朝鮮核問題の危険の中にあるチャンス

中国国際問題研究所副研究員 時永明

朝鮮戦争停戦50周年を記念するに当たり、朝鮮半島の情勢は日ましに人びとを憂慮させる局面が現れ、人々は歴史を考えると同時にどうしても現実に対し心配を表明せざるを得ないでいる。

今年4月に入ってから、朝米双方の間の相互対立行為が絶えずエスカレートしている。一方では、アメリカは多国間協議を行うことを打ち出し、同盟国も連絡して朝鮮に圧力を加える方式で朝鮮が北京会談で提出した案を拒否した。他方では、朝鮮は核兵器を保有することとアメリカからの軍事打撃に対応するなどの問題のうえで調子がどんどん高くなっている。それと同時に、米朝双方は軍事面でもともに積極的に準備を進めている。まだ一触即発の状態に達していないとはいえ、ほとんどそれに近い状態にある。強硬な方式で相手に圧力を加える面で、双方の手段がすでに基本的に飽和状態に達していると言える。更にエスカレートすれば臨界点に触れる可能性がある。

現在、朝鮮半島で戦争が勃発するのを予想することはもはや人騒がせな言論ではなくなった。しかし、戦争そのものは決して遊びごとではない。当事の双方にとって言えば、自ら求めている目標と目標を実現する手段、および支払う代価を必然的に真剣に熟考しなければならない。戦争を選ぶことは、双方にとってはどちらも失敗の策略である。戦争の代価が政治目標の失敗を招く可能性があるため、協議による解決は依然として米朝双方が選択できる唯一の活路である。アメリカは今日の世界で匹敵するものがない超大国として、戦争と平和の問題の上でいっそう能動的な選択権を持っているようである。

アメリカにとって言えば、なにことも完全に気兼ねしないで、思いのままにすることができるものではない。東北アジアにおけるアメリカの主要な利益は恐らく自分の抑制権を守ることにある。朝鮮の核兵器がこのような権力に対し最も直接的なチャレンジを構成しているが、今日の朝鮮半島南北間の関係から見て、アメリカが軽率に軍事手段で問題を解決すれば自業自得になる可能性がある。まず、軍事面から見て、アメリカは完全に自らの海空の力に頼って、しかも日韓にある軍事基地を利用しないで、朝鮮の核施設に対し外科の手術式を行うように破壊する能力があるかもしれないが、アメリカは朝鮮に手向かう機会を与えないのを確保することができない。次に、政治面から見て、アメリカもここから生まれる地縁政治危機がアメリカの政治的利益に損害をもたらす重大さを確定することもできない。ますます微妙になる韓米関係から見て、アメリカが単独行動主義の方式で朝鮮に対し軍事行動をとれば、自らに朝鮮半島の民族全体の敵にならせるとともに、半島に対する政治的影響力を失う政治的リスクを冒す可能性がある。アメリカが朝鮮政権の消滅を目標として朝鮮に対し軍事行動をとれば、アメリカが目的を達成することができるかどうかをさておき、アメリカが払う生命と物質の代価だけについて言っても、アメリカのような政治体制が耐えられるものではない。

事実上、アメリカ国内では、戦争の手段で朝鮮の核問題を解決することに対し依然として制約の力が存在している。アメリカ国内でブッシュの「悪の枢軸」説に反対し、交渉を行い、適度に経済の代価を払って朝鮮の核問題を解決することを主張する人が大勢いる。その中の代表性を持つ人物はアメリカ共和党のウェルダン下院議員である。ウェルダン氏は朝鮮の核問題を解決するために今年5月末から6月初めにかけて、アメリカの国会議員団を率いて朝鮮を訪問した。7月初め、ウェルダン氏は2歩に分けて朝鮮の核問題を解決する10項目の提案を公表した。ブッシュ政府はまだウェルダン氏の提案に態度を正式に表明していないが、大統領選挙を控えた政治敏感期がまもなく訪れる時に、問題を処理するに当たってこの提案自体が持っている政治的影響を完全に考慮しないことができない。そのため、内外の制約要素から見て、アメリカは戦争手段を選ぶのが難しい。当面、アメリカが主に考慮しなければならないのは自国の安全保障に対する朝鮮の要求にどう答えるかの問題である。アメリカは核兵器の開発を許さない、朝鮮に安全の約束を与えないという2つの限界を同時に守るのは不可能である。このようにすると、ブッシュ政府は道徳面で苦境に陥るだろう。

