卒業生の異なった選択

封せい

高楠さんのスタンダードとする就職コース

中国人民大学財政金融学院金融学部卒の高楠さんが歩んだのはスタンダードの就職コースである。

大多数の大学4年生と同じように、前半の学期から高楠さんは自分の求職資料を用意するとともに、次々といくつかの目標の部門に郵送した。高楠さんは自分の専門をかなり気に入っており、同時に金融は今社会で非常に必要としているものだと考え、そのため、求職の際に考慮したのはいずれも専門と関連のある分野の部門、例えば会計士事務所、銀行などであった。

そしていくつかの部門の筆記試験と面接試験に参加し、筆記試験は基本的に問題がなかったが、最初の何度かの面接試験はうまくいかなかった。高楠さんによると、主な原因は経験不足で、試験官の質問に対する答えは、方法やタクティックをまったく重んじてはいなかった。その後、求職の講習に参加し、ウェブサイト上で求職の方法についての紹介をたくさん見て、求職は自分のありのままの姿を知ってもらう過程であるばかりでなく、求職の知恵を示す過程でもあることがわかった。その後、彼は求職の中でこの点に気をつけ、いくつかの部門の最終面接試験にパスした。

先般、高楠さんは最終的に中国銀行との契約にサインした。7月中旬に入ってからこの銀行の職員となるわけだ。最終のポストはポスト講習に参加してからやっと知ったのである。高楠さんは、どんな仕事をやるにしても全力を尽くしてやり、自分は4年間も専門の勉強をしてきたのであり、かなりの学習能力があり、事に当たって真剣に取り組み、落ち着きを失わず、そのため、仕事の能力があるとともに、職場でよりいっそう自分を磨くことができると語った。

高楠さんは、まだ自分が中国銀行で手にする給料が具体的にどれだけかを知らないと語り、すでにそこで働いている先輩の話によると、銀行に入りたての大学卒の基本給は高くはないが、銀行には恐らくよりよい福利措置があるということであった。

高楠さんが学んだ中国人民大学財政金融学院はここ数年ずっと非常な人気であった。彼は4年前に639点、自分のいた地域で6番目という大学入試の成績でここに入ったのである。現在、自分の選択が正しかったと思っている。

高楠さんによると、大学4年生の求職活動の中で、彼と彼の学友は確かにプレッシャーを感じたが、それほど深刻なものではなかった。事実、最終的に彼と彼の学友たちはみな職を見つけることができ、ほとんどの人はかなり満足している。

機会を見つけて自主的に創業する王天海さん

周りの学友が仕事を探すのに忙しいか、仕事を探してその職場の人間になりきろうとしているのと違って、北京理工大学応用物理学部力学専門コースの王天海さんは最近車を買うことで頭がいっぱいだ。彼は自動車販売市場に何度か行って、ローンを組んで20万元ぐらいの車を買うつもりで、頭金の6万元は自分の貯金、家庭の支援に頼り、友達からしばらく借りることにした。

卒業したばかりの人間にとって、車を買うのは尋常のことではない。王天海さんによると、そう決めたことには2つの原因があり、ひとつは現実に必要であるからであり、もうひとつは自分にプレッシャーをかけることであった。現実の必要について、彼は、大学にいる頃からより広い社会とのつながりを作り上げていたため、現在、すでに一部の会社の業務にも参加しており、外出の機会も非常に多く、車を買って交通の問題を解決しなければならなかったからだと語った。

王天海さんによると、卒業間近の時には、ほとんどの学友と同じように、ある部門との契約にサインして職員になることはほとんど考慮していなかった。ほとんどの部門の卒業生との契約の期間は5年であり、もし自らの選択が間違いだと気づいたら、5年の代償を払わなければならないからだ。王天海さんは自分の経験と能力に対する判断により、自分にとって、卒業後に1つかあるいはより多くの自由業に従事し、経済と経験面からメリットのある部門に就職することより大きいと見ていた。そして機会さえあれば、自主創業することも願っていた。

