医療改革はなぜ失敗したか。
「現在の医療衛生体制改革は基本的には成功していない」。これは国務院発展計画センター、衛生部衛生経済研究所などが参加した医療衛生体制改革研究グループがまとめた結論だ。
今回発表された医療改革に関する研究報告は、計画経済体制の下で国が確立した、都市・農村部の大半の地区をカバーする国際的に評価された医療衛生保健体系は、医療制度改革によって、2000年の国連の総合評価で191の加盟国の中で144位まで急激に落ち込んだ、と指摘している。
医療衛生体制改革が困難に陥った原因は、根本的に言えば、2つの問題が解決されなかったからだ。1つは、何のための改革なのか、いま1つは、誰のための改革なのか、といった問題である。
20年にわたる改革
先ず、医療改革20年の道のりを振り返ってみたい。
1980年代:
医療改革は一般に1985年からとされるが、1979年元旦まで遡るべきだろう。当時の衛生部の銭信忠部長は新華社記者のインタービューで、「経済手段を運用して衛生事業を管理する必要がある」と語った。その年、衛生部など3部・委員会(省庁)は共同で『医院の経済管理の試験的事業の強化に関する通知』を公布した。
この時点から、医療改革をめぐる論争は激しくなる。医療衛生は社会の公益事業であるべきであり、経済的な面は強調すべきではない、との意見もあった。
だが、伝統的な計画モデルの下での医院管理は、この時にすでに多くの悪弊が露呈されており、改革が大勢の赴くところとなっていた。そして1984年8月、衛生部が『衛生事業改革の若干の政策問題に関する報告』を起草したことから、1985年が改革の推進年となった。
それまで棚上げされてきた様々な問題を解決する、というのが当時の背景にあり、医療衛生は最優先に考慮しなければならない問題となっていた。そのため、改革の手段は最初、「政策は与えるがお金は与えない」という考え方がかなり明確にあった。
この過程において、衛生に投じる財政資金が全体に占める比率は徐々に減少していった。統計によると、1980年に政府が衛生に投じた資金は衛生関連総費用の3分の1だったが、1990年には4分の1まで激減した。
1990年代:
国務院は『衛生改革の進化に関する数点の意見』を公布。その後、指名医師による手術、特別擁護、特別病棟など従来なかったものが次々と出現してきた。まさにこの段階において、衛生関連機関の内部論争は激しさを増していった。「医院は金に目がくらんだのか」とか「政府が主導するのはやはり市場改革か」。この2つの考え方が相対立するようになった。
だが、1990年代を通じて主導的な地位を占めたのは、市場化の声だった。
2000〜2004年:
2000年に江蘇省の宿遷市で、後に完全な「市場化」と冠せられることになる医療体制改革、つまり医院の売却が行われた。それから5年、宿遷市では2つの公立病院を除き、133の公立病院が競売にかけられている。宿遷市政府は「医療事業について、ほぼ政府資本からの完全離脱を実現した」と自画自賛した。
これは主に財政資金の投入不足が要因である。政府の衛生資金投入の絶対値は年々増加しているものの、衛生関連総費用に占める比率は低下を続けた。1978年の32.3%から2002年には15.2%まで低下し、2004年には17ポイントも減少している。
国務院発展研究センター社会発展研究部の寧寧部長は「衛生費用は主に地方財政の歳出によって賄われており、地方は財政資金の投入を望んでいない」と指摘する。
「財政的負担から逃れたいという地方の衝動が、医療改革を市場化に向かわせた重要な要因の1つだ」。ある研究者はこう強調する。
2004年に開かれた「中国医療機関投融資フォーラム」はメディアに対し、民間企業や外資が100近くの医院の体制改革事業への参入に期待を示していることを明らかにした。当時の統計によると、2005年までに医療産業規模は6400億元に達するという。
2005年:
「市場化は医療改革の方向にあらず」。2005年5月24日、衛生部が管轄する新聞「医院報」は1面トップにこの見出しを掲げ、劉新明・衛生部政策法規司長の最新の談話を報道した。
これはすぐに衛生部の立場表明と解釈されて一時、社会の幅広い関心を呼んだ。劉司長の観点は、「高医療費」「医療難」といった現況の根源は、医療サービスの社会的不公平さ、医療資源の配置の低効率にあり、この2つの問題を解決するには、医療体制改革を市場化の方向に向かわせるのではなく、主に政府に依存すべきだというものだ。
市民の間には、国務院の医療改革に関する政策、方向が大幅に調整されるのではないかとの憶測が広がっていった。
ある専門家は「医療改革は基本的に成功していないとの判断に関しては、多くの市民がそうだと信じている。高医療費、医療難が社会問題となっている自体が、医療改革がすでに壁に突き当たっていることを示すものだ」と指摘している。
何のための改革か・誰のための改革化
改革は一体、何のためなのか。財政負担を軽減するためか、それとも多くの市民の生活の質、幸福の指数を向上させるためなのか。現在見れば、従来の医療改革は前者の傾向にあった感がある。
長年にわたる医療改革に「何のための改革化」といった考えがなかったのは、改革後、政府が公共サービスという理念を確立することはせず、医療衛生という公共の製品の質に対しても十分な意識を持たなかったことから、医療改革が盲目的に商品化、市場化の道を歩み出したからだ。「誰のための改革化」といった考えがなかったのは、改革以来、都市部と農村部の区分けが益々深刻化し、医療資源が都市部や政府機関、国有事業体・非事業体へと過度に偏ったことから、貧者と弱者を支援・救済するという基本的な公平さと正義が失われたからだ。「2000年に市民1人ひとりが衛生保健を享受する」との目標は実現されず、また「1人ひとり」はある程度、「都市部の人」の享受、「一部の人」の享受となってしまった。医療改革に関する研究報告は「現在、都市部では、医療保障(保険)制度がカバーする人数は約1億人であり、全都市部就業者の半数にも達していない。農村部では、全人口の約10%に過ぎず、大半の農民は国家医療保障体系から排除されている」と指摘している。
|