なぜ円安なのか

 最近の大幅な円安傾向は、世界が関心を寄せる焦点の一つとなっている。日本円はなぜ下落しているのか。日本経済が低迷する中でのやむを得ない選択だとする人もいれば、中国を意識した措置だと考える人、さらには日本政府による戦略的配慮だとする人など、人それぞれの見方がある。そこで、ここに中国の三人の専門家の意見を紹介する。

──編集部

 

やむを得ぬ措置、なおかつ効果の低い経済的措置

中国国際問題研究所副所長、研究員  甄炳禧

 円相場の動向は、世界が関心を寄せる年末年初の焦点の一つとなっている。2001年以降、日本円の対ドル為替レートは基本的にずっと下落傾向にあり、12月中旬からは円安傾向がさらに顕著になっている。12月最後の週には、日本円の対ドル為替レートは、ついに130円、131円、132円の壁を続けざまに破り、38カ月ぶりの安値にまで下落した。2000年末における日本円の対ドル相場(1ドル=113円)に比べ、2001年末のそれは15%近く下落したことになる。

 日本円の大幅な下落の原因はいろいろあるが、最も主なものは、いま、経済が長期的低迷から衰退に転じるという厳しい情勢のもとでの、日本政府のやむを得ぬ政策的選択だという点である。周知のように、バブル経済の崩壊後、日本経済はすでに10年にわたって低迷、不振を続けている。日本の経済成長の二つの原動力の一つである内需がすでに機能しなくなり、輸出が唯一の成長の原動力となっている。しかし、2000年下半期以降、米国経済の減速と衰退によって日本の輸出は激減し、日本経済に絶えざる下降局面をもたらした。そして「9.11」事件と日本国内の狂牛病問題が、日本経済をますます冷え込ませることになった。2001年の第2、第3四半期のGDPが連続してマイナス成長となったことは、日本経済がここ10年間で3度目の衰退局面に陥ったことを意味している。日本の失業率は、11月には5.5%と歴史的な高記録を更新するに到った。国際機構と日本の政府筋は、2001年と2002年の日本経済はマイナス成長になると予測している。

 日増しに悪化する経済情勢に直面して、日本政府のマクロ経済政策は手詰まり状態で、打つべき手もコントロールできる範囲も極めて限られたものとなっている。通貨政策の面から見れば、日銀がすでに金利をゼロまで引き下げており、財政政策の面から見れば、日本は年々赤字財政を続けており、国債の対GDP比率はすでに130%を超えている。度重なる緊急経済対策の実施、公共投資の拡大のあと、日銀は、金利の調整や通貨供給の増加などの手段に打って出たが、これらの措置はいずれも効を奏してはいない。このほか、小泉政権が発足以来主張している構造改革を柱とする経済政策も、経済の衰退という差し迫った問題を解決する手立てとはなっていない。こうした状況のもとで、日本の政府当局は、円安を輸出刺激、経済回復促進の唯一の手段としたのである。

 日本政府は意識的に円安を誘導しており、特に日本の政府関係者が多くの場で円相場の軟調を楽観視する姿勢を表明していることが、円安をいっそう助長する役目を果たしている。塩川正十郎財務相は、日銀は為替市場への介入措置を取るべきではないと指摘し、日銀の速水優総裁は、日銀の大量な外貨売りによる円高は難しいと述べている。為替レートが1ドル=129円まで上がったあと、財務省の溝口善兵衛国際局長は依然として、経済全体のファンダメンタルズから見れば、円はやや強すぎるぐらいだと表明した。世論は、日本の政府関係者の発言から、彼らが円を弱めていることは難なく見て取れると考えている。

 総体的に見て、円安は、さまざまな病に取りつかれた日本経済の立て直しにとって、効を奏するとは言いがたい。円安は、国際市場の価格面における日本製品の競争力をある程度高めはするものの、経済成長にとっては一時的な治療でしかなく、根本的治療ではない。輸出は、日本のGDPのわずか10%を占めるだけであり、日本経済の活路は、経済構造の調整と内需拡大にある。しかも、円安はさらに一連の副作用をともない、特に、いちだんと円安が進めば、その他の東アジア諸国に新たなサイクルの競争的な通貨下落局面を引き起こす可能性があり、そのため東アジア経済の回復に深刻な影響を及ぼし、ひいては日本の輸出と経済回復に制約を与えかねない。したがって、円安措置は損失をもたらすものであり、必ずしも己を利するとは限らない下策の一種となる可能性がある。

 

日本政府の円安放任の理由

中国国際問題研究所アジア太平洋室副主任  趙大為

 大幅な円安傾向に直面して、日本政府は「不作為」の手法を講じ、これを放任している。これに対し、国内外でさまざまな議論が起こっている。では、日本政府の究極の目的は何なのか、私の考えを次のいくつかにまとめてみた。

