チェチェンはいつ平和になるか

 ――チェチェンはすでに国際テロリズムの戦場となっているが、いかなるテロ活動もチェチェン人民が平和な生活にあこがれる願いを揺るがすことができない。

李炳光(中国国際問題研究所)

 20021023日、チェチェンの不法武装分子はモスクワで千人以上の人質を拉致して、国際社会を大いに驚かせ、ロシアの「911」事件と称されている。1227日、チェチェン共和国首都グローズヌイの政府庁舎でたてつづけに自爆テロ事件が2件発生し、60余人が死亡し、150余人が負傷し、またもや全世界を驚かせた。この事件では、チェチェンのテロリストは新しいテロ手段を使って、テロ行為をエスカレートさせた。分析によると、このテロ活動の本質はチェチェン反逆者がモスクワ人質拉致事件に対する報復およびスタートしたばかりのチェチェン政治プロセスに対する破壊である。

 19999月、チェチェン戦争が再発した時、ロシア連邦軍は強大な勢いで、あっという間にチェチェンの不法武装をチェチェンの大部分の地区から追い出し、つづいて残った不法武装勢力を3年にわたって討伐した。しかし、多くの不法武装分子は依然としてグローズヌイおよびその南部にある山間地帯に隠れ、しばしばロシアのチェチェン駐屯軍を襲撃している。最近半年間に毎月軍人と警察100人以上が死亡した。2002年の秋、ロシア北コーカサス軍管区のヘリコプターが何機もチェチェン武装分子に撃墜され、多くの将兵が死傷した。その中に将軍と高級指揮官も数名いた。9月、グルジアからイングーシュと北オセティア共和国に逃げ込んだチェチェンの反逆者たちは連邦軍を襲撃し、グローズヌイにある軍事基地を拠り所として、24時間のうちに14回も進撃した。その日、チェチェンのその他の地区でも、駐屯軍が反逆者に襲撃される事件が何回も発生し、ロシア軍は数十人も死亡した。

 チェチェン各地の政府機関も反逆者の襲撃の重点的な目標となっている。マスクをかぶった武装分子は暗くなると街頭に出没し、もっぱらモスクワに親しい官吏、警察、教師、公務員に手を下している。チェチェンの住民はおっかなびっくりで、家を出たら生きて帰れるかどうかも分からない状態である。ロシア軍は多くの兵力を出動しているにもかかわらず、秩序を維持するのが難しい。往々にして軍隊が撤退すると、反逆者が巻き返してくる。戦争のため、チェチェンの市街区は廃墟と化してしまい、農場や工場が破壊され、学校が休校し、病院が休業した。住民はほとんど失業し、非識字者が急増し、病気が流行、蔓延している。

 8万人のロシア連邦軍はチェチェンで3年間苦戦したが、徹底的な勝利をかちとることができない。チェチェン反逆者が全滅されないばかりか、その気炎はますます荒くなっている。チェチェンの反逆者を支えているのはいったいどんな魔力なのだろう。

 プーチン大統領がモスクワ人質拉致事件が発生した時に指摘したように、チェチェンの反テロは国際反テロ闘争の一部分であって、単独の行動ではない。チェチェンの武装分子は国家を分裂させようとしているだけでなく、チェチェンも国際テロリズムの策源地となっている。彼らは1999年に悪名高い中世紀式イスラム国家を樹立することを公言している。チェチェン反逆者は中東の多くの国の極端勢力の支持を得ており、アルカイダやその他の国のテロ組織とも固定して連係を保っている。今でもチェチェンの不法武装人員の中にアフガニスタンとアラブ諸国から来た雇用兵がいる。チェチェン反逆者はまたヨーロッパの一部国の反ロシア勢力と非政府機構から直接か間接的な支持を得ている。モスクワ人質拉致事件の際、彼らは人質から奪った携帯電話でトルコ、アラブ連合共和国、サウジアラビアに電話をかけ、「雇い主」に状況を報告した。

 チェチェン反逆者の頭目マスハドフが10カ国の13都市に設けた事務所はいまでも運営している。彼らは「文化センター」の看板を掲げて、ロシア政府に反対し、反逆者のために寄付金を募る事をしている。国外に亡命したチェチェンの分離分子も「文化センター」を通じてマネー・ロンダリングや不法な麻薬密売、兵器密輸でかせいだ金を反逆者たちに渡している。1週間に10万ドルを送金した「文化センター」もある。「文化センター」の口座には数十のイスラム原理主義のテロ組織から寄付金が入っており、その中にバリ島爆発事件の容疑者であるインドネシア分離主義「カマト」派の送金もある。聞くところによると、サウジアラビアとアラブ連合共和国に亡命したチェチェン分離分子の寄付金だけでも1000万ドルに達している。

