医師の兼職を認める時期は熟したのか

 衛生部の関係者は200212月、管理を適正化することを前提に、2003年から医師の兼職を承認し、外部での無断診療行為には厳しく対処する、との考えを明確に示した。

 医師が所属する病院の許可を得ずに外部で診療行為を行っていることについて、衛生部の関係者は「こうした行為と、兼職の承認とは本質的に別のものだ」と指摘した。中央組織部と人事部、衛生部は2000年に『衛生関連非営利団体の人事制度改革の進展に関する実施意見』を共同で公布し、医師の兼職を承認することを明確にした。だが、医師の兼職の承認は無断診療行為ができることとは異なる。それは許可を得ない個人的行為であり、『中華人民共和国開業医師法』の関係規定に違反するもので、衛生部はこれに厳しく対処するとしている。

 社会主義市場経済体制が確立し、衛生関連非営利団体の人事制度改革が進むに伴い、衛生関連の人材は1つの職場が所有する、という枠組みは徐々に崩れつつある。衛生部の関係者は「医療衛生業界の特殊性を考えれば、医師の兼職は無条件であってはならず、管理を適正化しなければならない。まず、兼職する場合は、国の関係する法律や法規、機関の規約や関係規定を順守しなければならない。衛生部は近いうちに相応の管理運用法を制定し、兼職による医療行為をさらに適正化していく方針だ。次に、所属する医療機関の関係規定を順守し、本業を全うし、患者に責任を持ち、医療の質と安全を確保しなければならない。第3は、兼職で得た収入を透明化し、同時に税務機関の監督を受けなければならない」と強調している。

 あるメディアは、医師の兼職を認めるのは、国の衛生管理機関が医師は自由業者になれるとの姿勢を示したとも考えられ、これは医療資源の共有を実現するものであり、医療技術を広めると同時に医師の待遇を高めるものでもある、と分析している。

 職業上、死から救い傷を癒すことを宗旨とする医師に対し、兼職または自由業者になることを認める、との措置は全社会の関心を呼んだ。この措置は現在の医療業界の不正を正すのにプラスであり、無秩序な無断外部医療行為を秩序だって管理することができると評価する人もいる。だが、疑問を呈する人もいる。関係する管理措置はまだできておらず、この規定は医師を兼職による金儲けに浸りづけにし、職場での仕事に打ち込む気持ちをなくさせ、医師としての職業の健全な発展の促進に無益だと主張する。

無秩序から秩序ある状態に

 この問題について何人かの人に意見を聞いたので、以下に列挙する。

『人民日報』王軍氏:この数年来、医師による無断外部診療の問題が突出してきた。衛生関連の報道に携わる者として見ると、北京では、週末の診療行為者数は3桁にのぼる。特殊技術のある医師なら、1回の所得は数千元から多くて数万元と、本職の月給を上回ることが多い。利益があるから、多くの医師が無断医療行為をするようになる。

 こうした行為の横行は一面で、医療サービス分野での管理の欠落という問題を反映している。私的な行為は、自由がありまた隠蔽性が高く、衛生行政機関や医院は有効に管理できない。医療をめぐる紛糾や医療事故が起きれば、患者の権益の保障や医師の責任の認定などで、面倒な状況が生じることになる。

 その一方で、無断行為の増大は、患者の間に医療サービスに対する強い要望があることを物語っている。合法的かつ合理的な外部での医療行為は、多くの人が優秀な医師から診察を受けるのにプラスであり、地域間の医療水準の格差を縮小するのにもプラスとなり、医療従事者の研鑽や専門人材の報酬や待遇の改善にもプラスとなる。

 そのため、関係機関は兼職を禁じるのではなく、重要なのは、外部診療行為を行う医師に対する管理を適正化し、無秩序な状態を秩序ある状態に変えることだ。衛生部が示した医師の兼職を承認し、外部での無断診療行為には厳しく対処するとの明確な姿勢は、兼職と無断行為との境界を厳格にしたものである。この決定は大局に目を向け、現実を重視したもので、医師による無断外部診療行為を是正する上で非常に強い指導的な意義がある。当面の急務は、兼職の承認条件やその収入基準、行為をいかに監督するかなど、監督制度と具体的な規定を策定することだ。

外科医・呉明氏:週末に外部で診察しているが、受け取る収入は、僕の価値を示すものです。規定通りに別の病院で診察した場合は、100元しか受け取れず、厳格に言えば、この100元も病院に渡さなければいけない。週末の診察では、交通費は自己負担。それに、今は市場経済だから、週末に医師は本来休むことができる。でも、患者の生命や健康のため、またいくらか良い生活を送るためには、休みを犠牲にして手術をすることもある。十数時間におよぶ手術もあり、労働に基づく分配の原則から言えば、医師もかなりの補償を受けてもいいはずだ。それに週末の診察では、病人の家族が自ら望むもので、医師がいくら受け取ろうと過分にはならない。

中山大学腫瘍医院肝胆外科副教授・劉牟氏(仮名):週末診療にはメリットが多い。第1に、患者にとって、足を運ぶ面倒がなく、広州などの大都市に行かなくても手術が受けられ、家にいて高いレベルのサービスを受けられることです。多くのがん患者は病院の外来で診察を受けると、家族と一緒に2週間ほどホテルに泊まり、それから2週間かけて検査し、手術を待ち、手術後も家族は看病のために付近のホテルに泊まらざるを得ない。これでは多くのお金を使うことになる。第2は、末端の病院にとっては、技術がもたらされ、医師の要請に役立つからです。第3は、医師にとって週末は、より自由でより柔軟性のある活路、それにより良い待遇が得られることです。

