小泉首相の訪朝の後ろにあるもの

  日朝関係は東北アジア地域ないし世界の安全枠組みの影響、制約を大きく受けており、しかもこのような安全枠組みに影響を及ぼしている。

                中国国際問題研究所副研究員 張瑶華

 917日、小泉首相は朝鮮民主主義人民共和国に電撃式訪問を行い、戦後57年ぶりに同国を訪問する最初の日本首相となった。外部から見て日朝交渉の見通しがまだ明らかでない状況の下で、小泉首相のこの行動は人々に突然で、しかも少し冒険的であるように感じさせた。小泉首相がなぜこのときに自ら平壌へ行くのか、長期にわたって両国の国交樹立交渉を阻害する難問を解決できるのか、および日朝首脳会談の結果が東北アジア地域の情勢にどのような影響を及ぼすかに人々は広く関心を寄せている。

 日朝国交樹立問題は一般の両国関係正常化問題と違って、東北アジア地域ないし世界の安全枠組みの影響、制約を大きく受けており、逆にこの安全枠組みに影響を及ぼしている。朝鮮半島は冷戦時期の軍事的対峙の最前線であり、冷戦終結後、朝鮮半島での南北和解の実現および半島と周辺諸国との関係正常化問題が議事日程にのぼせられた。

 まさにこのような背景の下で、1990年に日本の自民党と社会党連合代表団が朝鮮を訪問し、19911月から両国は国交正常化交渉を再開した。しかし、会談が8回行われたあと、199211月に交渉が中断した。20004月に交渉が回復してからまもなく、11月に再び中断した。この期間に、表面から見て、双方が歴史問題と人質問題の解決で歩み寄れなかったため、国交関係樹立交渉が失敗に終わったように見えるが、実際には、冷戦終結後の世界情勢に根本的変化が生じた状況の下で、双方がまだそれぞれの戦略的配置と調整を完成していないためにそうなったのである。このような調整過程において、双方にとって、日朝双方の関係は各種の要素に制約されているばかりでなく、対外戦略における主な矛盾にもまだなっていないのである。

 日本にとっては、19世紀90年代の主な任務は日米軍事同盟関係を再び位置づけることと政治大国の夢を実現するために道を切り開くことであった。日本は日米軍事同盟を基軸とする国家安全戦略を繰り返し確認、強化すると同時に、朝鮮半島問題の上でアメリカの戦略に従う戦略をとっている。そのため、米朝関係が絶えず緊迫する状況の下で、日本がアメリカの制約から抜け出して朝鮮との関係を一方的に発展させるのはほとんど不可能である。反対に、日本はすかさずこのような緊迫を利用して、海外派兵に対する国内の政治、法律の制約を取り除き、周辺有事法案などの立法作業を完成した。言い換えれば、日本はこの期間に朝鮮問題を利用要素の一つとして、冷戦終結後の安全配置をほぼ完成したのである。

 しかし、それと同時に、冷戦終結後に、バブル経済の崩壊で10余年にわたって不景気がもたらされたため、日本はアジアにおける自国の影響力が相対的に弱くなっていることを感じている。このとき、外交の面でアジアを突破口とし自国の立場を変えることは、日本政治の内在的必要となっている。小泉純一郎氏が内容を伴わない改革のスローガンに頼って政権の座についたことは、日本人全員の変化を求める心理状態を示している。しかし、小泉首相が政権の座についてから、国内と国際でなんら成果をあげていない。外交の面では、小泉首相は日米関係を強化すると同時に、歴史問題の本質をあいまいにし、内外に対し異なる態度をとる方式で、国内の右翼を慰め、その政治的支持を獲得するようにし、東アジアの近隣に迎合してその理解を得て、自分の地位を高めようとしたが、失敗に終わった。日本はアジア外交から突破口を探す必要がある。