 チェチェン反逆者は優れた物質的生存条件を持っているだけでなく、ロシアの政府軍に匹敵する近代的な兵器・装備ももっている。昨年6月から反逆者たちは先進的な地対空ミサイルシステムとアメリカ製M-16自動小銃を使い始めた。同時に、チェチェンのテロリストはまた国外のテロリストトレーニングキャンプに派遣されて訓練を受け、そのあとチェチェンに戻って悪いことをしている。グローズヌイ政府庁舎の自爆事件はこれを証明している。ロシアの情報機関によると、最近ビン・ラーデンに仕込まれたチェチェンのテロリストはフランスの宗教極端分子の援護の下でチェチェンに潜入した。テロリストが採用し始めた新しいテロ襲撃手段はほかでもなく彼らが国外から「導入」したばかりのものである。ある意味から言って、チェチェンは国際テロリズムの戦場となっており、チェチェンの長期にわたる動乱は彼らが達しようとする目的である。

 長期の戦乱によって、チェチェンの住民は基本的な生存の基礎を失い、無政府の混乱状態に置かれ、法制がなくなり、犯罪や麻薬吸引や人身売買がはびこっている。これは新しいテロリズムを生み出す土壌となっている。モスクワ人質拉致事件後、プーチン大統領は真剣に考え直し、社会各界の意見を聞き入れて、対チェチェン政策を調整し、チェチェンの政治プロセスをスタートさせ、それを加速して、軍事管制状態を終わらせ、チェチェンにある駐屯軍をちくじ削減することに同意した。同時にチェチェン内務省を設置した。社会安全確保の必要に基づいて、警察の定員は12000人と暫時した。彼らは単独でテロリズムを取り締まり、社会治安を守る任務を引き受ける。連邦軍は20039月以前にチェチェン内務省にチェチェンを引き渡し、同地から撤退する予定である。

 現在、チェチェンで立憲活動が始まり、200212月末、チェチェン共和国憲法草案が公表され、20033月、国民投票で憲法が採択され、続いて大統領と議会選挙が行われる。同時にチェチェンの再建をスタートさせ、そのために、200211月、ロシア政府はわざわざチェチェン事務省を設置し、元チェチェン首相イリヤソフを大臣に任命した。これらの措置はチェチェン各界から歓迎され、積極的な影響をもたらしている。20021121日から1224日までに、隣接するイングーシュ共和国から帰ってきた難民は2500人に達した。1225日、チェチェン不法武装勢力の28人の中級戦地指揮官は自分の意志で兵器を捨てて、グローズヌイ政府に帰順した。

 チェチェンの政治プロセスが引き続き推し進められ、平和と安定が実現すれば、チェチェン南部の山間地帯に隠れている不法武装分子とチェチェン内外の分離分子は徹底的に政治プロセスの外に排除されるだけでなく、さらにはチェチェンの人びとの正常な生活からも排除され、国際テロリズムも長期にわたって運営してきた策源地を失うことになろう。

 国際反テロ闘争の厳しい情勢の下で、チェチェンの平和の道は困難といばらに満ちている。しかし、チェチェン分離主義が次々と行う重大な挑戦の前に、国家主権と領土保全を守るプーチン大統領の立場は少しも揺るがず、その反テロの決意がいっそう揺るぎないものとなる。チェチェン政策を調整する時は断固としてテロリストに妥協せず、反逆者頭目のマスハドフと交渉せず、その共犯者とも交渉しないことを重ねて言明した。グローズヌイにテロ事件が発生した時、プーチン大統領は夜通しに緊急措置をとって、救助と善後処理を行い、重要部門と施設の保護を強化した。軍隊と安全面の問題に照らして、北コーカサス集団軍司令官を解職する命令を出し、今回の非人間的なテロ事件は人民全体に反対する戦争であると語った。

 チェチェンのテロと反テロの闘争は長く続くだろう。しかし、いかなるテロ犯罪もチェチェン人民が平和な生活にあこがれる決意を揺るがすことができないと信じてよい。