作家の馮驥才氏、民間文化の保護を呼びかけ

 最近、著名な作家の馮驥才氏は北京師範大学で開かれた「中国民俗学の学科建設と人材育成」シンポジウムで「われわれは笑いながら自分の文化を破壊している」と語った。

 馮驥才氏にすべての古い建物をほとんど残らず写真に撮ったカメラマンの知り合いがいる。このカメラマンは、多くの民家は小さい洋館に変わったというのは、大多数の住民にとって、これが現代化のしるしであると馮驥才氏に語った。

 馮驥才氏は「文化は止まらずになくなっている」と語った。二年前、氏は河北省白溝に行ったとき、民間玩具がまだ少なからずあったが、今年に行ってみると、一つも見あたらなかった。雲南省のナーシー族の民間演奏家がここ2年に何人か亡くなり、いまは二人しか残っていない。

 民間文化は中国の伝統的文化の一部分であるが、現在、生存環境も研究環境も苦境に直面している。

 馮驥才氏によると、民間文化の存在が危機に見舞われている原因は主に次の三つある。一は当面、われわれが工業化への転換を経歴していること、二は外来文化の衝撃、三は中国に「文化保護法」がまだないことである。皇宮の精美な建物は保護されているが、民家のような建物が保護されていない。

 これにもかかわらず、依然として民間文化を保護するために漠々と努力している学者が一部いる。馮驥才氏の所属する中国民間文芸家協会はいま「民間文化遺産緊急保存行動」を画策しており、その目標は5年ないし10年かけて文字記載、画集、テレビの三種の方式で民俗と民間芸術を大規模に緊急保存することである。

5000年前から中国に玉文化があった

 中国では5300年前から人々はいまの人民幣の一分硬貨より小さい精美な玉器を磨くことができた。その価値は考古専門家でさえそう簡単に評価できるものではなかった。

 最近、安徽省の凌家灘新石器時代文化遺跡から一部の玉器が出土した。そのうち、玉のラッパは直径が17センチ、高さが12センチ、ラッバの壁は紙のように薄い。

 考古専門家の張敬国氏は、「先史時代の玉器製造中心地はメキシコ、ニュージーランド、中国にあったが、メキシコとニュージーランドは玉を飾り物としただけだが、中国では独特な玉の文化が形成された」と語った。

 張氏によると、5000年前から、玉の工芸品は中国では礼式に使われていた。人々は美しい玉で高尚な品格をたとえ、あるいは権力、財産、地位を象徴した。当時、玉はかなり高い社会価値があっただけではなく、これにもまして文明萌芽のしるしであった。

 凌家灘遺跡文化は5300年ないし5500年前のもので、1998年以来、総面積の八百分の一に相当する2250平方メートルで発掘を行い、玉器を1000点近く出土した。

 張氏は、「凌家灘に玉器がこれほど集中して出土したことは考古史上まれに見ることである。しかも玉器の種類が多いこと、造型が美しいこと、制作がすばらしいことは、中国のその他の新石器時代文化遺跡が比べるものにならないものである」と語った。

 中国歴史博物館の兪偉超前館長によると、凌家灘遺跡から虎頭こう(王へんに黄)と玉矛が出土したことは当時、戦争と軍事同盟があったことを物語っている。こう(王へんに黄)形の玉器は一つが二つに分けてあり、両方を合わせると互いに合致する記号があり、出土したのは半分だけで、他の半分はどこかにあるはずである。竜鳳こう(王へんに黄)は中国の竜鳳文化の源である。それは結婚の証拠であり、当時凌家灘人がすでに親族以外の人と給婚していいたことを示している。

 凌家灘人が玉器を製造する時に用いた石の錐は、20世紀における中国考古界の重大な発見の一つである。それは、一端が太く、他の一端が細く、梯形を呈している。専門家によると、このような構造は当時の人がすでに遠心力の役割を認識していた可能性があることを示している。

 安徽考古研究所は6枚一セットの凌家灘特種切手の発行を申請している。