王天海さんは大学1学年の時から社会の実践に参加し、それはほとんどコンピューターおよびインターネットと関係があり、たとえば、学校ネットワーク協会の活動を担当し、社会のコンピューター・ネットワーク会社で兼職して電子商取引による販売をしたり、技術プレゼンテーションの講師などをしたりして、その中にはベンチャー投資がネットワークのフィーバーの時に創設して、その後また急速に消えていった小さな会社もあり、インテルのような著名な会社もあった。彼の大学生活はまさに中国のコンピューター・ネットワーク業がひっそりした存在からフィーバーへ、そしてまたフィーバーからひっそりとしたものへという時期を経験し、王天海さんはその中に身を置いて多くのことを勉強し、広範な人間関係を作り上げ、これは重要な資産だと思っている。これらの経験と人間関係のために、在校期間に彼はかつて多くの会社と学校、会社と会社の間の協力に加担したことがあった。

王天海さんによると、これらの社会活動は確かに自分の学業にひびいたし、学業の成績はかなり普通であったが、自分の専門を心から好んでいるのでもなく、卒業後専門分野の仕事にも従事したくないという気持ちであった。高校卒の時はまだ物事をわきまえておらず、専門の選択も盲目的であり、もしもう一度選択することができるならば、恐らく金融の専門コースを選ぶことになるかもしれなかった。

王天海さんが大学で勉強した専門は現在の就職の中ではそれほど注目されておらず、同じクラスの28人の学友の中で、半分近くの人はまだ願いどおり北京で満足のいく就職口を見つけてはおらず、北京に残りたいと思っている多くの学友はすでに郷里に帰って更に求職活動をするつもりである。

より大きな発展のために大学院の試験に参加したいと考える黄欣さん

北京理工大学法律学部法律学専門の黄欣さんは卒業する前の年には、ずっと就職か、それとも外国留学かと悩みつづけていた。

法律の専門は数年前は非常に人気があったが、ここ2年間に事情が変わり、社会の法律の人材に対する需要はますます高いレベルへと傾け、本科の卒業生が満足な仕事を探すことは容易ではなくなった。黄欣さんはこの点をはっきり見てとり、そのため、彼女はさらに上の学校へ入ろうと考えている。彼女はかつて外国に留学しようとかと考え、英語もとっくに国の英語等級試験の6級にパスしており、言葉の上では困らないが、その後、彼女は、国外の法律専門の奨学金を獲得することはほとんど不可能であることを知り、自分は法律の専門が好きで、留学のために専門を切り換えることには納得できなかった。国内の大学院で引き続き勉強することはひとつの選択であったが、しかし彼女の多くの学友は彼女に、今後は就職がどんどんむずかしくなり、特に女性であることもあり、更に3年間費やして修士コースの勉強をするよりも、今機会を捉えて仕事を探したほうがよく、まず足場をつくることがよいとアドバイスしてくれた。

黄欣さんはためらいながらも、ある広告会社の試験を受け、最終の面接試験にパスし、この会社は彼女に非常に満足の意を表し、入社後の初任給は4000元であり、今後職務の昇進に従って、「ベースアップ」は問題がないことも知った。しかし、再三考慮した後、彼女はやはり断念した。専門を捨てることが惜しかったからである。

最後に、黄欣さんはしばらく就職せず、国内で法律を引き続き勉強することにした。今年はもう機会を逃してしまったので、彼女は来年1月の大学院の試験に参加するつもりである。

黄欣さんは、もともと大学院の試験に参加したいと思っていた学友は、家庭の経済事情あるいはその他の考えでそれをあきらめた。今では、学友たちのほとんどはすでに職場を見つけ、一部の人たちはかなり満足しており、一部の人たちの達成目標は最初期待していたものとはたくさん隔たりがあると語っている。