景勝地の市場化は必要か

 建設部の汪光とう部長は1月7日に開かれた全国建設工作会議で、「景勝地は企業に管理を任せることはできず、経営の委託や賃貸経営、経営権の譲渡などの方式で景勝地の計画・管理、資源保護の監督といった職責を企業に担わせることはできない。景勝地については、関係する規定に基づいて行政管理機関を設立する必要がある。管理機関の主要な職責は資源を保護し、監督・計画を実施することだ。景勝地内の施設の維持・修理、緑化、環境衛生、保安などは、競争方式で契約を結んで専業企業に担わせる」との考えを改めて強調した。

 景勝地の保護事業が始動したのは、1979年から。国務院は1985年に『景勝地管理条例』を公布。現在、国指定の景勝地は151カ所を数え、国土面積の約1%を占める。

 20年近く、とくにこの数年、最大限の利益を追求しようと、盲目的あるいは過度に景勝地を開発する傾向が多くの地方で出てきた。また景勝地を売却しようとする地方政府もあり、富豪や大企業も購入の意欲を示している。こうした現象は社会各界に強い衝撃と議論を巻き起こし、多くの人が個人あるいは企業による景勝地の運営に反対している。

 このため建設部は2002年8月に「景勝地の管理機構は行政と企業を分離させなければならない。管理機構の職責は資源の保護、計画の執行であり、計画・管理と監督の責任を企業に担わせてはならない」との規定を制定した。

 では、「全民が共有する資源」としての景勝地は一体、いかに合理的に活用し利用すべきなのか。市場化はできないのか。企業に任せて管理を統一させれば、景勝地は利益のみを追求する道具と化してしまうのか。行政による管理を実施し、引き続き景勝地を国に任せていけば、発展が制限されることはないのか。所有権や経営権はいかに分離するのか。企業は景勝地を運営してはならない、との国の関係機関の姿勢は明確だ。だが、いかに景勝地を開発するかが依然、社会各界共通の関心事となっている。これについて、報道関係者に聞いた。

企業は運営できないとの規定は必要ない

 『江南時報』景志強氏:景勝地の運営を企業に任せられないのは、企業が無茶をして、従来良かった景勝地を極端に商業化し、その姿や雰囲気を変えてしまうのでは、と心配するからに違いない。社会各界のこうした憂慮は少しも道理のないものではない。だが、考えを変えてみれば、企業の参入への心配は、一部の人の主観的な判断である。社会は今、市場化に向けて発展しており、人々が投資して商売を行うには何であれ市場とは無関係ではなく、市場運営の範囲外行うことはできない。景勝地は社会生活の一部であり、その円滑な運営には市場化は必要ないというは、過去の計画経済の国と政府が統括していた時代に戻るということではないのか。数年前に経費不足で景勝地が修復できなかったことがあるが、その轍を再び踏むということではないのか。しばらく前、江蘇省人民代表大会は、蘇州の庭園は社会各方面が管理するとの規定を採択した。企業による運営管理、また個人も管理できるとしており、景勝地の社会化された管理にプラスとなる試みだ。

 主管機関は企業に景勝地を運営させることはできない、との考えを打ち出しているが、それは企業が政府機関の管理に基づかず、景勝地をそれ以外の目的に使用して、景勝地を破壊するのではと憂慮していくからにほかならい。主管機関のこうした憂慮は少しも道理のないものではない。事実、企業に運営を任せてはいないが、管理機関は社会からかなりの経営管理能力のある人材を招聘せずに管理を行い、円滑に管理されている景勝地も一部にある。それに反して、市場の運営管理に基づかない景勝地では、運営は不備が理由で維持が難しいのではなく、国や管理機関に依存しているのが理由であり、それはあたかも過去に経験したいわば「半死状態」のようなものだ。これでは景勝地の秩序ある発展を妨げ、管理を正常化できず、観光客を増大させるのは難しく、景勝地はそれ自身がもつ特徴や優位性をうまく発揮することができないため、観光客により多くのサービスを提供し、地方経済の発展に寄与できないことになる。

 政府は景勝地を保護する立法作業を早急に進め、景勝地の開発と管理を法律・法規の管理の下に置いて、法に基づいて管理していくべきだ。また景勝地の各事業者への法執行状況に対する管理と監督も強化する必要がある。どのような方法で景勝地を管理するかについては、どんな事業者が運営を実施するかが重要であり、主管機関が細かなところまで口出しする必要はなく、また企業は運営できないとの規定も必要もない。

企業による景勝地運営は近視眼的な行為

 『雑文報』張鎮強氏:歴史的名所を政府や個人の利益取得の場とするのは、短期的に見れば、人々とくに富豪に娯楽に興じさせるために提供するようなもので、長期的に見れば、環境全体が破壊されて、後世の人々はそれを享受できなくなる。こうした姿勢にはかなりの功利主義と個人享楽主義が見られる。中国は世界文化遺産や観光地の最も多い発展途上国であり、この面で近視眼的また功利的な姿勢がひときわ顕著である。この20年近くの間、観光業を発展させて利益をあげるため、数多くの名山や大河、名勝の地ではどこも開発が進んでいる。景勝地の張家界武陵源は、「都市化の傾向」と「断崖観光エレベーター運営」で国連の高官から二度批判された。とくに甚だしいのは、景勝地を富豪や大企業に売却しようと考えている地方政府があることである。2002年上半期に新聞で報じられたが、ある富豪が開発・経営するため10億元で桂林の名勝の地を購入しようとし、十堰市政府は4億元で武当山の道教の聖地と、国務院が唯一「仙山ろう閣」と命名した景勝地を香港の富豪や大企業に売り出そうとした。

