身近になった温家宝氏

田 許

 新任の温家宝総理の故郷は天津市北辰区宜興埠鎮。だが、故郷には温氏自身や家族に会ったことのある人はほとんどいない。温氏は1942年の生まれ。6世代がここに住んでいた。祖父は1949年に温家胡同8号(当時は2号)から、同市南開区に引越ししている。1982年、温氏は宜興埠に戻って近くにある老人協会を視察したことがある。

 温氏が通ったのは天津南開中学。故周恩来総理や鄒家華元副総理の母校でもあり、3氏は学校の誇りだ。学校には中学時代の温氏に関する資料が一部保存されている。

 卒業後、温氏は北京地質学院に合格。成績優秀で、地質構造専門の大学院生となった。

 1968年2月、大学院在学中に実習生として甘粛省地質調査隊に参加し、後に副隊長となる。1979年に、甘粛省地質局に配属された。

 温氏は地質調査隊で仕事をしていた時、蘭州大学地質地理学部を卒業した張培莉さんと出会う。彼女は蘭州市に住み、甘粛省地質局で岩石の鑑定に携わっていた。二人は1970年代に結婚する。

 温氏にとって、地質調査隊での生活は心の支えだった。地質調査局第四地質調査院弁公室の王氏によると、2002年9月に酒泉に視察に訪れた際、温氏はわざわざ職場に昔の戦友を訪ねてきたという。地質鉱産局のある責任者は「甘粛省には昔の同僚や友人が多く、温氏は今でも連絡を取り合っている。鉱産局の先輩によると、温氏は人に非常にやさしかった。同期の幹部では、修士号をもつ職員は非常に少なかったが、温氏は謙虚で学問を好み、配属されたばかりの技術者と技術改造プランについて熱心に話し合うこともあった」と話す。

 温氏は1985年春、中国共産党中央弁公庁副主任に任命され、1986年に建国以来7代目の中央弁公庁主任に昇格した。就任後、帰宅する日が少なくなり、目だって痩せていった。

 「温氏と一緒に仕事をしたり、会議をしたり、視察したりするのは日常的なことだった。それでも勤勉に仕事をし、非常に周到で真剣そのものだった。私たちが起草した文書に毎回、真面目に目を通して修正したり、句読点を打ってもくれた」。部下はこう振り返る。

 また、ある部下は「非常に質素な生活を送り、仲睦まじい家庭だった。家に呼ばれたことがあるが、中南海から近いところで、4部屋あったが大変質朴な雰囲気だった。指導者を尊敬し、他人が身近に感じる人間、というのが温氏の姿勢で、日常の仕事においても、すべての指導者を尊重し、非常に身近に感じさせる人だった」と話す。

 温氏は1987年、第13回党大会で行う政治報告の起草作業に参加。当時、温氏と議論を交わした起草者の1人だったある学者は、「彼の鋭い目つきや洞察力、沈着冷静な姿勢、強い親近感がまだ記憶に残っている」と語る。

 そして1992年、中央政治局委員候補に。職務は繁多を極めたが、この期間にマクロ経済調整の経験を徐々に積んでいく。

 1998年に発生した超大規模な洪水は中国のみならず、温氏にとっても試練の場となった。全国干ばつ・水害対策本部の本部長として、3カ月間に5度、被災地の九江に足を運んだ。被災者の浸水した家を訪れては、農民に体の調子や生活などについて尋ね、ぬかるみの道を10キロほど歩いては、堤防の危険な状況を把握し、堤防を守る兵士や人民にやさしい言葉をかけ、水利専門家や地元の責任者と時を置かずに応急措置を検討した。

 湖北省洪水対策室の責任者は「この時に、温家宝氏の人となりを感じた。実に実際的で、少しもいいかげんにしない姿勢が見られた」と話す。

 2000年に河北省豊寧県を視察した時のことだ。党委員会書記によると、温氏は事前に予定していたコースは取らず、飾り立てられていない農村に足を運んだ。「農村という基層部の実情を目の当たりにして、都市部との格差を実感したのでは」と書記は語る。

 視察に訪れると、事前の準備もなく、決まって突然車を止めさせ、降りては地元の民衆と言葉を交わし、基層部の人たちの考えを理解しようとした。温氏をよく知る高官はこう話す。

 2002年11月21日、第16回党大会が閉幕すると、温氏は部下を率いて貴州省の貧しい山間部を視察。当時すでに中央政治局常務委員に選出され、職責も益々重くなっていたが、実務に励み、大衆に近づこうとする姿勢はいささかも変わらなかった。

 今年1月2日には、零下20度という厳寒の地、山西省呂梁山一帯に住む貧しい農民や低所得者を慰問した。各家を回っては農民と膝を交えて話し合い、収穫の予想や経済的負担、小中学校の教育など、様々な要望に耳を傾けた。

 大晦日は中国伝統的の一家団らんの日だ。今年の春節(旧暦のお正月)は遼寧省阜新市の炭鉱労働者を慰問。飛行機を降りると温氏はすぐさま、車で2時間ほどのところにある阜新鉱業グループの艾友鉱を訪れた。深さ720メートルの立て鉱に降りて、変電所や水ポンプ室、作業調整室を見て回り、生産や安全状況などを確認したほか、坑道車に乗って作業の様子を視察。夜には坑道車のレールの上に座り、労働者と一緒にギョウザを食べて新年を祝った。

 阜新鉱業グループの一時帰休者は約1万人と、労働者総数の4分の1に当たる。温氏の視察は石炭業界への激励だと、多くの労働者が感動したという。