活気を呈す骨董品市場
王春明さんは現在、歴史のあることで知られる北京の骨董品店街・琉璃廠で店を構えている。数年前、古い時計や磁器、木製の家具などを市民から収集する仕事をしてみないか、と友人に誘われた。それ以降、ほとんど毎日、自転車に乗っては見知らぬ家を一軒一軒訪ね古物を買い集めてきた。今では客のほうから届けてくれるので、自分で家を回る必要はない。「経済が安定して成長し、市民の懐も豊かになってきたので、古物業者の商売も良くなってきた」と話す。
嘉徳国際競売有限公司主催の春のオークションが5月13日から15日までの3日間、北京の昆侖飯店で12回開かれた。出品点数は約5000点、成約高は6億元と、同公司創設以来の最高額を記録した。
現在、企業経営者や富裕層などを中心に骨董品の収蔵家が増え続けており、それによって社会への還元、保存など収蔵品の流通が促されている。中華全国工商業連合会・骨董業商会の宋建文会長によると、骨董品収蔵ブームに乗って購入層に大きな変化が現れた。この業界や国有企業に代わって民間企業経営者が新たな主役となり、投資金額の多さ、増加の速さはともに過去類をみないほどだという。
富裕層だけでなく、庶民の間でも収蔵家が増えてきたことから、全国各地にある骨董品市場は活気を呈している。全国収蔵家協会に登録している会員は現在、7000万人超。会員や一般の人が収蔵する骨董品は実に多種多彩だ。磁器や青銅器、玉器、真珠や宝石の装飾品、奇怪な石、書画、象牙の彫刻、竹刻、古書や古銭、古い家具など。一部はオークションで購入したものだが、大半は骨董品市場で見つけたものだ。
この数年来、多くの都市で骨董品の展覧会や即売会が開かれている。既に開催8回を数える、中華全国工商業連合会・骨董業商会主催の「中国骨董芸術品博覧会」が全国で規模最大、内容の最も充実した質の最も高い取引の場となりつつある。主催者側によると、1回の成約高は数十万から数百万元に上るという。
「骨董品は末代まで名を残す、活きた“家系図”のようなもので、骨董品の収蔵はまさに、歴史や文化、情趣、人生の悟りを収蔵することです」。北京の小学校で国語を教える52歳の韓礼堂さんも熱心な収蔵家だ。「給料の多くは骨董品に使っています」
多くの人が骨董品を“価値の上がる株”と見ているようだ。実際、株式市場は不透明で、不動産などへも投資リスクが大きい中、骨董品市場は俗的に表現すれば、投資家にとって目先のスポットであるのは間違いない。骨董品市場を運営する斉学明社長は「骨董品は永遠に値下がりすることはなく、価値が増大する余地は大きい」と強調する。
古物市場の縮図――潘家園の変化
韓礼堂さんは週末には必ず潘家園に出かける。「古物市場に行き、“宝物”を見つけて帰って来ます」と韓さん。
潘家園は北京・朝陽区の東三環南路に位置する。面積は標準サッカー場が6つから7つ納まるほどの広さで、全国最大の古物・民間工芸品市場と言われている。アジアで最大。全国から3000を超す露天が並ぶ。市場では北京語や方言はもちろん、英語や日本語なども飛び交う。中国サッカーナショナルチームが初めてワールドカップ決勝リーグに進出した時にコーチだったミロ氏や、クリントン元米大統領のヒラリー夫人、ルーマニアやギリシャの首相なども訪れている。海外観光客も多い。
1992年上半期、地元のレイオフされた市民が家にある古い時計や家具、磁器、工芸品などを売り出したのが始まり。当時、露店は数えるほどしかなかったが、次第に増えて市場が形成されていった。