 一、円安を経済低迷への対応策の一つとする日本政府

 このところ、日本経済は再び衰退局面に陥っている。200145月期のGDP成長率はマイナスとなり、年間成長率はマイナス0.9%となる見込みである。

 日増しに深刻化するデフレ局面に直面して、日本政府は有効なコントロールの手立てを欠いている。銀行金利はすでに最低ラインまで下げており、調整のテコとしての働きを発揮させるのは困難である。政府債務が膨大にふくらんでいるため、敢えて引き続き公共支出を拡大することも、さらに大胆な赤字財政政策を実行することもできない。こうした状況のもとで、日本政府は円安を誘導、放任し、輸出を拡大して、インフレ要因を人為的につくり出し、そこから経済成長を呼びこむという目標を達成させるしかないのである。日本総合研究所は、円相場が10%下落するごとに、輸出は1.45%増加し、GDP0.4%伸びると予測している。

 二、戦略的配慮の一面も持つ日本政府の円安放任

 日本は一貫して、政治大国という戦略目標の実現に向けて力を注いでいる。90年代の半ば以降、日本は、大国の地位を高める切り札を米国に押し付けてきた。このため、政治、軍事面においても、経済面においても、日本はひたすら米国の顔色をうかがってきた。「9.11」事件のあと、日本政府は米ドル相場の安定を維持するため、917日から21日まで6日間の取引期間中、23200億円を流用してドル買いを行った。今回の日本のコントロールと円相場の大幅下落の放任も、米国の黙認のもとで進められている。これらはすべて、日本が経済的に米国の覇権的地位を守り、そこから経済的実益を手に入れ、なおかつ日米同盟関係の強化を通じて、日本の大国としての地位を高めようとしていることの現われである。

 まず、円相場の下げ幅は、米国の許容範囲内でなければならない。本来なら円安は米国の貿易赤字を拡大するはずだが、米国経済不振という状況下では米ドル相場の堅調を維持することが当面の急務となったのである。さもなければ、米ドル相場の軟調は、大量の資金が米国から流出するという深刻な結果を招くことになる。したがって円安は、米国経済の正常な発展にとってある程度有利にはたらくのである。まさにこうした背景に基づいて、日本の財務省や日銀の高官が、円相場の適正基準は140円前後であるべきだ、と触れ回っているのである。

 次に、日本政府は国際金融市場において大量な円売りを行い、米国国債を購入しており、実際には米国の国際競争力を増強しているため、米国はその結果を楽観視しているのである。

 このため、最近の大幅な円安傾向は、日米両国にとって経済的な実利があるばかりか、同盟関係の強化という効用もあり、同時に日本の政治的陰謀を覆い隠してもいる。

 三、日本政府の円安放任、否定できぬ中国意識の側面

 中日経済貿易は急速に発展しており、現在、日本はすでに中国の第一の貿易パートナーであり、中国も日本の第二の貿易対象国である。しかし、中日経済は日増しに連係が緊密になると同時に、摩擦もひっきりなしに生じている。20014月、日本は突然、中国の一部の農産物に対する緊急輸入制限措置を講じた。

 日本の一部の人は、中国の人民元の通貨価値が低すぎるせいで、中国に対する日本の貿易赤字と日本国内の産業の「空洞化」が存在すると考えている。日本の税関当局の統計によると、2001110月期の日本の対中貿易赤字は累計で267736300万円(約200億ドル余り)としているが、中国の税関統計では141000万ドルで、ほぼバランスがとれている。日本は、こうした統計方法の相違によって生み出した格差を、故意に人民元の通貨価値の問題に誇大化し、あげつらっているのである。日本は世論、メディアから政界、高官にいたるまで、人民元の通貨価値が低すぎることが、中国の輸出製品に対する日本の競争力の欠如をもたらしているばかりか、日本経済の不景気の「主犯」だと声高に言い立てている。日本側は、人民元相場が低すぎ、中国の労働力コストも相対的に非常に低いために、多くの日本企業が国内の生産業務を中国に移し、中国に工場を設立し、廉価な製品を生産してから日本に再輸入し、販売するという事態がもたらされていると考えている。これこそが、日本国内での商品価格の下落、デフレ、経済の衰退という悪い結果を生み出しているというわけだ。このため日本側は、何かにつけて中国に対し圧力をかけ、中国に対して公然と通貨価値を高めるべきだと要求しており、日本のある経済団体の責任者は、「中国のWTO加盟後は、人民元の通貨価値も国際的な協議を通じて、各国がバランスよく発展できる為替水準を採らせるべきだ」と語った。日本が中国に対し、たびたび圧力をかけても効を奏しないという状況のもとで、円安傾向を放置していることは、人民元の通貨価値を低めているのに等しく、これとほぼ同じ効果を収めているのである。