 経済が立ち遅れ、生活水準が低いために、人々が自然資源を利用して早く豊かになろうと焦り、長期的な発展を省みないのが主因である。だが、一部の中央また地方の政策決定機関には長期的な視野に立った卓見に欠け、長期計画もなく、ひいては経済大国という奇跡を早期に達成するためには略奪的な自然資源の開発や利用は惜しまないとの姿勢もまた、重要な原因となっている。

 歴史的名所が不当に扱われるには、ほかにも重要な原因がある。一部の政府主管機関に長期展望がなく、権限が過度に集中し、公民の自然資源を私的財産と見なし、欲しいままに処分し、各方面から意見を聞こうとしないことである。憲法の規定によれば、すべての自然資源は国の所有、全公民の所有であり、いかなる政府機関も相応の手続きを踏まず人民の同意を得ずしては、勝手に競売に付したり個人に賃貸する権利はない。だが、多くの名山や大河の一部売却案件は、ある主管機関が決定したものであり、人民代表大会常務委員会すら知らず、ました議論して採択などとは言わずもがなである。

 公共資源の乱用と浪費を防止し、生態環境の重大な破壊を防止するためには、最も抜本的な方法は関連するメカニズムの変革であり、全公民の財産を真に全民所有制にして、全公民が使用と保護について共に話し合うことである。中国は中国人全体の中国であり、その自然資源も中国人全体のものであり、中国人一人ひとりが、いかに自然資源を使用するかに関する意見を知り、また意見を述べる権利を有している。少数者やそれぞれの地方政府が自然資源の処分権を独占している状態に終止符を打つ時代が訪れている。

所有権と支配権の関係を円滑にすることが鍵

 『中国青年報』魯寧氏:不動産開発業者が資金を提供して景勝地を飲み込もうとし、それがブームになると、また業者が直接飲み込もうとすると、専門家や学者、一般市民からは必ずこぞって反対の声が上がる。

 論じられるのは、開発業者と世論の争点は眼前の利益と長期的な利益、投資利益と生態環境の取捨だが、実際はそうではない。その背後には景勝地の資源をめぐる「両者の権利」争いが隠されている。軽視し続けさえすれば、この本質的な問題は回避され、たとえ世論が道徳的な批判を繰り広げ、生態の保護を日々叫んだとしても、景勝地の資源は、最終的に“食われてしまう”まで飲み込まれ続けていく。

 現行の法律は、景勝地の資源は国の所有に属し、理論的には中央政府が人民全体の意志を代表して所有権を行使する、と規定している。だが実際には、所有権は経済学でいう概念的な意義に過ぎず、そこから派生する支配権や使用権、開発権、収益権こそが所有権の実質だ。国内には景勝地が数多くあるが、所有権理論から言えば、中央政府のみがすべての再生不可能な景勝地の資源の開発、使用、維持、収益を唯一代表することになる。だが、新中国建国から今日に至るまで、国によるこの所有権の行使を確保するにふさわしい制度は設けられていない。

 計画経済時代、各クラスの政府はいずれも“同じ釜の飯”を食べ、所有権を配分する制度が欠落していても直接、国の所有権と地方の支配権に矛盾がもたらされることはなかった。だが市場経済の時代になり、とくに中央と地方の財政が分離されて以降、地方は全体の利益に従うことを前提に地方としての合理的な利益を有するようになった。それでも両者の利益の境界線は曖昧模糊としているが、実際の運営では地方の利益が恒常的に全体の利益を占めている。地方の利益と全体の利益の区画に柔軟性が欠けているからこそ、地方の利益が常に不当に拡大され、全体の利益が圧縮され続けている。具体的に景勝地の資源が勝手に飲み込まれているのは、まさに国の所有権と地方の支配権による「両者の権利」争いによってがもたらされた必然的な結果だ。

 大規模かつ伝統的な景勝地資源をめぐる所有権と実際支配権の争いは中央と地方に見られるだけでなく、中央の各機関の間にも直接現れている。大規模な景勝地では、観光や国土、林業、水利、建設、文化財管理といった各“諸侯”がいずれも管理権(所有権の別の表現形式)を行使している。政府自身の「計画」から「市場」への職能の転換もまだ着実なものではなく、それが管理と収益の分離を難しくさせている。そのため各機関は中央政府を代表して管理権を行使する際に協力姿勢を取ろうとはせず、その結果、景勝地資源の国の所有権は一段と弱体となり、地方の実際支配権が一段と拡大することになった。

 市場経済の秩序ある運営は法理と制度で保障される。市場でのある分野、ある段階で制度的な隙間があれば、その分野、その段階に無秩序と混乱が生じるのは当然のことだ。真摯に言えば、不動産業者が何ら省みることなく開発しようとするのは、まさにその隙間を狙っているからだ。

 問題の解決には、その病巣の所在を突き止めなければならない。景勝地資源の国の所有と地方の実際支配をめぐる矛盾は、「両者の権利」争いの「点」に過ぎない。「面」から見れば、鉱山や水利、石油・天然ガス資源などにも同様あるいは似通った利益争いが存在している。この種の非理性的な「両者の権利」争いという難題を解決するには先ず、理論を展開できる十分な勇気を持つことだ。そうすれば制度面でも変革がもたらされるだろう。