリカ経由を許可するが、公開活動に従事してはならず、毎回の経由申請が個々に処理すると明確に規定した。その時から、アメリカ側は台湾当局の指導者に「安全、快適、便利」な「経由」を提供するようになった。「経由外交」のパターンが実行されてから、台湾当局の高級指導者、特に「大統領、副大統領」がアメリカに赴いて短時間、制限づきの活動を行うことができるようになったことも、近年の台湾の高官が「元首外交」を推し進める重要な手法となった。

 第三段階はブッシュ政権の発足後から現在までで、「急速拡張期」と言ってもよい。ブッシュ政府は登場してから、台湾高官の訪米、「経由」の制限をゆるめた。ブッシュ政府の関係者は、以前アメリカが台湾高官の訪米を許可しなかったのはアメリカが「自ら設けた制限」であり、中国と達したいかなる合意によるものではないと公言した。台湾当局と親台湾組織の遊説の下で、アメリカ国会が設立した「台湾グループ」も、アメリカの台湾高官の訪米制限解除を活動の目標としている。現在、「外交部長」、「国防部長」の訪問禁止命令はすでにブッシュ政府に破壊された。昨年、「外交部長」がアメリカを訪問し、今年3月、「国防部長」がアメリカに赴いて「米台国防会議」に参加した。台湾当局指導者のアメリカ経由問題については、アメリカの政府関係者は、先例があるだけではなく、しかも「当然こうすべきで」、アメリカの「一つの中国」の政策に背かない、と公言した。

 ブッシュ政府はまた経由の場所、経由期間の活動制限、経由の原則などの面で大幅な調整を行った。昨年、陳水扁のアメリカ経由期間に、アメリカは既存の「安全、快適、便利」の三原則のほか、「尊厳」を強調し、経由の場所はニューヨークとヒューストンの二カ所で、主な活動は多くの国会議員との会見、ニューヨークとヒューストン二市の市長などとの会談、ニューヨーク証券取引所、大都会博物館の見学、盛大なスポーツ競技の観賞、大規模な宴会の開催、米商工業界人士、主要なシンク・タンクと学者との会見などが含まれていた。台湾当局はまた海外在住の親台湾華僑を動員して全行程で陳水扁のためにムードを盛り上げ、それまでに台湾の最高指導者がアメリカを「経由」した時に受けたさまざまな制限を大々的に突破した。アメリカのある学者はこれを「正式の公式訪問に向かって踏み出した第一歩」と称している。

 高官の訪米制限を突破しようとするほか、台湾当局はまた全力あげてアメリカ国会と政府関係者との接触をグレードアップさせた。昨年年末の「行政院秘書長」一行はアメリカ滞在期間にアーミテージ国務次官および国務省、国家安全保障担当及び国防総省アジア事務担当の関係者と会見した。さる3月、「国防部長」の湯曜明は私的身分でアメリカへ行った時、ウォルフォ ウイッツ米国防次官と百分間にわたった会談を行い、アジア太平洋担当国務次官補も湯曜明と「短時間の公務会談」を行った。これは台米の「国交断絶」後きわめてまれに見ることである。

 (二)進んで台湾の軍事事務に関与する。

 ブッシュ政府の時期、米台の軍事関係はかつてなく密接で、各段階の交流が頻繁に行われている。アメリカの台湾に対する軍事支持に次のような三つの変化が現われた。 

 第一、対台湾軍事政策は以前の「消極的な呼応」から「主動的な関与」に転じ、アメリカは全方位に台湾の軍隊事務に介入した。1999年から、アメリカは三年の時間を使って台湾の空、海、陸三軍の戦闘力を評価し、評価の結果に基づいて対台湾兵器売却項目の重点を決定した。台米共同防御条約時期に「楽成」と名づけられた新協力特別案は、2000年初めから運営し始め、将来は秘密裏に台米軍事覚書に調印し、アメリカが台湾に「台湾防衛作戦構想」を提出する。

 第二、「戦略曖昧」から「戦略明晰」に転じた。ブッシュ政府は、アメリカの台湾問題についての伝統的な「曖昧戦略」が釈明も実行も難しく、アメリカと台湾の政治、軍事部門間の必要な連絡を制限し、突発の危機を効果的に処理することができないと公言した。ブッシュ氏本人が大統領就任後に発表した「できうる限り台湾の自衛に協力、援助する」という談話は、歴代のアメリカ政府の中で最も「はっきりした」態度表明であると見なされている。

 第三、目を両岸の軍事力「均衡」から「平和」に向けるように転じ、武力による統一拒否という台湾の論調に呼応した。「817」コミュニケが発表されて以来、アメリカはずっと両岸の軍事力均衡維持を台湾に進んだ兵器を売却する口実としている。ブッシュ政府は両岸の軍事力の「動的均衡」の前提の下で、台湾海峡の「平和絶対化」を吹聴し、また米台軍事協力の平和に対する「貢献」を強調し、双方の軍事関係の「正当性」を強化しようと企んでいる。アメリカは自国を「台湾海峡の平和にとっては不可欠なカギとなる存在」であると決め込んでいる。ブレア太平洋軍司令官は、米軍の役割は「中国に侵略を起こさせない」、両岸の軍事態勢の安定を維持し、「両岸の平和による争議解決に基礎を提供する」ことだと言っている。国家安全保障問題担当大統領補佐官のライス氏は、「安全保障のある台湾は、両岸対話の再開に役立つ」とアメリカのために弁解した。陳水扁当局は、台湾海峡の平和は台米の「共通の言語」であり、台湾海峡の平和は「両岸の実力が伯仲する基礎の上」に築かれたものだ、と呼応した。そのほか、昨年4月、ブッシュ大統領は長年続いた台米年度兵器売却会議を取り消し、対台湾兵器売却はアメリカのその他の国に対する「正常な」方式を使うと発表した。アメリカ国会も、台湾をNATO加盟国以外の「友好国」と同一視するように鼓吹し、軍事装備を移転する議案を提出した。