 表面的に見れば、日本は人民元の通貨価値の問題についてとやかく言っているだけだが、実際は「中国脅威論」の別種の焼き直しなのである。ここ十年で中国経済は飛躍的に発展したが、日本経済は低迷が続いている。この二つを比較することで、日本の一部の人々は内心きわめてアンバランスになり、あちこちに「中国脅威論」を撒き散らして、人民元の通貨価値の問題を、彼らが中国を攻撃するための新たな口実としているのである。

 

日本円、大幅下落の舞台裏

新華社世界情勢研究室副主任、高級記者  楽紹延

 円相場の高下は中国やアジア諸国の輸出に直接関係し、ひいてはこれら諸国の経済発展にも影響を与える。このため、円相場の変化は、必然的に関係各方面から高い関心を集める。

 円相場の変化を見渡すと、経済の衰退が円相場下落の基本的な原因ではあるが、日本の政府および金融管理当局による最近の意識的な干渉と誘導が、日本円を安定させ、円安傾向を加速させている直接の原因である。

 経済情勢の悪化にともない、日本の政界、経済界、金融界は一様に、円金利がゼロに近づき、国の実質債務残高が年間国内総生産を上回り、政府のマクロ経済政策の手段がすでに数少なくなっているという状況のもとでは、適度な円安を誘導し、外需を拡大することが不可欠の選択であると考えている。日本政府と関係方面の最近の発言からも、日本が意識的に円安を誘導していることは難なく見て取ることができる。

 まず、金融監督当局と外国為替相場に大きな影響力を持つ権威筋の人物が、絶えず円安を容認すると触れ回る。かつて国際金融界から「ミスター円」と呼ばれた元大蔵省財務官(国際金融担当の最高責任者)の榊原英資氏は、「円相場は1ドル=140円まで下落しても少しもおかしくない」としばしば言い放っている。

 次に、インフレ目標を設定しなければならないと提起し、人為的にインフレをつくり出す。2001124日、日本の経済財政担当相は「2001年度経済財政報告」の中で、日銀に対し、インフレ目標を設定し、紙幣を発行して通貨の供給量を増大させ、インフレ状況を人為的につくり出すことで、当面のデフレ、需要減少、物価下落という局面を変革するよう求めた。このニュースが伝えられてから、日本円は新たなサイクルの下落傾向を見せ始めたのである。

 第三段階として、大量の外国債券を購入し、日本円の供給量を増やし、形を変えた為替介入をしなければならないと表明する。20011211日、日銀政策委員会のメンバーである中原伸之氏は会議の席上、外国政府と企業の債券を大量に購入することにより、日本円の市場での供給量を増大させることを正式に提案した。外債の大量購入は、いちだんと金融を緩和させ、デフレ圧力を和らげることができるだけでなく、円安傾向を駆使して日本製品の輸出競争力を高めるという目的を達成させることができる。

 投資家たちは、日本の関係方面が極力円安を誘導し、上述の二つの措置をいったん具体的に実施すれば、円相場は必然的に一段と大幅な下落傾向を呈することになるため、時機を見て果敢に円売りを行い、市場から身を引くのが賢明な選択だと考えている。こうした思惑が支配するなか、日本円はこのところたまに見られる投機圧力に耐えて、日本円の対米ドル相場、対ユーロ相場がいずれもじわじわと下落する事態がもたらされている。

 日本政府は、円相場を1ドル=130140円のレンジ内で誘導すると見込まれる。というのは、当面の日本経済にとっては、この為替水準が最も有利であるからだ。この水準に達することができなければ、経済回復の促進にとって目に見える効果はなく、いったんこのレンジを突破してしまえば、日本の金融システムの動揺を引き起こし、アジアの金融危機を誘発するとともに世界的な金融危機に波及しかねない。大幅な円安は、すでにアジア諸国の通貨の全般的な安値を招いており、人々の懸念材料となっている。

 日本政府が円安を誘導しているのは、中国および中国経済を意識した一種の政治行動だとする報道があるが、私はそうは見ていない。日本の円安誘導は、やはり日本自体の経済的利益のためである。むろん、円安は客観的にはアジアの一部の国に不利な影響をもたらすであろうが、それは決して本来の目的ではない。現段階での円相場は、まだ中国経済に過大な衝撃をもたらすには至っていない。しかも、円相場に影響を及ぼす要因は非常に多くあり、あまたの外部的要因のうち、決して軽視することのできないのが米国の要因であり、米国の姿勢が日本円のゆくえを左右する可能性は非常にある。

 このほか、日本政府は「口先介入」をしているだけかもしれず、上述の二つの措置は、議論にとどまり、実施されないのではないかと見るアナリストもいる。そうであれば、一定の期間は円相場の下落を促す役目を果たさせることができ、なおかつアジア諸国の過度な反発を引き起こすには至らない。