強化と発展の段階に入った上海協力組織

許 涛

中国現代国際関係研究所

 モスクワ首脳会談は上海協力組織が真の意味での国際協力組織となったことを示している。

 上海協力組織の第3回首脳会談は5月29日にモスクワで開催された。胡錦涛国家主席は中国の新しい世代の指導者として初めて会議に出席し、ロシア連邦、カザフスタン共和国、キルギス共和国、タジキスタン共和国、ウズベキスタン共和国の指導者とともに、世界と地域の重要な問題について意見を交換し、この組織のさらなる発展など一連の問題を検討し、協力メカニズムの発展を促すための関係文書に調印した。

 会談終了の際、6カ国の首脳は会談の重要な成果を具現する「上海協力組織加盟国首脳の宣言」を発表した。この宣言は、「上海協力組織憲章」の法的地位を確認し、相互信頼、互恵、平等、提携の新しい安全観を樹立、実践することを表明し、反テロ闘争が国際法の準則と原則を基礎とすべきであり、反テロということを特定の宗教や国および民族に反対することと同列に論じてはならないと指摘し、地域の安全システムの構築が各側の利益および立場にむらなく配慮し、すべての国・組織と安全分野における建設的な協力を展開すべきであることを明らかにし、地域経済発展の促進を地域の安全と安定を保つ重要な手段の一つとする決意を表明したものである。同「宣言」は上海協力組織の活動の方向と指導思想を定め、ユーラシアの重要な協力組織が創立初期から安定発展の時期に入ったことを示すものである。プーチン大統領が指摘したように、今回の会談の重要な意義は、上海協力組織が真の意味での国際協力組織となるようにしたことである。

 上海協力組織の発展過程は、当面の国際関係において新しいタイプの国家関係の樹立を目標とし、相互信頼、相互提携を基礎とする新しい安全観を唱導する重要な外交的実践である。この実践活動は早期の対話や交渉の形態から本格的な地域的国際協力メカニズムの方向へと発展をとげており、それに伴い、この組織もますます国際社会の注目を浴びるようになっている。

 この組織の前身である「上海5カ国」首脳会談メカニズムは、中国と旧ソ連の四つの加盟国の冷戦終結前における交渉の成果を受け継ぎ、過去から残された国境紛争と軍事衝突を解決するために確立したものである。これは当時の情勢の下で各国が平和的建設に転じる重要な前提であるばかりでなく、地域全般の安定と安全の差し迫った必要でもあった。国際情勢と地域情勢の発展につれて、「上海5カ国」会談の第6回首脳会談では、会談メカニズムが正式に上海協力組織に格上げされた。しかし、「9.11」事件発生後、アフガンでの国連の軍事行動の展開が中央アジア地域の地政学的情勢の急変を引き起こし、上海協力組織の正常な発展環境は大きな衝撃を受けることになった。そのため、この組織のメカニズム構築の強化は、凝集力を増強し、活力を高めるための重要なルートとなった。6カ国の首脳は会談で、中国の張徳広氏が同組織の最初の議長を担当することを認め、常設機構が2004年1月1日までに発足することを決めた。また、その他の国・地域と建設的な協力を展開することが会議で提起された。これは上海協力組織の周辺諸国と協力を行おうとする念願を表わすものであり、アメリカが中央アジア地域に進出することへの態度をも示すものであった。

 それと同時に、地域の力関係の複雑化につれて、数年にわたって中央アジアで乱を起こしてきたテロリズム、分離主義、過激主義という三つの悪勢力、および不法移民など多国間犯罪の性格をもつ組織犯罪は、依然として各国と各地域の安全と安定をゆゆしく脅かすものとなっている。とりわけイラク戦争の影響によって、中央アジア地域に潜在している社会的要因に激動が起こり、それが深刻化し、地域の安全情勢はよりいっそう複雑化している。「タリバン」、「ウズベキスタン・イスラム運動」、「ヒズブ・タフリール」などの宗教的過激主義組織はまたも力をかき集め、この機に乗じて混乱を引き起こそうと企んでいる。このため、首脳会談は三つの悪勢力を取り締まる緊迫性を重ねて指摘し、地域的テロリズム、分離主義、過激主義を取り締まる面での国際協力の重要性をまたも強調した。キルギス共和国のアカエフ大統領はイラク戦争が勃発してまもなく次のように指摘した――この戦争は中央アジア地域の安定に破壊的な影響を及ぼすものであるが、その悪影響を取り除く効果的な方法は、各国が上海協力組織と独立国家共同体の安全条約組織など地域的安全協力の枠組みの下での密接な協力を強化するほかにない。首脳会談の促進の下で、上海協力組織国防相会議は、今年の秋に国境を接する中国、ロシア、ガサフスタン、キルギス、タジキスタンの5カ国を組織して合同軍事演習を行うことについての覚書に調印した。これは昨年中国とキルギス共和国の軍事演習に次ぐ上海協力組織加盟国の初めての合同軍事演習となり、地域的テロリズムを取り締まる軍事力を強化し、地域の安全と協力がより効果的な、実務重視の方向へと発展することを大いに促すことになる。

