東アジアの産業発展に向けた
新たな枠組みとチャンス

張運成(中国現代国際関係研究所)

この数年来、東アジア経済の枠組みは絶えず変化し、地域の経済協力を求める声が日増しに高まる中、日本の九州福岡で開かれた「アジア国際会議」が常設フォーラムとして定着しつつある。2001年11月12日から2日間の予定で初めて開催されて以降、今年に入って1月22日から23日、9月9日から10日までと2回開かれた。第1回フォーラムでは主に中国のWTO(世界貿易機関)加盟を巡る問題や、経済のグローバル化の下での中国経済の台頭と日本経済の衰退について意見が交わされた。第2回会議では「世界経済の一体化と東アジアの地域協力」をメインテーマに議論が交わされ、中国経済の高度成長は世界やアジア各国にチャンスとチャレンジをもたらし、中日両国を中心とする東アジア地域経済協力の強化はアジアと世界経済の繁栄にプラスとなるとの認識で合意した。

先ごろ開かれた福岡会議では「東アジアの産業政策と産業競争力」がテーマとなり、東アジア各国政府が経済成長と産業の構造調整という2重の圧力に直面していることが明らかになった。13カ国・地域や欧米から出席した専門家、学者は東アジアの経済協力の趨勢にいかに適応していくか、地域ごとの事業分担に参与し、また地域の競争の中でいかに産業をより発展させていくかについて討議した。前2回の会議と同様、「中国要素」とそれが牽引する地域の産業構造変化が関心の的となった。

東アジア、産業調整で新たな状況に直面

世界経済が活力を取り戻しつつある中、アジア経済は様々な不確定要素による試練を受けつつも依然、比較的高い成長率を維持しており、全体的に世界経済における役割や地位は上昇しつつある。一方、各国の経済力に相違が出てくるに伴い、当該地域の産業の枠組みに新たな変化が現れ、新たな難題にも直面している。本会議を見ると、新たな情勢に直面して、東アジア各国では幅広い範囲で産業競争力向上の面で大きな圧力を受けていることが理解できる。なかでも日本は“産業の空洞化”への危機意識が強まっている、中国では産業のグレードアップへの焦燥感が高まっている、アセアン(東南アジア諸国連合)は苦渋の中に変化を求めており、不安と期待が入り混じった心的状態にあるなど。

日本は2重の圧力にさらされている。1つは中国メーカーの技術的向上であり、いま1つは産業技術分野で米国に追いつけないことだ。日本は10数年にわたる経済低迷の中、国内の製造企業数や従業員数は減少を続けており、しかも、日本の経済成長に重要な位置を占めてきた運輸機械、電子機械などで外国での生産比率が上昇し続けている。特に労働コストが日本の20分の1から30分の1に過ぎない中国の製造業の台頭によって、日本の“産業空洞化”が話題に上るまでになった。

産業の空洞化は一般に、製造業の生産拠点の外国へのシフトにより国内経済にマイナスの影響がもたらされることを意味する。1985年に円の切り上げが容認されて以降、競争力を維持するための外国移転が進み始めた。製造業での国外生産比率は、経済産業省の「産業空洞化の現状と対策」によれば、1990年代初期の約6%から2000年に14.5%にまで上昇。産業別に見ると、特に生産工程を細分化できる運輸機械あるいは電子機械などで、外国生産比率が上昇している。その一方で、国内での生産規模は縮小傾向にある。また、中国からの輸入も増加の一途を辿っており、日本国内産業の発展に与える影響も強まっている。日本国内では生産拠点が統廃合され、製造業従事者数も減少。廉価な労働力を擁する中国は世界各地から投資を呼び込み、特に日本は対中投資でより主要な役割を演ずるようになってきた。

産業の空洞化を回避する前提は、生産拠点の外国シフトがその国内の就業環境あるいは貿易収支に影響を与えないようにする、言い換えれば、産業を外国にシフトすると共に、国内で国際競争力や成長率を備えた新興産業を創造することだ。80年代初期、米国では対外投資で余剰となった就業人口がすぐさま高度成長中のサービス業に吸収されたことで、製造業の実際的生産力も質的に向上し、ハイテクの急速な産業化と経済がサービス業に転化された結果、米国が憂慮した製造業の基盤は失われることはなく、しかも90年代全体で年平均3%の成長率を維持した。失業率やインフレ率いずれも改善され、技術貿易は予想を上回る伸びを維持し、米国は空洞化という脅威の下で産業構造の転換を果たしたのである。米国の産業構造転換の成功は日本にとって羨望の的となり、これが日本産業界の危機意識をさらに増幅させた。

認められるか否かは別にして、中国は今まさに驚くべき勢いで「製造業大国」になりつつある。経済が持続的成長を遂げ、多国籍企業が投資意欲を見せる中、中国はグローバルな生産基地、関連施設基地、ハイテク産業基地、そして開発センターと国際購入・調達センターに変わろうとしている。中国産業の台頭はアジアの産業地図を塗り替えている、と断言してもいいだろう。