朝鮮にとって言えば、核問題のプロセスの中で朝鮮は自国の目標が安全保障にあると声明している。そのため、核実験がアメリカの我慢できる最後の限界であれば、この敷居をまたぐとアメリカの軍事打撃を受ける可能性がある。そのため、核実験は朝鮮に安全をもたらすことができない。朝鮮が核兵器保有を抑止力とすればアメリカは戦争を発動する勇気がないと思うなら、朝鮮もそのあとに加えられる可能性のある長期の経済制裁と政治、軍事のプレッシャーに対応する準備をちゃんと整えておかなければならない。朝鮮は経済面でいっそうまずい立場に立たされる可能性がある。朝鮮が冷戦終結時に最初の東アジア地域経済発展の大きな流れに参加するチャンスを失ったあと、新しい世紀に東アジア地域に経済一体化の動きが現れ始めた時、またも歴史的発展の機会を失う可能性がある。このような結果は、アメリカの一部のシンクタンクの人物の言う「つぶしていく戦略」のわなにかかる可能性がある。そのため、朝鮮が核実験を行っても自らが必要とする安全を手に入れることができないとほぼ断言することができる。だから、現在でも、依然として朝鮮の若干の行為をアメリカ・イラク戦争後、アメリカの軍事攻撃に対する憂慮およびむりやりアメリカに自らの意図にしたがって協議させるために行った反応性の行為であると見なすことができる。朝鮮が求めているのはやはり協議による問題解決であり、しかも、核開発計画を放棄してもよいと何回も表明した。朝鮮が現在考慮しなければならないのは、いかにして歴史にこだわらずに、現実に面と向かい、時機と情勢を推し量り、機会を捉えるかである。今日の国際情勢では、たとえ多国間協議に直面しても必ずしも朝鮮にとって不利になるとは限らない。カギは朝鮮がどのように把握するかにある。

報道によると、関係諸国が8月下旬に米朝二国間協議と地域内諸国が参加する多国間協議を同時に行う可能性は大いにある。このような交渉方式はある程度地域の現実的な需要を反映している。米朝が協議問題の面で言い争っている問題の1つは二国間協議かそれとも多国間協議かである。主な原因は朝鮮が核問題は米朝間の政治問題であると見なしているが、アメリカがこれは地域の安全問題だと見なしていることにある。双方の観点はどちらも道理があると言うべきである。核問題の起因と発展の過程から見れば、それは確かに米朝間の政治問題である。しかし、核兵器自体が周辺諸国の安全にもたらす影響から見れば、それは地域の安全問題なのである。米朝間が二国間協議を行うとともに合意に達するなら、問題はすぐ解決することができると言える。しかし、1994年の朝米の「枠組み合意」の失敗はこうした二国間合意が脆弱であることを教えている。東北アジア地域の政治構造から見て、この地域の持久的な安定と平和を保障するには、効果的な多国間の安全協力枠組みが確かに必要である。もし信頼できるやり方で朝鮮の核問題を解決することができなければ、東北アジア地域に安定を保たせるのは難しい。同様に、朝鮮にとって、自国とアメリカの実力上の雲泥の差を自国の力だけに頼って二国間合意の中で自国の安全の目標を保障付きで実現するのは、かなり難しいことである。そのため、朝鮮も同様に地域的な按配が必要である。朝鮮はこの点を認識すべきである。今回のウェルダン米下院議員の提案の中に地域保障同盟の内容が含まれているが、聞くところによると、この提案は朝鮮の考えに大変合っているという。だから、朝鮮にとって、二国間協議と多国間協議を同時に行うことは自らが心配する問題を永久的に解決するきわめてよい機会となるはずである。