都市化の進展を加速

中国は農村余剰労働力を移転し、農民の収入を増やし、いくらかゆとりのある社会を全面的に建設するため、都市化の持続可能な発展戦略の実施を速めている。

    馮建華

 劉臘梅さんが過去江西省都昌県周渓鎮農村の普通の女性であり、貧乏でぶらぶらする暮らしをしていた。2001年末に新たに建設された小さな町に移住してから、生活に根本的な変化が起こった。

 農業に従事していたとき、家の耕地が少なかったため、植えた食糧は一家4人の食事を賄うこともできなかった。一年のうちに、家にこもる日が多かったため、農閑期に同郷の人たちと仲間を組んで周辺の都市へ行って果物を売ったり、臨時雇いになって働いたりしたが、毎回稼いだ金は往復の車代にやっと足りる程度だった。

 町に移住してから、ぶらぶらする暇がなくなった。初めは野菜や果物を売るような小商売をしたが、仕入れも速く、値段も安いため、商売はますます盛んになった。そこで、劉さんは商売の規模を拡大し、品種を増やした。

 収入の増加につれて、劉さん一家の生活もずいぶんよくなった。これを最も深く感受したのは劉さんの下の息子である。彼はテレビで見た新しい玩具と絵本を手にしてほかの子供たちの前に見せびらかされるようになった。

 劉さんは都市化の利益を受けた一人にすぎない。統計によると、1990年から2001年までの11年間に、中国では年平均小都市が800余り増え、約1000万人の農村人口が都市部に移し、11年間でその人数は合計1億人を超えた。

 現在、中国の都市化は中期段階に入っており、その発展も加速される動きを見せている。1980年の都市の比率は19.4%に過ぎなかったが、2001年末は37.4%に伸び、20年間で18ポイント上昇し、都市部の人口も2億人足らずから5億人に増えた。

大勢の赴くところ

 工業化と都市化は現代化の双生児であり、両者は協調して発展しなければならない。中国は1978年の改革・開放実行後のかなり長い期間に、主として工業化に頼って経済の発展を推し進めてきたが、都市化の発展は工業化の発展に追い付かなかった。

 中国小都市改革発展センターが提供したデータによると、2001年の中国の工業化率は44.4%であったが、都市化率はそれより7ポイント低いものであった。世界に公認されている両者の合理的な比は1.4〜2.5であるが、1980年から2001年までの中国の比は0.44から0.85に上がったものの、はるかにそれに達していない。

 都市化が工業化に遅れを取っていることは、ある程度において非農産業での農業人口の就職難をもたらした。1990年代中期以降、農産物の供給がバランスに向かったため、農産物の値段が下がり、農村余剰労働力が急増し、非農産業と都市・町に移転せざるを得なくなった。中国農業部の最新統計によると、都市部の第2、3次産業に入って半年以上働いた農村の余剰労働力は約9200万人いる。しかし、産業構成の調整によって、労働力集約型企業の多くはぞくぞくと資本集約型企業に変身し、これによって、1996年から農村労働力が工業部門に排斥される現象が現れ、1996年から2000年までに吸収した農村労働力は合計171万人減少したことが統計で明らかされた。

 都市化発展の立ち遅れは第3次産業など非農産業への農村余剰労働力の移転に影響を及ぼしただけでなく、一連の社会矛盾と問題も生じた。そのうち、最も突出しているのは農民の収入増のスローダウンと都市・農村住民の収入の格差の拡大化である。

 国家統計局のデータによると、2002年1月から9月まで、農村住民の一人当たり現金収入は1721元で、前年同期比5.3%増えた。都市部住民の一人当たり可処分所得は5793元で、前年同期比17.2%増えた。2002年の都市・農村住民の収入の格差は3対1に拡大され、1978年以来格差の最も大きい年となった。また、農村住民の1月から9月までの現金収入のうちに、主に出稼ぎで獲得した賃金性収入は578元に達し、農民の現金収入増加額の半分を占めた。これは、農村住民の収入増の主なルートがすでに都市部の非農産業に変わったことを物語っている。

 「さまざまな事実が表明しているように、都市化推進の加速は経済と社会発展の必然的な要求であるだけでなく、いくらかゆとりのある社会を全面的に建設する戦略的な手段でもある。というのは人口の大多数を占める農民が都市化の過程に身を置いてはじめて、経済成長の成果、つまり、就職、収入増などを最大限に分かち合うことができるからである」と中国小都市改革発展センター政策研究処の何宇鵬処長は語った。