しかし、産業発展の過程で同様に、様々な問題が広がりつつあることにも目を向ける必要がある。直面している最大の問題は、国際競争に劣る大型国有企業にいかに真の競争力を持たせるかだ。造船業など一部の分野では、世界市場でトップを行く日本や韓国の挑戦を受け得るだけの能力を既に備えているが、全体的に見れば、産業界の実力は両国の一流企業と根本的に比較することはできない。中国の産業界は、歴史的原因から国際競争力に欠けた大型の重工業関連企業、強みを発揮して設立された一定競争力を備えた労働集約型企業、外資導入で設立された競争力が備えつつある企業群から構成されている。明らかに、問題は主に国有大型企業にある。政府は鉄鋼や石油、石油化学工業、自動車など国民経済の命脈に係わる産業を外資に譲渡することはできず、しかも国有企業を再編して、強大な民族企業を設立できないでもいる。だが、老朽化した設備や過重な債務、過剰な人員など大型企業を再編して競争力を持たせるのは決して容易ではない。この角度から言えば、中国はいわゆる「世界の工場」の「表通り」、と言うのは言いすぎだろう。

アセアン諸国の産業構造で中心的位置を占めるのが、日本企業である。日本は60年代からアセアンへの投資を開始し、既に40年余の歴史を持つ。特に80年代中期以降、日本円の現地への投資はこの地域の産業の発展を大々的に促し、東南アジアモデルと言われた。日本財務省の統計によると、直接投資の累計額(1951−2002年)では、対中国は229億ドルだが、対アセアン5カ国では726億ドルと、中国に比べ3倍強。だが、日本の対中投資が正式に始まったのは90年代以降だ。特に日本企業の投資先がアセアンから中国にシフトするに伴い、中国への投資の増加や増勢はアセアンを不安に落とし入れ、アセアン自身も自らの産業競争力の脆弱さを目の当たりにし、中国と投資を競う心的状態が高まっていった。アセアンは早くからこのことを認識しており1993年からアセアン自由貿易地域を設立して域内関税を徐々に引き下げ、投資環境を改善することで、これを新たな外国投資が中国に向かう歯止めにしようとした。ある期間、この努力はアジア金融の影響で大きく挫折するが、従来からの産業競争力の勢いは緩むことはなかった。その後、アセアン内部の再編のテンポは加速された。その目的は合併・分散された域内市場を通して市場規模を拡大し、規模の強みを確保することで外国投資を呼び起こすことにある。

域内経済協力、東アジア諸国の産業競争力強化への新たな期待に

東アジア各国はその産業発展戦略で内外の整備を求めようとしている。産業のグレードアップには努力と改革、“内なる痛み”が必要であり、新技術や新製品の開発研究、労働力の資質の向上に努めるほか、新たなチャンするを的確に把握すると共に、各国の産業政策目標と指導方法をいち早く確定するのが最も重要である。カギとなるのは、例えば労働集約型産業で悪性の競争が止まない、国際分業システムに構造的欠陥があり、それが原因で先進国に経済面で過度に依存している、世界市場の動向や経済の周期的不安定要素のダメージを受けやすいなど、産業の構造調整の過程で従来の道に引き返すことを回避することだ。

また現在、東アジア各国の産業の発展と構造調整にはより大きな突破口が期待されており、外部の力の介入と支援をより必要としている。現代では、生産活動の国際化、貿易と投資の自由化、世界金融市場の一体化、IT(情報技術)のネット化、資金・技術・人員・情報などの生産要素は世界規模の範囲で急速かつ自由に流動し、最適な配置が求められていることから、各国の経済は緊密に連携し始めている。東アジア各国の経済も従来からきめ細かな関係を維持しており、各国とも経済面での依存度はより深まり、協力協調の意識も一段と強まっている。各国は、互恵協力を強化しさえすれば、共存共栄を果たすことができ、外部から発展に向けた最良の環境を手にすることができるが、その反面、悪性の競争に陥れば、互いに争い、ひいては相手を戦略的競争相手、潜在的脅威として敵視し両者とも満身創痍になることをより明確に認識するようになってきた。

第3回福岡会議に出席した専門家や学者は、中国経済の発展とそれが本国と当該地域に与える影響に強い関心を示した。大多数の専門家は「中国経済の発展はアジア諸国や地域の経済にとってチャレンジであり、またチャンスでもある」との認識を示している。韓国の対外経済政策研究院の李昌研究員は「中国のWTO加盟後、『東北アジア経済圏』の確立は一段と加速されつつあり、中国経済の急成長は韓国の経済発展を促す絶好のチャンスとなる」と強調している。東アジア経済協力は、当該地域の産業協力にとって必然の選択なのだ。