 今回の首脳会談は、社会の深部から着手してテロリズムを生み出す温床を取り除くための会談であり、上海協力組織がこの地域におけるその他の安全協力組織と異なる重要な側面を示すものである。それはまた、「貧困、失業、愚昧、人種や民族、宗教の差別をなくす」ことを闘争や安定擁護の重要な方向としており、これによって安全と発展を有機的につなぐことになった。上海協力組織の枠組みの下での経済貿易協力は早くから展開されてきたものの、地域内のさまざまな要因の制約によって、その発展は低いレベルにある。地域情勢の発展につれて、地域の長期にわたる安定を保つ根本的な方法は経済の持続的な発展のほかにはなく、ヨーロッパとアジアの経済発展の環境の特異性によって、各国は手を携えあってこそはじめて、ともに利益を得る発展の条件を形成できることが、各国の指導者にはっきり意識されるようになった。胡錦涛主席は会談の席上で、経済協力は上海協力組織の重要な基礎と最優先の方向であると指摘し、まず交通運輸とエネルギーの分野での協力から始め、上海協力組織の枠組みの下での経済貿易協力がいち早く成果をあげるようにすることを提案した。

 これまで、上海協力組織への加盟をはっきりと申し出た国とこの組織に濃厚なる興味を示した国もあった。しかし、上海協力組織の創設はまだ日が浅く、さらなる強化と発展が待たれ、関係の規約と法案がまだ充実していないため、利益関係によってその他の国や組織を対話国、プロジェクト協力パートナー、オブザーバーなどさまざまなフェーズのものに確定されることになろう。そして、上海協力組織は引き続き政治、安全、経済・貿易など多くの分野における加盟国の効果的な協力に力を入れ、ともに地域の平和、安全、安定を擁護、保障し、民主、公正、合理的な国際政治経済の新秩序の構築を推し進め、効果的な協力で世界の平和と発展の事業のためにより多くの啓示をもたらすことになろう。

上海協力組織の大きな出来事

▽1996年4月26日、中国、ロシア、カザフスタン、キルギス、タジキスタン5カ国は上海で首脳会談を行い、「5カ国の国境地域で軍事分野における信頼を強化することに関する取り決め」に調印した。

▽1997年4月24日、「上海5カ国」はモスクワで「5カ国の国境地域での兵力相互削減に関する取り決め」に調印し、その後、5カ国首脳メカニズムが正式に確立された。

▽1998年7月3日、ガサフスタンの首都アスタナで開催された「上海5カ国」首脳会談で、民族分離主義、宗教的過激主義を取り締まる戦いが初めて「上海5カ国」協力の主要な任務とされ、「石油と天然ガスのパイプラインなどのインフラ施設、鉄道、道路、水運、空輸など分野における大規模の長期的な協力も5カ国の協力日程に組み入れられた。

▽1998年8月25日、キルギス共和国の首都ビシケクで開催された「上海5カ国」首脳会談で、テロリズム、組織犯罪、兵器密輸、麻薬売買など多国間犯罪活動を取り締まる任務がさらに職能化された。

▽1999年12月2日、ビシケクで開催された5カ国の法律執行部門の指導者安全協力会議で、ビシケク・グループという「上海5カ国」メカニズムの下でのテロ取締りの専門機構が発足した。

▽2000年7月5日、「上海5カ国」首脳会談はタジキスタンの首都ドゥシャンベで開催され、数年にわたって国内の過激派の宗教活動の災いをこうむってきたウズベキスタンはオブザーバーとして会談に出席した。

▽2001年6月14日、「上海5カ国」メカニズム発足後の6回目の会談が上海で開催された。

▽2001年6月15日、「上海5カ国」首脳会談は正式に「上海協力組織」に格上げされ、ウズベキスタンは6番目の加盟国としてこの協力メカニズムに加盟した。

▽2002年6月7日、「上海協力組織」はロシアのサンクトペテルブルグで2回目の首脳会談を開催し、「上海協力組織憲章」に調印し、正式の地域的な協力組織の目標に向かってのカギとなる一歩を踏み出した。