ファッションで青島を装う

――青島国際ファッション週間を取材して

李栄霞

 初秋の青島は空が晴れ渡り、空気が爽やかである。「ニューエラ、ニュートレンド、ニューファッション」をテーマとするファッションの盛会――2002年青島国際ファッション週間が96日から10日まで青島国際会議展覧センターで催された。

 ファッション週間は内外の有名な服装メーカーをひきつけ、千余りの展示コーナーは残らず貸し出された。組織委員会の説明によると、今回の展示コーナーは1106で、そのうち国際展示コーナーが260ある。フランス、デンマーク、イタリア、ロシア、日本、韓国および香港、台湾地区の400社近くの服装メーカーとデザイン企業、百余社の貿易企業が参会した。

 ファッション週間の期間に、内外の参会者は延べ10万余人、国内外の貿易成約額は281000万ドル、協力意向額は95000万ドル、プロジェクト投資額は12000万ドルに達した。

 中国のWTO加盟後の必要に適応するため、今回のファッション週間は対外開放のレベルアップに努め、国際的特色を突出させることに力を入れた。

 開幕式は国際ファッションデザイナーの作品の精華を濃縮し、作品は国際の有名モデルによって展示された。従って国際とリンクし、異彩を放った高水準のファッション週間であると言える。

 参会した外国企業は伊藤忠商事、韓国の東一産業、大邱市商会、米の3M社、日本の合田刺繍などの有名企業がある。国際的に有名なブランドはピェール・カルダン、バレンチノ、デュポン、CO&COなどがある。ロシアのファッションデザイナー代表団、日本の古川雲雪デザイナー代表団、韓国の大邱デザイナー代表団などが参会し、服飾と服装文化、ヨーロッパファッション業の製品の販売と交流、世界ファッションの流行趨勢、服装と環境保全などのテーマをめぐって、それぞれ自らの観点を紹介した。

外商の感受

 数年前に青島シャツ工場(青島海珊製衣株式有限公司の前身)と取引をした日本の業者は数多くの展示品を前にして、「海珊グループがこれほど強い実力があるとは思いも寄らなかった。海珊の製品がこれほど多くの品種があるとは思いも寄らなかった。海珊製品の技術がこれほど大きな進歩をとげたとは思いも寄らなかった」と感嘆し、ファッション週間終了後、海珊グループと商談し、海珊グループの日本における代理業者になりたいと表明した。

 初めて中国のファッション・ショーに参加した外国業者がたくさんある。マレーシアの嘉華工業(個人)有限公司はその中の一つで、同社は原料、紡績、プリント、アパレルなど各種製品を生産するグループ企業である。同公司の総経理は、現在までに、中国企業200余社とイタリア、韓国、日本の企業10社近くが同社と協力意向書を結んだ、今回のファッ・ショーンの盛況にはびっくりしたと語った。

青島のブランドが主役

 今回のファッション週間のブランド品の展示の中で、青島のブランドが目立った。紡績総公司、海珊、雪馳、紅領などのブランドは200着余りのファッションを出品し、青島のアパレルの新しい成果を展示した。

 青島は中国の近代紡績業の発祥地の一つである。現在、全市のアパレル輸出は1億着を上回り、輸出商品荷渡し額は35億元となり、70余りの国・地域に販売市場を持ち、輸出品種は背広、ワイシャツ、メリヤス下着、子供服、カジュアル、シルク服など十数品種ある。そのうち、背広、ワイシャツ、メリヤス下着は国際市場で一定の地位を占めている。2000年の紡績品輸出で12億ドルの外貨を獲得し、全市輸出総額の20%と全国紡績品輸出貿易総額の3%を占めた。

 アパレル業を大いに発展させるため、青島市は構造調整と産業のグレードアップを加速しており、紡績工業ゾーンとアパレル工業ゾーンを建設している。紡績工業ゾーンの計画投資総額は8億元、アパレル工業ゾーンの計画投資総額は20億元である。日本、韓国およびヨーロッパの一部の国ならびに香港・澳門・台湾の百社近くの企業は工業ゾーンに投資し、青島市アパレル業の発展のために確固とした基礎を築いた。

 孫加順青島市長補佐・経済貿易委員会主任は、われわれの目標は2005年までに、青島のアパレルと服飾企業を約1万社に増やし、そのうちスケール企業は約2000社で、3つないし5つの服装ブランドが中国の有名商標になり、8つないし9つの青島アパレルのブランドが中国のブランドになるということである。