関係資料

 

イラク危機の年表

第一次湾岸戦争後の10年

1990年8月2日夜払暁 イラク軍はクウェイトに侵攻した。

1990年11月19日 国連安保理事会は678号決議を採択し、イラクが1991年1月15日以前にクウェートから撤退しなければ、あらゆる必要な手段をとってイラク軍にクウェートから撤退させる権限を授けると声明した。

1991年1月16日 多国籍軍はイラクに対し砂漠の嵐作戦という空襲を行い、第一次湾岸戦争が勃発した。

1991年2月28日 湾岸戦争が終結した。米国をはじめとする多国籍軍はクウェートを回した。

1991年4月16日 アメリカは、イラクの北緯36度以北地区を安全区とし、イラクの軍用機、地面部隊、警官の立ち入りを禁止すると発表した。

1991年5月1日 国連は、イラクの化学·生物·核兵器を廃棄する特別委員会(UNSCOM)を発足させた。

1991年10月11日 国連安保理事会は715号決議を採択し、イラクがUNSCOMと国際原子力機関(IAEA)の査察官と全面的に協力するよう求めた。

1992年8月26日 米国は、イラク南部のシーア派イスラム教徒を政府軍の包囲討伐を免れるように保護することを理由に、イラクの北緯32度以南地区に飛行禁止区を画定した。

1993年1月13日から23日まで 米国は英仏の協力の下で、イラクが南部の「飛行禁止区」の規定に違反し、シーア派イスラム教徒を包囲討伐することを理由に、イラクに対し空襲とミサイル襲撃を実施した。

1993年11月26日 イラクは、イラクの兵器生産に対する長期監督についての国連安保理事会の715号決議を無条件で受け入れた。

1994年10月15日 国連安保理事会は949号決議を採択し、イラクがクウェート国境に大量の軍隊を集結させていることを非難するとともに、イラク軍がクウェート国境から完全に撤退するよう要求した。

1996年5月20日 国連とイラクは986号決議に一致で同意した。同決議はイラクに一定期間内石油を輸出するのを認めた。

1996年6月12日 国連は1060号決議を採択し、イラクが査察官との協力を拒否したのは、国連安保理事会の決議に背くものだと非難した。

1997年6月4日 国連安保理事会は、イラクで「石油と食品を交換する計画」を続行することに一致同意した。

1997年10月23日 国連安保理事会は1134号決議を採択し、イラクの国連査察官との協力拒否の行為を厳しく非難した。

1997年11月12日 国連安保理事会はイラクが米国人の査察官を駆逐したことを厳しく非難する1137号決議を全員一致で採択した。

1998年3月2日 国連安保理事会は1154号決議を全員一致で採択し、イラク側とアナン国連事務総長のイラク査察についての協定に同意した。同協定は査察団がイラク大統領官邸に入って査察できると規定している。

1998年9月9日 イラクが国連査察団との協力を中断した行為に対し、国連は1194号決議を全員一致で採択し、イラクへの経済制裁についての定期的な再議を中断した。

1998年12月16日、米英はイラクに対し「砂漠のキツネ作戦」という軍事行動を開始したが、イラクはすぐUNSCOMとの協力を中断した。

1999年12月17日、国連安保理事会は1284号決議を採択し、UNSCOMの代わりに国連監視検証査察委員会(NUMOVIC)を設立し、責任を持ってイラクの生物·化学兵器、ミサイルの査察を行わせることを決定したが、イラクに拒否された。

第二次湾岸戦争

2001年2月16日 米英の戦闘機はバグダッド周辺のイラクの防空目標を攻撃した。

2001年11月27日 イラクはイラクの査察受諾についてのブッシュ米大統領の要求を拒否した。

2002年1月29日 ブッシュ米大統領はその一般教書の中で、イラクを「悪の枢軸」と呼び、イラクが大量破壊兵器の開発をはかることを非難した。その後、米国は絶えず「サダム打倒」のために世論づくりと行動の準備を進めた。

