いくらかゆとりのある目標の全面的な実現に
有利な条件がたくさんある

 国有経済改革からやり始める

 呉敬l氏は次のように述べた。

 いくらかゆとりのある社会を全面的に建設するには、国有経済改革からやり始めなければならない。

現在でも18万社の国有企業の財産権が中央によって集中的に行使されており、その体制改革も中央の各部・委員会の統一を経なければならず、財産権構造の改変は一歩進むのも容易なことではない。中央が重要な戦略的意義をもつ少数の企業だけをつかむならば、この数字は200社足らずになり、18万社近くの国有企業を省と専区クラスに下ろすならば、国有経済の改革と地方経済の振興は急速に行われるであろう。

 三方面のチャレンジ

 林毅夫氏は次のように述べた。

 中国は過去の23年間に年平均9.3%の伸び率を保ち、同じく東アジアにある日本とアジアの4匹の小さな竜は先進国の技術の導入に頼って40年の発展を維持した。そのため、今後の178年間に、「いくらかゆとりのある社会を全面的に建設する」という目標は実現の可能性が大きい。

「いくらかゆとりのある社会を全面的に建設する」という目標の実現は3方面のチャレンジに直面する。一は改革のチャレンジである。四大国有銀行の不良債権の比率は23%に達し、国有企業の改革は依然として経済発展の大きい負担である。二はグローバル化のチャレンジである。WTO加盟は中国の改革・開放以来の最大の戦略的調整であり、中国の市場は外国企業に全面的に開放し、国有企業全体の競争力ははなはだ憂慮される。三は発展のチャレンジである。「いくらかゆとりのある社会を全面的に建設する」ということは、中国人口の62.3%を占める農村人口もいくらかゆとりのある生活を実現しなければならないことを意味し、農村収入の格差と農民の負担を解決する唯一の方法は農村人口を都市へ移すことであるが、その場合、転入した人口の就職を解決することがカギとなる。

 質が速度よりも重要

 呉樹青氏は次のように述べた。

 「全般的にいくらかゆとりがある」とはレベルが低く、全面的でなく、発展がアンバランスな段階を指し、この時期の一人当たりのレベルが高くなく、農村と都市の格差がかなり大きく、すべての人がいくらかゆとりのあるレベルに達することができるわけではない。「いくらかゆとりのある社会を全面的に建設する」ということは十数億の人口に恩恵を受けさせ、レベルがさらに高く、内容がさらに豊富で、人民の得る実益がさらに全面的で、生活の質と共に豊かになることにさらに関心を持つ。

今のところ、中国はすでに20年間急速な発展をとげ、経済の基数が高くなった。さらに20年の発展を保つには、速度に頼るのではなく、より重要なのは質であり、「全般的ないくらかゆとりのある」段階が解決に間に合わないより深層、より複雑な問題を解決しなければならない。

 いくらかゆとりのある社会を全面的に建設するには資本市場の支持が必要である

 蕭灼基氏は次のように述べた。

 いくらかゆとりのある社会を全面的に建設するという任務を完成する中で、資本市場が比較的大きな発展をとげることが必要である。

 資本市場の発展は多方面の意義があり、企業発展のために資金の支持も提供すれば、国の公共福祉のために重要な財源も提供し、同時に改革を進める重大な措置でもある。

 資本市場発展の重要性を明確にすべきである。たとえば擬似経済と実体経済の関係を正しく処理することは、証券市場、先物市場などを含む金融市場を発展させることに、理論の根拠と政策の原則を提供した。