「終身教授制」は人材保護かそれとも人材破壊か

 2003年の初め、上海華東師範大学の62人の教授が「終身教授」の招聘状を受け取り、中国で制度改革によって生まれた最初の「終身教授」となった。これらの終身教授の中にアカデミー会員が二人おり、いずれも学科の学術リーダーであり、学術に従事する新しい世代の育成と学科の発展の面で重要な役割を果たしている。

 マスメディアによると、ここ数年来、大学の研究成果はたくさんあるとはいえ、重要かつ創造的な成果が少ない。その重要な原因の一つは、教師の職務遂行考課の短期行為で、教師が中長期の重要な研究プロジェクトを実施できないことにある。終身教授は大学での一定期間の講義、研究の作業量に対する考課を受ける必要はなく、招聘されれば、任用期間は定年までである。そのため、終身教授は解任される圧力がなく、大学の終身教授特別手当を支給され、研究と講義に打ち込むことができる。

 「終身教授制」について、これは中国の大学が人事制度改革に向かって踏み出した重要な一歩であり、優秀な人材を引きとめ、重要かつ創造的な研究成果をあげるよう促進する面で積極的な意義があると報じるメディアもあれば、それを疑問視し、大学教授の仕事の情熱と能力をすり減らす可能性があり、利益より弊害の方が多いと見る人もいる。

このような終身制は必要

 山東省臨く第1中学の馬玉順氏  豊かな知識を持ち、教育と研究能力の強い教授を「終身教授」に招聘するのは、彼らの仕事の積極性と創造性を十分に引き出すのに役立ち、国と教育にとってためになることである。教育と研究はそれなりの法則があり、ともに短期間で著しい効果をあげられる仕事ではない。とくに基礎科学の研究と創造的成果の開発は数年ないし数十年の刻苦な努力が必要であり、教育と研究のエリートを「終身教授」に招聘すれば、彼らの後顧の憂いをなくし、一意専心教育と研究に打ち込むようにさせ、国の科学の進歩と経済の発展に対し重要な推進的役割を果たすだろう。言うまでもなく、今の職名資格評定にはかなりの弊害が存在しており、毎年の招聘や3年ごとの招聘などの短期行為および論文の数によって等級を決めるやり方は、多くの教授に短期間に成果をあげるプロジェクトを求めるようにさせ、基礎科学の発展と教育の質的向上に著しく影響を与えている。華東師範大学の「終身教授制」は教育と研究の法則に合致し、「終身教授」たちは一意専心教育と研究に打ち込むことができるので、私は両手を挙げて賛成する。

 読者の呉蘭友氏 華東師範大学の62人の教授は終身教授に招聘され、中国大学の初めての終身教授となった。このため、「鉄の茶碗」を回復したのではないのかという疑問をもつ人もいる。

 終身教授制は西側諸国の大学から導入したものである。政府機関、企業などの部門が終身制を実行していない国で、なぜ大学教授に対し終身制を実行するのが分からない人もいる。

 実際には、研究は刻苦な頭脳労働で、多くの科学者や学者が俗世間の名利を度外視し、ひいては個人の人生の幸福を犠牲にして、生涯の精力をささげる必要がある。同時に、研究は大きなリスクを伴う活動である。天才であっても、際立つ成果をあげるには、往々にして数年、十数年ないし生涯の模索が必要である。いまのような高度に専業化した社会で、最先端に立つ教授たちの生存には大きなリスクが存在している。そのため、文明社会は教授のリスクを減らす制度である「教授終身制」を発明したのである。学者の党国英氏は終身教授制は怠けものを生むのではないかということについて、シカゴ大学経済学部主任を何期か担当したことのあるD・G・ジョンソン教授に聞いてみた。ジョンソン教授は怠けものはもちろんいるが、大多数の終身教授は努力を続けるだろうと答えた。

 現在、中国の多くの大学は終身教授制を実行していないばかりか、逆に教授の論文発表量を基準とする考課制度を推し広めている。このような考課制度は研究活動の上調子な気風を助長し、学術上の腐敗の蔓延をあおり立てている。また、ここ数年来、大学の研究成果はたくさんあるが、重要かつ創造的な成果が少ない。その主な要因は教師の職務遂行考課の短期行為が教師に中長期の重要な研究できないようにしていることにある。復旦大学歴史地理研究センター主任の葛剣雄教授によると、学術課題やプロジェクトをやれば、2、3年で完成するように要求されているが、彼が編集主幹として編集した「中国移民史」という本は実際には11年かかった。どうしても短期間に出させるのはなぜか。賞をもらうため、プロジェクトの実施を認めてもらうため、重点としてもらうため、博士ステーションを設置するため、さまざまな欺瞞的手段をとるのが、いまのところ普遍的な現象となっている。

