さらなる発展を目指す深セン市

深セン市は中国の改革開放の最前線として、経済の発展が全国で最も速いと言われている。改革開放の新しい情勢のもとで、特恵政策の恩恵に浴することができなくなる深セン市にはまだ強味があるのか。経済特別区の歴史的使命はこれで終わったのか。深セン市証券取引所の新株発行の停止は深セン市の経済と将来にどんな影響を及ぼすことになるのか。金融業は深セン市の経済全般においてどれぐらいの比率を占めているのか。深セン市はどういうふうに強味を保ちながらさらなる発展をはかるかなどは深セン市が直面する新たな課題であろう。

于幼軍深セン市市長は、経済特別区の「特別」を特恵政策を享受できるだけと理解してはならず、今日の経済特別区は、国の統一の法規と政策にのっとって、積極的に条件を整備し、規範化した市場経済体制を構築し、改革を深化させ、開放を拡大する面で率先して模索を続け、先取りすることを新しい使命とするべきである、と指摘し、さらに次のように述べた。

両親はすでに子供を大きく育て上げてくれ、子供はこれ以上両親に世話を焼いてもらおうとするのはよくない。今は深セン市が国のために寄与する時である。

ところが、深セン市は現在、次の3つのチャレンジに直面している。

@中国のWTO加盟と全方位の対外開放の枠組みの形成につれて、深セン市の地域的な強味が弱まっている。1980年代には、多国籍企業は主に中国の生産コストが低いという優位を目当てに中国に進出し、加工製品の輸出入に便利な広東、珠江デルタで投資して工場をつくったのだ。近年は中国の市場を獲得するために中国に進出することが多国籍企業の主な考え方となっている。従って、投資先も市場の優位のある長江デルタと渤海湾の2大経済区のような地域を選ぶようになった。こうした変化は深セン市の外資導入にプレッシャーとチャレンジをもたらすことになった。そのため、深セン市はより良い投資環境を作り出してこそはじめて、新たな外国投資を引きつけることができるのである。

A全国では群雄が競い合い、前方には上海があり、後方には蘇州があるため、深セン市は前進しなければ置いてきぼりになり、はては走っても速くなければ落伍してしまう境遇に置かれることになる。そのため、創業当初の意気込みで勇敢に試行を行い、着実にやってこそはじめて、リードしつづける優位を保つことができるのである。

B深セン市は大きな発展規模(総量)を有しているが、これを踏まえて引き続き急成長を保とうとすることは容易ではない。現在、深セン市のGDPは全国の大中都市の中で4位、工業総生産額は同2位にランクされているが、さらに前進することは難しい。いかに自分を乗り越えていくかということは、深セン市が直面しているチャレンジである。

さらに、深セン市証券取引所の新株発行の停止は確かに深セン市の金融業と経済全体にマイナスの影響を与えることになった。

「深セン市証券市場での新株発行停止の影響およびその対策についての提言」という研究レポートによると、2000年10月に深セン市証券取引所のA株(IPO)の発行と上場が停止された後、大量の資金が続々と北の方の上海に流れ込んでいる。

2000年3月、漢唐証券は国債業務本部、資産管理本部、投資本部をひそかに上海に移った。華発証券はいっそのこと会社をまるごと引っ越した。三峡証券はアジア証券に改名した後、登録先を宜昌から上海に移した。天一証券、富友証券、中銀国際証券も同様に上海に移った。

新株発行停止後の2年間に、2級市場で深セン証券市場が損失した資金は合計4965億元となり、月当たり187億8000万元の損失であった。深セン市から上海に鞍替えした投資者の中には、中小投資家のほか、証券機構と基金会社もあり、はては本社を深セン市から上海に移した会社もある。そのほか、一部の金融機構と企業も、自らの発展を考え、次々と上海に移った。

国信証券総合研究所の何誠頴所長は、「投資者が深セン市を離れて上海市に向かう趨勢は非常に明朗化しており、深セン市証券市場の発展の情勢は非常に深刻なものとなっている」と語った。

生産総額が同市のGDPの約15%を占める金融業はすでに同市の支柱産業となっている。新株発行の停止は深セン市の経済にマイナスの影響を及ぼしており、2000年以降深セン市の金融業は下降カーブを描いている。

