「平頂山虐殺事件」調査のため日本人弁護団が訪中

遼寧省撫順市で12月1日、「平頂山虐殺事件訴訟情況報告会」が開かれた。「平頂山虐殺事件」は、1932年9月16日に撫順市近郊の平頂山集落で発生した、旧日本軍による住民虐殺事件である。これに合わせて、同訴訟に携わる日本人弁護士団も再度訪中している。日本人弁護団は無償で同虐殺事件被害者のために弁護活動を行っており、今回の滞在でも証拠収集を進める予定である。

同弁護団メンバーの大江京子弁護士の説明によると、同虐殺事件の生存者が日本政府を相手取り訴訟を起こしたのは1995年。東京地方裁判所で22回にわたる審理が行われた。2002年6月28日の一審判決で同裁判所は、「『平頂山虐殺事件』は当時の日本軍国主義によるもので、住民は全く無辜(むこ)だった」事実を認定しものの、戦前の国の行為には責任を問うことができないとする「国家無答責の原則」を根拠に原告側の請求を却下した。

大江弁護士は同判決に対し、「日本の裁判所が、初めて同事件の日本軍による大虐殺の事実を正式に認定した」と一定の評価を与えた上で、「原告側の請求を『国家無答責の原則』により却下したのは、極めて不合理である。日本軍が侵略し、原告に甚大な被害をもたらした事実を認定しながら、賠償請求を認めないというのは、明らかに矛盾している」と指摘した。

大江弁護士らは「『国家無答責の原則』は、正義・公平の理念に背く」と主張する。事件後数十年の間、原告はさまざまな制約から日本での訴訟を起こすことができなかった。東京地方裁判所が今年9月に旧日本軍遺棄化学兵器訴訟で原告勝訴の判決を言い渡したことに、弁護団は自信を強めている。