存在している問題

 中国の都市化は快速発展の時期に入っているが、都市化推進の過程で次のようなないがしろにできない問題もいくらか現れた。

 @都市化を誤って都市建設と認めた。都市化の快速進展を示すため、一部の地方の指導者は地元の経済力と客観的需要を顧みず、広場、花園、自動車道路などの「イメージ工事」を盲目的に建造している。また、「都市の規模」を拡大するため、農地まで徴用したが、地元政府の財力が限られたものであるため、農地が徴用された農民の多くは然るべき土地占用補償金をなかなか得られない。彼らは別の活路を探し出せないため、どうしようもない境に置かれてしまった。

 国の関係部門が最近河南、陝西など31省の規模の異なる都市を対象にして行った調査によると、調査対象の80%を占める小都市では地元の実状に適しない広場や花園が建設されているか、またはそのように計画されている。そのうち、陝西省長安県の面積がわずか3平方キロのある小さい町にはすでに二つの広場ができ上がり、また2年内に1000万元を投じて面積1万平方メートルの十字路中心広場1つと十字路中心花園4つなどメルクマールとなる施設を建造する計画である。

 曽東平さんも農村から新たに建設された小都市に移住したものである。彼がいる小都市は立派だが、祝祭日以外の日頃に繁栄の風景を見せず、移住してきたすべての新住民に就職の機会を与えることもできない。彼は数回も露店を出してみたが、商売が思わしくないためやめてしまった。農村に戻ろうかと考えたこともあったが、耕地が地元政府に徴用されたためあきらめもした。いま、曽さんを悩ましているのはどうしたら活路を探し出せるかということである。

 中国小都市発展センターの李鉄主任は、就職、産業発展などの問題を解決することが都市化の主な目標であり、都市建設のレベルアップはこの目標を実現するためにとった重要な手段の一つにすぎない、と見ている。一部の地方の指導者がうわべの繁栄を一方的に追求することは、誤って手段を目標にしているのであり、その結果は「都市化の主要目標に背く」ことになる。

 A統一した企画がないため、都市としての競争力が何かと知らないのが都市化進展に現れたいま1つの問題である。産業構造の面での雷同はそれである。例えば、ハイテク産業の発展見通しが明るいため、多くの小都市は一斉にそれを支柱産業としている。金を借り入れて大規模なハイテクパークをつくるところさえある。このため、都市の経済力が消耗されただけでなく、隠れた金融危険が起こる可能もある。

 また、都市管理の立ち遅れ、都市企画の審査・認可権限に対する監督と責任追究メカニズムの不備なども問題である。

持続可能な発展を保つ

 中国建設部の仇保興副部長は次のように指摘した――都市化の推進には持続可能な発展を突出した地位におき、さまざまな天然資源を合理的に開発、使用しなければならない。このため、都市化建設に重点を置き、郷鎮企業と農村サービス業の発展と結びつけなければならない。

 何宇鵬氏によれば、都市化の持続可能な発展を保つには、経済力と市場メカニズムを主要な推進力とし、行政の力に頼って推進してはできない。1つの地方が都市化を推進することができるかどうかのカギは当該地の経済の活力、つまり都市化が当該地の経済発展、とくに第3次産業の発展を促進することができるかどうかを見なければならないことである。

 第16回党大会の報告も次のように強調している――小都市の発展は現有の県都と条件を備えた行政区画を基盤とし、インフラ建設投資を相対的に集中させ、1つの県や1つの地区を経済の凝集点にして区域全体の経済発展を促さなければならない。小都市の発展は平均主義を行ってはならない。

 政策決定の盲目性が都市の発展に影響を及ぼすことを防止するため、都市企画と建設の過程で、完備した政策決定システムと重要な事項の社会公示制度をつくり、都市企画や建設、管理政策の科学技術程度を高め、政策決定の論証制と責任制を確立して、科学的でない上級指導機関の意志を避けるべきであると何氏は見ている。

 都市化の持続可能な発展がぶつかった資金不足の問題を解決するため、中国政府は外資およびさまざまな社会資本の都市部のインフラ建設市場への参入基準をちじく下げている。例えば、建設部がこのほどオランダと、中国西部のある小都市の投資額約3946万ユーロのインフラ建設協力プロジェクトに調印したことがそれである。