そのため、于幼軍氏は、深セン市は危機意識を強め、積極的にチャレンジを受けるべきであるとし、次のように述べた。

現況から見れば、深セン市に強味がないわけではない。全国から見て、深セン市は総合的環境の面で強味を持っている。この2年間に、深セン市は行政や法律、市場、治安、経営コスト、人文、生態系などの面から着手して、一連の措置をとり、法秩序が健全化し、管理が規範化し、サービスが素晴らしく、社会秩序が整然とし、環境が美しく、企業の経営コストも低いという投資と発展の環境の整備に取り組んできた。

投資環境の改善で大量の外資を引きつけることになった。この2年間には、1日当たり外資企業5社が深セン市で登録し、2001年に深セン市が導入した外資は36億ドルに達し、昨年はさらに過去最高の49億ドルに達した。今後の3年間は毎年実際導入される外資が昨年並みのレベルを保つことができれば(昨年よりやや低くてもよい)、第10次5カ年計画期(2001〜2005)に導入される外資総額は過去20年間の合計を上回ることになる。また、この2年間に外資導入の質も向上した。昨年は世界の大手企業500社のうちの17社が深セン市に投資するか、または投資を追加し、大手企業の総数は86社に達している。外資導入プロジェクトの中のハイテク企業や先進的な製造業企業、物流企業のプロジェクトは70%以上を占めている。

深セン市のいま1つの優位は体制とメカニズムの強味にある。20余年来、深セン市は社会主義市場経済の要求に適応し、弾力性のある、高効率の管理方法を作り出し、体制とメカニズムの改革は全国の前列にあり、巨大な経済効果が見られた。今後は、改革を引き続き深化させ、絶えず革新を行い、この強味をさらに拡大することになる。

それから、産業構造の強味を持っている。ここ数年間に、深セン市は産業構造調整に大いに力を入れ、ハイテク産業を製造業の主体にしている。この3年間に、工業生産総額に占めるハイテク産業総生産額の比率は毎年2.5%伸び、昨年は48%となった。この比率は全国の大都市の中でも最高のものである。パソコン、通信設備、光ファイバー通信設備、ネットワーク部品、デジタル化録音と録画製品、バイオテクノロジー、ハイテク医療機器などの「ライジングサン」産業分野においては、深セン市は全国で大きな市場シェアを持っている。また、現代物流産業の発展も速く、すでに製造業ひいては国民経済全体の重要な支柱となっている。深セン港と深セン空港の輸送量は年間30〜50%の伸び率で増え、コンテナ荷役能力は昨年全国2位、世界6位となった。

新しい世紀において、深セン市は経済の面で全国の先を行こうとするなら、特恵政策がなくなった条件の中で、この3つの強味に頼らなければならない。特恵政策の取り消しによって、何かが欠けてしまったように感じている人がいる。なぜかというと、深セン市は国の特恵政策を享受して今日まで発展をとげてきたわけで、「特別注文の料理」を食べなれてきたからである。このような意識は転換しなければならない。国は当時深セン市の世話を格別に見たのは、深セン市が自らの足で歩けるようにするためであり、いつまでもそれを支え続けるわけにはいかない。国は20余年間にわたって支えてきてくれたのであり、現在は深セン市が国に寄与する時である。その他の都市と同等の政策を享受するのもWTOのルールの要請である。今後深セン市は市場での激しい競争の中で自らに頼って開拓していかなければならない。

1つの都市に発展の見込みがあるかどうかは、その経済構造、産業構造、固定資産投資、外資利用の状況、起工されたプロジェクト、開発が待たれるプロジェクトなどを見なければならない。深セン市には今年と来年に着工する重要なプロジェクトが107件もあり、工業生産額が約3000億元増えることになる。2005年までに、工業総生産額は6000億元に達し、2000年の2500億元の2倍以上となる。

今後はまた企業のためによりよい経営環境づくりに力を入れ、深セン市を庭園都市に作り上げ、香港と手を携えてともに地域経済の発展を目指さなければならない。

深セン市にとっては、何よりも先ず新たな強味を作り出さなければならない。つまり良好な投資環境と発展の環境を作り出し、とりわけ行政、法秩序、マーケット、経営などを含めた、深セン市にとっての「生命線」と見なされている投資のソフト環境を整備しなければならない。

それと同時に、香港-深セン経済圏を作ることである。経済のグローバル化と経済の地域化という世界の経済発展の2つの趨勢を前にして、深セン市は香港を協力パートナーとして選び、世界に目を向け、「一国二制度」の枠組みの中で密接に協力し合い、両地区の資源を整合させ、強味の相互補完を実現し、発展を速めることにしている。