 例えば、昨年の初めに明るみになった北京大学博士コース指導教官の剽窃事件では、当事者の王銘銘(40歳未満)は北京大学博士コース指導教官であり、北京大学の入選者が5人しかない「百千万人材プロジェクト」に組み入れられ、、「国家教育委員会が優秀な若い教師を資金面から援助する基金」を獲得し、教育部第2回大学青年優秀教師に選ばれた。王銘銘の著述はとても多く、専門家は「王銘銘は西側の最も先進的な人類学の理論を中国に系統的に紹介し、西側の理論で中国の社会問題を研究している」と評価した。このような有為な若い学者は意外にも他人の著述を剽窃したのである。ほんとうに信じられないことだ。しかし、北京大学の人材使用制度を見れば分かるだろう。1999年、同大学は人事制度を改革し、競争してポストにつくことを強調し、従来の「終身教授制」を打破した。このような強い圧力の下で、一部の教師は上調子になり、早く「成果」を出し、多く「成果」を出さざるを得なくなったのである。

「終身教授制」は実行しないほうがよい

 「江南時報」のきょう大中氏 私は「終身教授制」を実行しないほうがよいと思う。このような利益より弊害の方が多いやり方は、教授に短期行為を避けさせることはできるが、そのマイナス面はたくさんある。

 人事制度改革について、私は、一貫して終身制を断固打破することを主張している。終身制を打破してこそはじめて人間の活力と潜在力を十分に引き出すことができるのである。私は、大学教授が「終身教授」になって、「解任されるプレッシャーがなくなり」、大学の終身教授特別手当を享受して、「鼠を捕らない猫」になるのを心配している。

 全般的に言って、学術研究はゴールドエージがあり、この期間に成果を最も多く出し、学術のレベルも最も高いものである。これも自然の法則に合致する。人は一定の年になると、レベルが低下するのは避けられない。

 人間性は弱点があるから、私「仕事はあまりしないが金をうんともらう」とか、「さぼる」とか、「仕事に惰性がある」とかは、「生まれつき」のものであると思う。大学教授は「高級インテリ」ではあるが、これだけで「道徳の高尚な人」の部類に入れると大間違いである。近年に一部の大学教授が剽窃するとか麻薬を製造をするとかのスキャンダルはこの点を十分に物語っている。大学教授は「終身教授」になるために仕事に励み、努めるかもしれないが、「終身教授」になってから怠けたらどうするか。世の中に変らないものはないのである。

「終身教授」の招聘は先に延ばすべきだ

 読者の蘇衡彦氏 終身教授は先進国の一流大学が優秀な人材を引きとめ、大学の学術の声誉に重要な貢献をした教授に報いる招聘手段の一つであるが、それはこれらの大学で長年形成された大学運営など一連の整った制度とセットになって行われるものである。しかし、当今の中国の大学の社会評価システムはまだ完全なものではなく、学術界の気風は上調子な状態にあり、大学の内部体制管理は改革と革新が待たれている。このような状況の下で、慌てて国内の大学で「終身教授制」を実行すれば、どのようにしてそのマイナスの効果がプラスの効果より大きくならないように保証するのか。沿海都市のある大学の教授は「わが大学は10年来評定を経て招聘した教授や博士コース指導教官の人数は増えたが、発表できる国際一流の成果が減っている」と語った。国内の大学は「終身教授」の招聘を先に延ばしたほうがよい。

 現在、まず大多数の大学の「年度考課」の方式と内容を改革すべきである。最近、上海交通大学は年俸と個人の目標申告を結び付けて実行するのは一種の革新である。「1年」だけでなく、「二年」、「三年」ないしもっと長くてもよく、学者に一定の範囲内に自ら選択させる。もちろん、公正な考課方法、考課過程の公開、公平な考課基準はなおさら重要であるが、実行の難度も小さくはない。