医師の兼職に対し準備はできているのか

『中国青年報』・楊耕身氏:衛生部の責任者は、兼職と無断外部診療行為とは異なる、と再度強調し、「医師は科学技術者であり、自己を発揮させる才能や精神力があれば、兼職するのは良くないことではない」と指摘している。

 これはもちろん、悪いことではない。「自由な医師」の概念が明確にされたことから、医師の無断外部診療行為は早くから報道されてきた。週末の診察などは新聞紙でよく報道されているが、以前は多くが「マイナスの報道」だった。今ではその行為には「合法的な衣」が着せられたようだが……。

 そうは言っても、決して疑問があるという訳ではないが、どうしても問い質したいことがある。それは、医師の兼職に対し、われわれはほんとうに準備ができているのか、ということだ。

 第1は、職業道徳の面での準備だ。つまり、医師が兼職を許された後に公衆の要望にいかに対応するか。

 一部医療従事者の職業道徳・資質は低く、これは避けがたい事実だ。具体的に言えば、病人に対して冷淡で死に瀕していても救わない。金銭の要求や「謝礼」の受け取りなどが深刻であることで、公衆がこれを非難するようになって久しい。

 兼職する医師の患者に対する態度は必ず改善される、とも信じられるが、それはむしろ利益を受けることによる一種の行為であり、それによって目に余る状況が生じるのは必至だ。つまり、お金があるから、良い医療サービスが受けられ、お金が無いから、遅れた医療サービスしか受けられない、あるいは診察を受けられない、ということだ。実際、お金が無くて診察が受けられない状況が存在している。これに対して、われわれの職業道徳の確立、医療あるいは社会保障に関する制度はほうとうに準備ができているのだろうか。

 第2は、「謝礼」が合法化された後の医療に従事する医師の心理、つまり、どのように不公平にならないようにするか、いかに偏向を正すかだ。実を言えば、医師の兼職による出張診療報酬と、「謝礼」の受け取りあるいは要求とは別のことだとは思えない。現在、南京では出張報酬は一般に1000元、著名な医師なら更に高い。北京や上海では、名医の場合で56千元だ。このように高い費用は恐らく、一般市民は受け入れられないだろう。しかも兼職が合法化されれば、「謝礼」も合法的なものになるのは間違いない。

 そうだとしても、最も重要なのは、その結果、医師が「利を図る」集団に化さないか、一部の医師が兼職で儲けることに専念し、職場での仕事にどれだけ一生懸命になれるのか、ということである。これに対して、われわれは更に良い方法あるいは更に完備した措置を準備しているのだろうか。

 専門家が語るように、医師の無断外部診療行為は、簡単に禁じるのは正しくないことであり、また放任するのも良くない。早急に関係する管理規定を策定して、適正・完備させていく必要がある。

 関係機関はより慎重に審議して制度面の準備を進められると信じている。だが、職業精神や医療に従事する医師の心理、この面では、単なる制度の整備で積極的、健全な方向へと向かわせられるものではない。それを深く憂慮する。

江西省の読者・朱新美さん:医師の兼職は、儲けられるところがあれば、更に多くのお金が儲けられるところがあればそこに行く、というものだと思う。兼職であれば、医師は当然、兼職する病院に常に留まっていることはできず、手術が終わればすぐに離れ、また別の儲けられるところに行ってしまう。手術後の仕事はその病院が自分でやらなければならなくなり、病人が急変しても、すぐに自由業者としての兼職医師を探し出すのは難しい。医療事故が起きたり、あるいは患者が医療機器で不測の事態に遭えば、高額な医療費を支払った上に、更に高額な医療鑑定費を払うことになり、患者にとっては泣きっ面に恥になるのでは……。

 自由業者というのは、私の理解では、自己に依存してある業種で造詣を深め、絶えず自らの価値志向を調整して、発展に向けてより良いチャンスを模索することだと思う。医師も例外でない。自由業者としての医師は、自己の目標としてソフト、ハード両面で一流の病院を選択してもいいし、また収入の良い病院、更には政策が許すなかで自ら開業し、あるいは別の病院で兼職することを選んでもいい。ただ、自由業者としての医師はその他の自由業者とは一緒くたには語れない。コラムニストのように、原稿の内容が悪くてメディアが報道しなくてもそれでいい、という訳にはいかない。芸能人のように、演技が下手ならばチケットは低くなるだけ、ですます訳にはいかない。人の生命や健康に直接かかわるために、少しでも慎重さに欠ければ、患者は這い上がれない深い淵に落ちることになってしまう。

 兼職に追われ、本来の仕事に二の足を踏むようなことにでもなれば、病院の名誉を傷つけることになる。本人の職責を副業とし、兼職で儲けることを本業にするやり方は、自由業者とは、また医師の本来あるべき職業道徳とは相容れないものだと思う。

 衛生部の高官が、医師は自由業者であることは既に撤回できないものだ、と言っている以上、兼職が将来的に事実となるのは筋が通ってはいるが、関係機関は頭脳を明晰にする必要がある。医師が自由業者になることは、政策的に決まれば執行機関はすぐに行為を起こし、それがブームとなり、有効に管理すると言っても、表面から見れば、自由業者は実際は人々の健康にかかわる職業医師であり、むしろそう簡単ではなく、また実施後に対策を講じのは難しくなる。これまでの事実が教えているように、新しい職業が生まれる場合には先ず、初期の段階で適正化させることが必要で、引き返せなくなった段階で策を講じようとしても“後の祭り”となってしまう。困るのは患者ばかりではない。ひいては政府の信用も……。