(その一)

日増しに充実する中国の知的所有権の法律体系

馮建華

中国の知的所有権における立法は1970年代末、80年代初からスタートした。20数年の急速な発展を経て、中国の知的所有権における法律体系は日増しに充実している。それでは、中国はどんな国際的背景の下で知的所有権における立法を始めたのか、どのような発展段階を経てきたのか、どのように知的所有権の戦略的地位を強化するのかとの問題について、記者は中国知的所有権研究会理事、中国社会科学院知的所有権センター副主任、博士指導教官の李順徳教授にインタビューした。

改革開放と経済グローバル化の必然的結果

中国が知的所有権立法の道に歩むようになったことは、市場経済の発展に適応するうえでの必然的結果である。

中国は1971年に国連における合法的議席を回復し、1973年に世界知的所有権大会に参加した。李順徳教授による、この会議以後中国の人たちは知的所有権という言葉をだんだん認識するようになった。

1978年に中国は社会主義市場経済体制を確立し、改革開放のテンポが速まった。市場経済の発展を規範化させ、促進するには、知的所有権における立法がなくてはならないように見えた。

中国が知的所有権における法律を制定した直接的な原因は国際経済情勢特にアメリカからの圧力によるものである。1976年には中米関係に緩和が見られ、両国の経済貿易往来が頻繁になってきた。1979年に中米両国は交渉を通じて、高エネルギー物理と貿易の分野で協力取決めを結ぶことを決めたが、アメリカは中国がアメリカの知的所有権への保護の義務を認めなければならないという重要な協力の条件を提出した。その時、中国国内には知的所有権の法律が一つもなかった。

李順徳教授によると、アメリカがこのような要求を出したのは、深い国際経済の背景があるからであった。1960年代後期から70年代にかけて、アメリカなどの先進国の貿易赤字がたえず増え、経済が衰退する兆しが見えた。検討の結果、これらの国は主な原因は知的所有権が保護されておらず、多くの製品が低コストでコピーされた後売り戻され、それによって科学技術の優位が経済の優位に転化することが難しくなっていると見た。そのため、知的所有権への保護は日ましに国際経済協力の重要な要件となってきた。

このような情勢に迫られて、経済のグローバル化の流れにたえず融け込んでいる中国は知的所有権における立法の段取りを速めなければならなかった。1980年6月3日に中国は世界知的所有権機関(WIPO)に加盟した。李順徳教授によると、それ以降、中国は知的所有権における法律制度を正式に、系統に確立することに着手した。

三つの発展の段階を経る

李順徳教授によると、中国の知的所有権における立法は大体三つの発展の段階に分けられる。最初の段階は1970年代末から1990年までである。この段階において、知的所有権における三つの法律(『商標法』、『特許法』、『著作権法』)が続々と打ち出され、中国の知的所有権における法律制度がいちおう確立された。

1990年から2001年末までは第二段階である。この段階において、知的所有権の法律体系がいちだんと充実し、『不正競争禁止法』(1993年)、『知的所有権税関保護条例』(1995年)、『集積回路配置設計保護条例』(2001年)など一連の知的所有権における関連の法律が打ち出された。

それと同時に、中国は世界の法律準則に適応するために知的所有権における三つの法律を何回も改正した。『特許法』と『商標法』が改正されていない段階で、実用的な新型製品の特許と商標、設計された製品の外観の特許と商標を申請した場合、究極的決定権はそれぞれ最高行政主管部門に属し、即ち国家特許局(国家知的所有権局に改名)の再審委員会と国家工商総局の審議委員会である。しかし、改正後の法律では、究極的決定権は裁判所に属し、行政部門に属するものではないということがはっきりと規定されている。

中国の司法の慣例によると、当事者は立件した後に起訴することになっている。しかし、世界知的所有権保護の先進的な経験を参考にして、中国は司法手続きの面でこれに対して大きな調整を行った。例えば知的所有権が侵害され、そのうえ好ましからぬ結果をもたらす可能性がある場合、当事者は先に登録しなくてもかまわず、裁判所が臨時の禁止令を出して、越権者の越権行為を制止するよう直接求め、不必要な損失を免れるかあるいは減少することができる。

このほか、証拠保全の面でこれに似た特殊な規定がある。越権者が重要な証拠を隠滅するかあるいは移転するのを防ぐため、権利が侵害されたものは起訴の前に裁判所がこれらの証拠を密封して保存することを求めることができる。当然ながら、これらの特殊な措置の執行は裁判所の厳格な審査を経たものでなければならない。

2001年末の中国のWTO加盟以降は、知的所有権における立法の発展の第三段階である。この段階において、中国は引き続き現有の法律を充実させたほか、どのようにして自らの権益を保護するかなどいくつかの新しい問題にも直面している。

李順徳氏によると、中国はWTOに加盟した後、国際市場のルールによって知的所有権における法律条項を調整する義務がある。国際ルールといちだんとリンクするため、中国は『コンピューターソフトウェア保護条例』と『税関知的所有権保護条例』などの関連法律の改正を考えており、『不正競争禁止法』の改正も行われている。

しかし、改正と調整は中国の経済発展のレベルに適応すべきであり、実情から離れて国際高水準を盲目的に追求してはならない。

知的所有権の戦略的地位をいっそう引き上げる

最近の一時期に、中国本土の企業が知的所有権で著名な多国籍企業に起訴される案件は頻繁に起こり、トヨタ自動車が北京吉利を起訴したことはそれである。

知的所有権は日ましに企業と企業、更には国と国の競争の焦点となっている。

呉伯明国家知的所有権局副局長によると、中国が知的所有権をめぐる競争で主導権を握るには、戦略的な次元から知的所有権の重要性を十分に認識し、国の知的所有権戦略を実施しなければならないのである。

これについて、李順徳氏はこれはまったく正常なことだと認めている。中国のWTO加盟に伴って、中国の企業はより大きな範囲で国際経済競争に参与し、大手多国籍企業との間で利益の衝突が起こるのは免がれがたい。

中国の知的所有権における立法体系は日ましに充実しているが、知的所有権保護の意識とレベルのさらなる向上が待たれると同時に、知的所有権の競争能力、とくに国際競争に参与する自主的知的所有権の数量と品質の面で、先進国と比べてかなり大きな格差がある。

中国が知的所有権の戦略的地位を高めるには、引き続き知的所有権法の普及、教育、宣伝を強化するほか、より重要なのは究極的決定権をもつ仲介機構を設立し、現在の国家知的所有権局(特許に責任を負う)、国家工商管理総局(商標に責任を負う)、新聞出版総署(著作権に責任を負う)による管理の局面を改める必要がある。これは知的所有権の計画と協調的発展に対してよりプラスとなるものであり、多くの部門による管理で知的所有権申請者の意欲を挫くようなことも不可能になる。

同時に、知的所有権戦略を政府、地方、業種および企業の発展戦略に組み入れ、企業、事業部門を導いて知的所有権における法律制度を構築することも必要である。