中国は長年にわたり、民間人に文物の取引を許可しない規定を法律で明文化してきた。1982年に公布された『文物保護法』は「個人が収蔵する文物については、文化行政管理部門が指定した事業体(即ち国有博物館と国営文物商店)から購入できる」と記しているが、「その他のいかなる事業体または個人は文物購入業務を営んではならない」との規定は、民間の全ての文物の流通ルートを徹底的に封じるものであったため、潘家園は“地下”に置かれるしかなく、法的認定や保護を受けることはできなかった。だが当時、この一帯はまだ荒涼としていて、工商部門の監督もそれほど厳格でなかったことから、骨董品や工芸品を扱う多くの業者がこの地に目をつけて移転してきた。買う人が多くなり、売る物が多くなるに伴い、徐々に人気を集めるようになり、そのうち“ノミ市場”は古物市場へと変化していった。1994年ごろから露店数が増えるにつれ、交通渋滞や場所の取り合いで混乱が目立つようになったため、地元の政府が介入・管理するようになり、1995年から50万元かけて市場の整備を開始。正式名称も「潘家園古物市場」に改めた。
同市場が発展する前の1989年、北京市文物局と工商局は以前のように単に調査して罰金を科したり、没収したりする方針をやめ、業者を指導する方向に改めて、潘家園付近の勁松に全国に先駆け初めての文物監督管理市場である「勁松民間芸術品古物市場」を開設。それまで数多くいた違法業者はなくなった。
同市場は1993年8月8日に拡張工事を行った後、「古翫城北京」に改名。「古翫」とは骨董品のことで、業界関係者は「これは単なる名称の問題ではない」と強調。古翫城という金文字の看板が堂々と屋根にそびえ立ち、文物・工商部門が営業許可証を発行したことは「文物に関する現行の経営体制を打ち破るものであるのは間違いない」と指摘する。こうした市場は1つのモデルとして、多くの都市に次々に建設されている。
改正法――民間の売買・流通を保障
「新しい『文物法』をわれわれはずっと期待していた」。農民だった何暁道さんはこう話す。何さんは10数年前に故郷を離れ上海で骨董品の露店を開き、4年後に故郷に戻り農村の家具を購入する仕事をしている。
個人の間では文物の売買は活発化しているものの、既に定着した“合理的な現実”を合法的に承認する政策や法規の整備を求める声が強かった。2002年10月28日、第9期全国人民代表大会常務委員会第30回会議は『中華人民共和国文物保護法の改正に関する決定』を採択。新法は「公民は合法的ルート(法に基づく継承・贈与、文物商店での購入、文物競売を営む競売企業からの購入、公民個人が合法的に所有する文物の相互交換または法に基づく譲渡、国が規定するその他の協力方式)を通しさえすれば、取得した文物はいずれも法に基づいて売買し、流通させることができる」と規定している。この様に、長年にわたり地下に置かれてきた個人の文物市場で、言わば“陽光の下での取引”が堂々と行えるようになった。
「文物は流通してこそ初めて、有効に保護される」と何さんは強調。新『文物保護法』は国と民間双方が文物を保護することで、その相乗効果を上げるのにプラスとなると強調した上で、「個人の文物の売買・流通の解禁は市場を適正化し、成熟させるだろう。市場の開放と健全化によって文物の鑑定や評価、登録・保存、保護など文物に関する総体的な整備に役立つからだ。こうすれば、文物や芸術品の保護にさらに役立つ。今では、大義名分であれ、骨董品を収蔵したり、それに投資したりしているだけでなく、個人博物館を開いている人さえいるほどだ」と指摘する。
国家文物局顧問を務め、『文物保護法』の起草と改正に携わった中国文物学会の名誉会長は「現在、後世に伝わる文物については、一部しか流通が許されていない。家伝の文物ならば売買は可能だ。地下に眠っているか、または出土した文物は当然、国の所有に帰することになる」と説明。「文物は“金のなる木”ではない。物や富を創造するためのものでもない。祖先がわれわれに残してくれた精神的な糧であるがゆえに、保護を第一にしなければならない」。同名誉会長の一貫した考え方だ。
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