 (三)台湾の国際組織参与の範囲と方式の支持を拡大する。

 ブッシュ政府は登場後、クリントン政府の「受動的」やり方を変え、台湾が国際機構に参与する問題では全面的に親台勢力に呼応している。一方では、アメリカは台湾が主権国でなければ参加できない組織に「参与する」のを積極的に支持している。国連がきわめて高い政治的象徴の意義と敏感性を備えているため、ブッシュ政府は台湾の主張を公然と支持はしなかったが、注意に値する変化が現われた。昨年の国連総会の開催期間中、アメリカは少数の国が提出したいわゆる台湾の国連加盟という提案に沈黙を守り、二年連続して反対を表明するやり方を変えた。ブッシュ政府の政策調整はいわゆる世界保健機関(WHO)参与に集中的に具現されている。アメリカは台湾が「オブザーバー」となるのを支持するばかりでなく、台湾を正式に参加させようした。昨年511日、ブッシュ大統領は国会議員宛の返書の中で、台湾専門家のWHO顧問委員会への参与支持、台湾のWHO主催の会議への参与支持、台湾とアメリカ間の医療衛生協力の拡大などを含め、「なんとかして具体的な方式を探し出して」、国際社会が台湾のWHOとその他の国際組織への参与を受け入れるよう促す、と書いている。パウエル米国務長官は、台湾に「参与させるが会員の資格を与えない」のはアメリカに有利だ、と言った。今年2月、衛生長官は、ブッシュ大統領と彼本人は台湾の参与を支持し、ブッシュ政府は台湾当局、WHO事務局、加盟国と「話し合って」おり、第一歩は「オブザーバーの資格」だ、と公言した。アメリカ国会はいっそう頻繁に動き、さまざまな意見を提出する決議案と拘束力を持つ授権案を絶えずつくり上げている。

 他方では、アメリカは主権国でなくても参加できる国際組織の中で台湾が「完全に平等な」メンバーとなるのを支持している。昨年初め、海峡両岸のWTO加盟について、アメリカ通商代表は、中国が台湾のWTO加盟を妨害あるいは軽蔑する(つまり、WTOの中で「一つの中国」の原則を堅持する)のを受け入れず、「決してしりごみしない」と公言した。

 (四)重大事務相互通報制度を整備し、「相互信頼」を増加する。

 李登輝政権の時期に台米双方は多くの重大事件で相互通報せず、双方の「相互信頼」が足りなかった。1995年、李登輝がアメリカを訪問し、コーネル大学で演説した時に吐いた気炎は、中米両国関係に重大な影響を与えた。1999年、李登輝はまた「両国論」を持ち出し、両岸関係を大きく悪化させた。これらの挙動について、台湾当局は事前にアメリカ側に通報しなかった。そのため、クリントン政府は受身の立場に立たされ、李登輝もアメリカ眼中の「トラブルメーカー」となった。同時に、台湾当局は、クリントン大統領が1998年に中国を訪問した時、「三つのノー」の政策を公表したが、これは台湾の利益を考慮せず、また事前に台湾に説明しなかった。陳水扁は政権の座についてから、自分は「トラブルメーカー」にならないとアメリカにはっきりと保証した。ブッシュ政権の発足後、陳水扁は一歩進んで、台米は「意思を十分に疎通させる」必要がある、と公言した。就任後間もなく、ブッシュ大統領と陳水扁は互いに書簡を送った。その後、台米は重要事件を相互に通報するようになった。今年ブッシュ大統領が訪中する前に、アメリカは台湾駐在のアメリカ機構の責任者に関係背景を通報するほか、台湾駐在協会理事会主席の卜睿哲を直接台湾へ派遣して、陳水扁らの台湾高官に状況を説明した。アメリカは台湾当局に、ブッシュ大統領の中国訪問は「台湾の利益を損なわず」、台湾問題で譲歩しないことを保証し、台湾当局に安心するよう求めた。ブッシュ大統領が帰国した後、アメリカ側はまたも台湾に通報した。

 上述の米台関係のさまざまな変化は、「一つの中国」の原則を極度侵犯している、簡単に言えば、米台は安全事務、経済事務、国際協力、政治協力などの面に、いずれもある種の事実上の政府関係が存在しているのである。このような政府関係がいちだんと発展していくなら、台湾当局が期待しているいわゆる台米関係の「突破」が現われる可能性が極めて大きい。周知のように、台湾問題は中米関係における最も敏感で、最も核心となる問題であり、「一つの中国」の政策の最も肝心な構成部分でもあり、台湾問題についてのアメリカの政策上の変化は、直接「一つの中国」の原則に危害を及ぼすだろう。この点を、中国政府はどうしても受け入れることも、我慢、譲歩することもできない。こうして見ると、中米関係は引き続き「闘争-協力-再び闘争-再び協力」という特徴を呈するだろう。