2002年2月13日 イラクは国連査察官のイラク査察再開に同意しないと表明した。

2002年3月10日から20日まで チェイニー米副大統領は中東11カ国を歴訪し、中東諸国がイラク反対政策を支持し、イラク反対同盟を発足させ、イラク攻撃に条件を作り出すよう説得したが、中東各国から一致して反対された。

2002年7月8日 ブッシュ米大統領は「イラク政権を更迭させることはアメリカの国策の一つだ」、「われわれはあらゆる方法でこの目標を実現する」と強調した。

2002年7月17日 建国記念日34周年のテレビ演説の中で、サダムはイラク人民が直ちに行動し、随時戦闘準備を行い、あらゆる外来侵入者に抵抗し、それを殲滅して、国家の独立と安定を守ろうと呼びかけた。

2002年9月6日 ロシアのプッチン大統領は、対イラク武力行使は国際法に違反するだけでなく、湾岸地域と中東地域にゆゆしい結果をもたらし、反テロ同盟の団結に不利である、と指摘した。

2002年9月7日 シュレーダー独首相とシラク仏大統領は、米国の単独対イラク武力行使に反対すると一致表明した。

2002年9月12日 ホワイトハウスは、サダム大統領の「国連軽視」など16の「罪状」を列挙する文書を公表した。同日、ブッシュ米大統領は第57回国連総会の一般討論で演説を発表し、アメリカはイラクに国連の関連決議を履行させる上で国連安保理事会と協力したいと表明した。

2002年10月10日、11日 米上下両院は、ブッシュ大統領にイラクへの武力行使の権限を与える決議をいずれも賛成多数で採択した。

2002年11月8日 国連安保理事会はイラク査察についての1441号決議を採択した。同決議はイラクの大量破壊兵器への査察を強化した。

2002年11月13日 イラクは安保理の第1441号決議を受け入れた。

2002年11月27日 17人の専門家からなる第一陣の国連査察団は4年も中断したイラク査察を再開した。

2002年12月7日 イラクは国連に1万2000ページに及ぶ大量破壊兵器についてのレポートを提出した。

2003年1月27日 ブリックス国連監視検証査察委員会(NNMOVIC)委員長とエルバラダイ国際原子力機関(IAEA)事務局長は安保理にイラク査察に関するレポートを提出した。同レポートはイラク査察の延長を主張するとともに、イラク側が査察官により積極的な協力を提供するよう求めている。

2003年2月14日 ブリックス委員長は安保理にイラク査察追加レポートを提出した。同レポートはイラク側に国連査察団との協力の積極性があると評価したが、イラク側の協力はまだ十分ではなく、イラクには国連決議に違反する兵器がまだある、と指摘した。

2003年2月19日 パウエル米国務長官は米国防総省の記者会見で、対イラク攻撃は避けられないのではないが、サダムに残された時間は少ない、と述べた。

2003年2月20日 サダム大統領は軍と政府の高官が参加した会議を主催し、いかにして米国の対イラク攻撃を迎え撃つかについて討論するとともに、イラクが戦争の最後の勝利を収めるのを確保するため、どのようにイラク人民に国家を守る戦闘に参加させるかについて検討した。

2003年2月21日 江沢民前国家主席はイラク問題についてのシラク仏大統領からの電話を受け取った。江沢民氏は、査察の継続と強化を堅持しさえすれば、国連の枠組み内におけるイラク問題の政治的解決の実現は可能だ、と述べた。

2003年3月6日 ブッシュ米大統領は記者会見で、必要があれば、たとえ国連の許可あるいは仏独など同盟国の支持がなくても、アメリカは武力行使でイラクの武装を解除する、と誓った。