 小泉首相が戸惑っているとき、国際情勢に変化が生じた。「911」事件によって、アメリカは自らが直面しているテロリズム脅威を全世界の反テロ戦争に変えた。またあたるべからざる勢いでイラク、朝鮮などの国を「悪の枢軸」のメンバーをきめつけ、どうしても「主導的出撃」を指導的思想としてイラク反対およびサダム政権転覆の戦争をやらなければならない情勢である。朝鮮がイラクに次いでアメリカの「主動的出撃」の目標となるかどうかは、すべての隣国の関心事となっている。このような情勢を前にして、日本はひたすらアメリカに同調し、最後には米朝の間に現在の米イ間に現れている状況が現れるようになれば、日本は周辺の環境が安定を失うばかりでなく、東北アジアと朝鮮半島に対する発言権を完全に失うであろう。このような状況の下で、日朝国交正常化の問題は日本にとって戦略的に一定の緊迫性をもつ重要な問題となっている。そのため、これまでずっと日本に「朝鮮脅威論」の口実とされている「不審船」問題が依然として存在しているにもかかわらず、日本はこれ以上喧伝せず、両国首脳交渉の成功に努めている。

 そのほか、朝鮮がここ数年、多くのヨーロッパ諸国と関係正常化を実現しただけでなく、韓朝関係も急ピッチで発展していることは、日本に緊迫感を持たせている。南北朝鮮の鉄道の開通は、双方が心理的に近づいていることを示しているが、朝鮮がアメリカに差し出したオリーブの枝も決して全然反応がないものではない。このような歴史的瀬戸際で、日本が立ち遅れるならば、この上なく受け身の立場に立たされるであろう。いわんや、朝鮮が今国内の経済困難と国際政治のプレシャーに直面していることは日本にとってわりに有利な交渉背景であると日本は見ている。これを見ても、小泉首相の「突然の決定」には、情理にかなうという大きな背景があることがわかる。

 もちろん、朝鮮側も小泉首相の来訪を歓迎する。現在、朝鮮の指導者金正日氏は政権を引き継ぎ、強固にする任務を順調に完成したあと、新たな発展を積極的に求めている。しかし、いかなる変革と開放の措置をとる前にも、自らのために有利な国際環境をつくる必要がある。

 しかし、長い間、両国の積怨がはなはだ多く、相互の不信頼感がすこぶる強く、両国国交樹立交渉でどのように歴史問題を処理するかについて重大な意見の相違が存在している。

 朝鮮は日本の朝鮮侵略の歴史をきちんと処理するのは朝日国交樹立の必要な前提であると考え、日本に侵略の歴史を徹底的に清算し、心から謝罪し、十分な賠償をするよう要求している。日本は賠償を拒否し、いわゆる朝鮮の日本人拉致問題で朝鮮と対抗し、あくまで人質問題の解決を国交樹立の前提条件としている。朝鮮側は日本人拉致を否定している。

 小泉首相の今回の訪朝はこれらの問題を解決することができるのか。日本メディアの報道によると、今回の小泉首相の訪問のために、日朝両国は1年にわたって接触し続けた。今年826日に平壌で開かれた日朝外務省局長クラス交渉は2日にわたる会談が終わった後、日本人拉致事件および朝鮮に対する日本の植民地統治についての「歴史問題の清算」など多くの問題をめぐって、双方は9月に政治的決断を行い、同時に上記の問題を解決する目標に達するため、関係話し合いを続けるが、これらの問題に手がかりがあれば、双方は200010月に中断した両国国交正常化交渉を再開するという公文書を発表した。これを見てわかるように、小泉首相の訪朝は、双方の指導者がテーブルを囲んで両国関係について政治的決断を行うことが求められている。これは問題の解決に「イエス」しか言えず、「ノー」と言えない交渉のようである。

 日朝首脳会談は国交樹立という政治的障害が円満に解決される状況の下でのみ、成功を収めることができる。われわれは小泉首相の訪問が成功を収めるよう望んでいる。というのは、このような成功が東北アジア地域の安定に積極的な影響を及ぼすからである。