資料二

海基会、海協会と「汪辜会談」

 19901121日、台湾の海峡交流基金会が台北に設立され、199139日正式に発足した。海基会は民間財団法人基金会の形で現われ、任務は台湾「行政院大陸委員会」の委託を受け、台湾当局が「処理するのが不便で顔を出せない両岸の事務」を処理することである。辜振甫氏が推されて海基会理事長に就任してから今日まで至っている。

 19911216日、海峡両岸関係協会が北京に設立された。海協会は海峡両岸の交流を促し、両岸関係を発展させ、祖国の平和的統一を実現することを主旨とし、活動の範囲は海協会の主旨に賛成する社会団体と各界人士との連絡と協力を強め、関係方面を助けて海峡両岸の同胞が交流する中で生じた問題を処理し、両岸同胞の正当な権益を守り、また関係方面の委託を受けて、台湾の関係部門と権限を授与された団体、人士と両岸交流の中の関係ある問題について話し合い、協議的文書を結ぶことである。汪道涵氏が海協会会長に当選してから今日まで至っている。

 海峡両岸関係協会は設立後、台湾海峡交流基金会と権限を授けられ、制度化した接触と会談のルートを正式に切り開いた。19923月から19956月にかけて、海協会と海基会は第1回「汪辜会談」を含めて各クラスの会談を17回行った。

 1993427日から30日まで、海協会と海基会は1年余りにわたって協議した結果、ついにシンガポールで両岸授権民間機構の指導者の会談――「汪辜会談」を行った。会談は「汪辜会談の共同取り決め」、「両会の連係と会談制度の取り決め」、「両岸の公証書使用査証の取り決め」、「両岸の書留郵便についての問合せと補償についての取り決め」の四つの取り決めに調印した。「汪辜会談」は成功を収め、両岸同胞の高度の評価を受けた。江沢民主席は「これは海峡両岸関係の発展が歴史的重要な一歩を踏み出したことを示している」と指摘した。

 「汪辜会談の共同取り決め」が1993530日に発効した後、海協会と海基会は両岸の交流に派生した四つの方面の問題について事務的会談を行った。台湾当局が両会の事務的会談の中で「両岸の分裂、分治」の政治的目的に達しようとしたため、事務的会談を17回も重ねたが、なにもすることができなかった。1995年の李登輝訪米が両岸関係を破壊したため、両岸の事務的会談がやむなく中止された。

 19981014日、海基会理事長の辜振甫氏が海基会参観訪問団を率いて大陸で6日間にわたって参観、訪問を行った。両岸双方は辜振甫氏一行の訪問を「参観訪問」と定義したが、辜振甫氏が50年ぶりに祖国大陸に踏んだ第一歩は、海峡両岸のハイレベルの責任者が50年来初めて祖国統一の根本的な問題について腹蔵なく意見交換をし、意思を疎通することであった。江沢民主席は釣魚台賓館で辜振甫氏夫妻と礼儀的会見を行った。

 1015日、辜振甫氏と汪道涵氏は上海新錦江ホテルで会見を2回行い、四つの共通認識に達した。1、両会は政治、経済など各方面を含める対話を行い、具体的なことは両会の責任者が協議して決める。2、両会間の交流をいっそう深め、両会の責任者の各クラスの相互訪問が含まれる。3、両岸同胞の生命と財産の安全にかかわる事柄に対しては、両会はその処理のために協力を強化し、互いに委託する。4、辜振甫氏は汪道涵会長の台湾訪問を招請する。汪会長はこれに対し感謝の意を表し、適切なときに台湾を訪れ、理解を深めたいと表明した。