2003年3月7日 ブリックス委員長は安保理に査察レポートを提出し、次のように報告した。イラクのミサイル「アッサムード2」の廃棄は、バグダッドが1990年代中期以来とった最初の「実質的武装解除」措置である。査察官がイラクの地下の化学·生物兵器製造と貯蔵の証拠を発見しなかったが、地面の輸送手段と地下の場所を監視、コントロールするため、イラクにより多くの査察官を派遣する必要がある。

2003年3月7日 エルバラダイ事務局長は査察報告書を提出した時、査察官が査察済みの場所で国連決議に違反する活動を行った兆しを発見しなかったし、またバグダッドが1990年以来ウランを輸入したことを示す兆しもない、と述べた。

2003年3月9日 パウエル米国務長官はNBCのインタビューに応じた際、国連安保理がイラクに今月17日までに武装解除を求める新決議案を採択できなければ、対イラク攻撃は17日以前に繰り上げて行われる可能性がある、と語った。

2003年3月9日 国連の監督の下で、イラクはミサイル「アッサムード2」を9基廃棄した。これでイラクが廃棄したこの種類のミサイルは49基に達した。

2003年3月10日 江沢民前国家主席はブッシュ米大統領と電話で意見を交わした時に、イラク問題に対しては、一つは査察を堅持し、もう一つは平和的解決をはかる、と強調した。

2003年3月10日 ロシアのイワノフ外相は、ロシアは米英が安保理に提出した武力行使容認の新決議案に反対票を投じる、と警告した。

2003年3月10日夜 シラク仏大統領はテレビ演説で、どのような状況があったとしても、フランスは武力行使容認の新決議案に反対票を投じる、と発表した。

2003年3月11日 駐国連イラク大使は国連査察団と全面的に協力し、国際社会が米国の対イラク武力行使を阻止するよう呼びかけた。

2003年3月14日 CNNの報道によると、アメリカとイラクは一触即発の軍事衝突に備えるため、軍隊と兵器の最後の移動を行っている。

2003年3月14日夜 ブリックス委員長はイラクがすでにVX神経ガスを廃棄したというイラク側の報告を受け取った。

戦争は間近に迫っている

2003年3月16日 ブッシュ米大統領、ブレア英首相、スペインのアスナール首相はテルセル島(ポルトガル領アゾレス諸島)で緊急会談を行い、イラク危機を解決する策略について協議した。会談後の記者会見で、ブッシュ大統領は、17日はイラク危機を解決する外交努力の最後の期限だと言明した。

2003年3月16日 国連監視検証査察委員会のブリクス委員長は、査察委員会は通知があれば短時間で国連兵器査察官を撤退させる準備を整えたと語った。

2003年3月16日 ベルギーのミシェル外相とフラオー国防相は、アメリカが国連安保理の容認決議なしの状況の下でイラクに対し武力行使に出るならば、ベルギーは米軍がその領土通過を拒否すると言明した。

2003年3月16日 ハンガリー政府は特別会議を開き、米英の軍用機がハンガリーの領空を通過し、指定された一部の空港の使用を許すことを決定した。

2003年3月17日 シュレーダー独首相は、ドイツはイラク戦争を合法化させる安保理のいかなる決議をも受け入れないと言明した。

2003年3月17日 ブッシュ米大統領はイラク危機について演説を行い、サダムが48時間以内に亡命しなければ、軍事的打撃をこうむる、米軍は「われわれが選んだ時間に」開戦すると言明した。

2003年3月17日、サダム大統領は演説を行い、戦争の勃発を望まないと述べたが、同時に米国の侵入を打ち破ると誓った。イラクのジャブリ外相も談話を発表し、サダム大統領が国外に亡命するという米国の要求を拒否した。

2003年3月17日 トルコ政府は声明を発表し、トルコ政府は緊急措置をとって、米国がトルコ国内にイラクを攻撃する米軍を配置するのを認めると述べた。

2003年3月17日夜 ポーランドのクワシニエフスキ大統領は、ポーランドは軍隊を派遣して米国の対イラク軍事行動に参加すると述べた。

2003年3月17日 カナダのクレティエン首相は、下院で、カナダは国連安保理容認決議なしのイラクを攻撃するいかなる武力行使にも参加しないと表明した。

2003年3月17日夜 ノルウェーのボンラビック首相は、同国の首都オスロで、見たところイラク戦争は回避できなくなったようだが、ノルウェーは依然として国連の容認決議なしの対イラク戦争に反対すると表明した。

