台湾の「南向」政策に対する東南アジア諸国の答えは
投資はいいが、自由貿易協定はだめ

現代国際関係研究所南アジア・東南アジア研究所  ジアイ 崑

 ここ半年来、台湾は東南アジアで主に二つのことをした。一つは台湾の指導者陳水扁が7月末に「対東南アジア投資政策」を旗印とする第2ラウンドの「南向」政策を打ち出した後、呂秀蓮がインドネシアのバリ島を「遊覧」し、台湾の「経済部長」林義夫も前後して「投資視察団」を率いてフィリピン、マレーシア、タイなどの重点的な国を考察したことであり、もう一つは、台湾当局が絶えずASEANおよびその国と自由貿易協定(FTA)締結の可能性について探りを入れたことである。しかし、全般的に見て、ASEAN諸国は前者を重視し、後者を軽視する態度をとっている。

 1994年、李登輝をかしらとする台湾当局は「南向」政策を打ち出して、台湾資本の「西進」という大きな流れと対抗した。しかし、この政策は1997年の東南アジア金融危機の爆発によって名ばかりのものになってしまった。20027月末、陳水扁は「アジア台湾商会」で、大陸部は台湾の唯一の市場ではないと強調し、「世界に目を向け」、大陸部に過度に依存してはならず、リスクを分散させなければならないと台湾商人に呼びかけ、政府は「後ろ盾」として台湾商人の対東南アジア投資を支持すると語った。これはとりもなおさず台湾の第2ラウンドの「南向」政策で、その重点は「投資」にある。このため、台湾「経済部」の高官は、「ASEAN5カ国、つまりベトナム、インドネシア、マレーシア、フィリピン、タイなど東南アジアの5カ国に重点的に投資して、大陸部に取って代わる新しい市場とする」と語った。

 台湾当局は鳴り物入りで新しい「南向」政策を実行している。815日、台湾「行政院」は会議を招集して、「対東南アジア経済・貿易・投資関連措置強化」を制定した。台湾の最高指導層は自ら行動した。陳水扁が講話をする前に、台湾「経済部」の対外投資政策を主管する施顔祥次長はベトナムへ行って「台湾――ベトナム貿易協定」を締結することについて協議した。陳水扁が講話をした後、「副大統領」の呂秀蓮はインドネシアに「駆けつけて」、「初めての南向活動」を行い、世論も「総統府」が陳水扁のためにフィリピン、マレーシアを訪問する「休暇外交」を準備していると報じた。もちろん、最も忙しい人はやはり台湾「経済部」部長の林義夫である。彼は11月中旬に自ら「投資貿易訪問団」を率い、前後してフィリピン、マレーシア、タイを訪問し、これら諸国の経済相と会談しただけでなく、現地の台湾商人と懇親活動を展開し、「南向」のために道を切り開いた。

  台湾の「南向」政策は東南アジア諸国の思うつぼにはまるものである。ここ数年来、東南アジア諸国は外資が東北アジアに流れること対抗する力がなく、特に大陸部に流れる趨勢や、頻発する恐怖事件は東南アジアの投資環境をいちだんと悪化させた。台湾はずっとこれらの国が獲得に努力している主要な投資側である。現在、台湾の対東南アジア投資は累計418億ドルに達した。台湾はベトナムとカンボジアにとっては二番目の、タイとマレーシアにとっては三番目の、インドネシアとフィリピンにとっては五番目の外資の供給源である。バリ島爆発事件の発生後、台湾当局は適時に「南向堅持」のスローガンを打ち出し、東南アジア諸国は次次と積極的な措置をとって台湾資本の流入のために道を切り開いている。

  まず最初に、台湾との「閣僚級」会談を次々と回復した。今年819日、20日、フィリピンのロハス貿易工業部相は代表団を率い、台北に行って「フィリピン・台湾第10回『閣僚級』経済協力会議」に参加し、フィリピンは台湾と「対東南アジア投資政策」について正式に協議するASEANの最初の国となった。林義夫はこれを「南向の第1歩」と称し、双方はまた2004年にマニラで第2ラウンド協議を行うことを決定した。1110日から16日にかけて、林義夫はマレーシアを訪問し、台湾とマレーシアの3年間中断した「閣僚級」会議を回復した。1117日から19日にかけて、林義夫はタイを訪ね、10年中断した台湾とタイの「閣僚級」会議を回復した。次に、台湾資本を誘致する新たな措置を打ち出した。1028日、ベトナムの政府代表団は台湾に行って企業を誘致し、全力あげて優遇条件を提供することを承諾した。117日、タイ政府代表団は台湾に行って企業誘致を行った。タイはまた台湾商人に工業区域を推薦する、台湾商人が工場を建設する場所を探すのを援助するなどの優遇措置を打ち出した。マレーシアのラフィダ国際貿易工業部相は林義夫に、「台湾商人はマレーシアで期限1カ月の着陸ビジネスビザを獲得できる」と語り、台湾の保険公司がマレーシアで事務所を設立し、関係ある活動に従事するのを許可した。