2003年3月17日 イランのハラジ外相は、米国が実行している一方主義の政策を非難し、米国の対イラク武力行使は不法であると強調した。

2003年3月17日 アナン国連事務総長は、米国など諸国の対イラク武力行使の正当性は疑問視され、大多数の国の支持を得られないと語った。氏はすべての国連UNMOVIC査察官と人道主義支援者をイラクから撤退させるよう命令を下し、同時に「石油で食品を交換する」計画の実施を中止したと語った。

2003年3月17日 シラク仏大統領とプーチン大統領は電話協議し、双方は、国連安保理はイラク危機の解決で主な役割を果たすべきだと主張した。

2003年3月17日 フランスのドビルバン外相はパリでポーランドのチモシェビッチ外相と会見した後、対イラク戦争を主張する国が自らの責任を担い、しかもそれを国際社会に表明しなければならないと語った。

2003年3月17日 イギリスとスペインの国連駐在大使は、イラク問題に関する新決議草案が否決される恐れがあるため、米英スペイン3国は同草案の国連安保理での採決を放棄することを決定したと発表した。

2003年3月17日  英首相官邸は、クック英下院院内総務·前外相がイラク問題で同日辞任したと発表した。

2003年3月17日 オランダ政府は、オランダ国内の大多数の人が国連の容認決議なしの対イラク武力行使に反対しているため、オランダは対イラク戦争に政治的支持を与えるが、軍事面の支援を与えないと発表した。

2003年3月17日 ロシアのプーチン大統領は米国の対イラク戦争は誤りであり、「最もゆゆしい結果を招くだろう」と語った。

2003年3月17日 米国は、米、英、スペイン3国がイラク問題についての決議案の採択を安保理に求めないことを明らかにし、イラク危機を平和的に解決する外交努力が終了したと宣言した。これに対し、ロシア、フランスの首脳とアナン国連事務総長らは対イラク武力行使に反対する談話を発表した。

2003年3月17日 EU委員会は、米国が対イラク戦争を起こせば、国際市場の石油価格が今年の第2·四半期に1バレル当たり57ドルに急騰し、ユーロ圏の今年の経済成長率が0.3パーセント低下する可能性があると警告した。

2003年3月17日 中国の李肇星外交部長はロシアのイワノフ外相と電話協議した際、イラク問題は戦争か平和かの正念場に差しかかっており、中国はイラク問題を国連の枠組み内で政治解決することを堅持し、国際社会とともに戦争を回避するために全力を尽くしたいと指摘した。

2003年3月17日  中国の李肇星外交部長は要請に応じてパウエル米国務長官、ストロー英外相と電話協議し、中国側は戦争を回避し、イラク危機を国連の枠組み内で政治解決することを望んでいると表明した。

2003年3月18日 国連査察団のスタッフは、空路でバグダッドを離れてキプロスに到着した。

2003年3月18日  中国の胡錦涛国家主席は要請に応じて、シラク仏大統領と電話協議した際、国連の役割を果たし、安保理の団結と権威を守り、イラク問題を国連の枠組み内で政治解決することこそ正しい方向であると述べた。

2003年3月18日 シュレーダー独首相は国民向けにテレビ演説を行い、世界はすでに戦争の直前にあり、サダムの脅威が数千人もの無辜の生命を奪う戦争の理由となるとは思わないと述べた。

2003年3月18日  イラクテレビ局によると、サダム大統領は米国が提出した48時間以内亡命しなければならないという最後通告を拒否した。イラクはすでに米国の侵略に抵抗する準備を整えた。