 台湾指導者の講演と学術界の分析から、二国間の自由貿易協定(FTA)の推進は、台湾が「瀬戸際化されるのを防止する」基本的政策であることを見て取ることができる。早くも1986年に、台湾はアメリカと自由貿易協定を締結することを出したが、アメリカ側の婉曲な拒否に遭った。台湾がWTOに加入する前に、FTAの締結について若干の「国交」のある国と協議したことはあるが、WTOへの加盟に影響することを恐れて一時停止した。WTO加盟後、台湾はガットの第24条とサービス貿易総協定(GATS)の第5条の規定、つまりいかなるWTO加盟国は一定の条件にかないさえすれば、区域貿易協定あるいは関税同盟を締結することができるについて、FTAで大陸部の磁気のような吸引効果を防ぎ止める、東アジア経済協力から排除されることを防止する、締結国との政治安全関係を強化するグローバルな配置を実現することにある。

 11月行った東アジア指導者会議によって、東アジア経済協力は再び新たな段階に入った。台湾当局は10+310+1協力からはずされることに不満を覚えている。中国――ASEAN自由貿易区の正式な始動はなおさら台湾のFTA締結のさし迫った気持ちを刺激した。台湾当局はASEANと自由貿易区について協議することを提出したほか、またシンガポール、マレーシア、フィリピン、ベトナム、インドネシアなど国と二国間の自由貿易協定(FTA)締結について協議することを積極的に推進している。中国対外貿易経済部の石広生部長は、「中国は中国と外交関係を樹立した国が台湾と自由貿易区設置協定締結について協議することに断固反対する。なぜなら、台湾当局が自由貿易区の協議を手段として、実質的意義の『台湾独立』と『二つの中国』をやっているからだ」と語った。そのため、台湾が東南アジアでFTAを売りさばく行動は何度も挫折し、完成できない任務のように見える。台湾はシンガポールをFTA協議の突破口とすることを望んでいる。シンガポールは態度が最も積極的で、協議の難しさが最も小さいASEAN国であるが、呉作棟(ゴー・チョクトン)首相は、一番目に台湾とFTAについて協議することがないと語り、双方は協議するが、締結しない局面を形成した。フィリピンの貿易工業相は10月中旬、フィリピンが台湾とFTAについて協議する適切な時機をまだ考慮中であることを自ら林義夫に表明した。マレーシアは台湾ができればFTAと関係あることをASEAN事務局に報告して処理するのが一番よいと表明した。タイはFTA問題について台湾と討論することを回避し、双方の間に既存する「投資保障取り決め」は台湾商人の利益を十分に保障すると考えていた。

  次のことは注意に値する。たとえ東南アジア諸国が台湾とFTAについて協議せず、締結しなくても、台湾は10年も経営してきた「東南アジア経済ネットワーク」を通じて、その外交の空間を広げることができる。一は台湾商人の組織ネットワークである。台湾商人はASEAN各国に「台湾商会」を設立しただけではなく、「アジア台湾商会連合総会」という各大陸間の台湾商人組織を創立した。タイ、ベトナム、マレーシア、インドネシアの台湾商人は前後して独自に六校の「台湾商人子弟学校」を創立した。いままで、「世界台湾商会連合総会」の9名の総会長のうち、3名が東南アジアの台湾商人組織の人である。台湾商人は一般所在国の官員との個人的な交際が非常に密接である。二は金融、航空のネットワークである。台湾の金融界はタイ、マレーシア、シンガポール、フィリピン、インドネシア、ベトナムなどにも支店を設けている。ブルネイとラオスのほか、台湾航空公司はその他の東南アジア諸国で定期航空路があるだけではなく、それをたえず増やし、「台湾代表処」をまだ設けていないミャンマー、カンボジアでさえも台湾航空公司がチャーター便あるいは共同経営の方式で定期便を経営するのを許した。三は投資保証ネットワークである。台湾商人のASEAN諸国で受けた政府の保護は大陸部よりも具体的な保障がある。シンガポール、インドネシア、フィリピン、マレーシア、ベトナム、タイは台湾と「投資保障取り決め」を締結し、シンガポール、インドネシア、マレーシア、ベトナム、タイは台湾と「二重課税防止取り決め」を締結し、シンガポールとフィリピンは台湾と「通関一時許可証明書取り決め」を締結した。