2005 No.42
(1010 -1016)
 

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>> 争鳴

自動車産業は自主ブランドの育成が必要か

このところ、自動車産業は自主ブランドの育成が必要かどうかが話題となっている。8月21日に広州市花都区で開かれた自動車フォーラムで、博鰲・アジアフォーラム事務総長の竜永図氏が、中国の自動車産業は自主ブランドを育成する必要はまったくなく、世界の自動車産業の生産現場になるべきだという驚くべき発言をしたのが論争の発端だ。何光遠氏ら中国自動車業界の専門家はこれに猛反発している。

関連資料によれば、現在、中国にはトラックやバス、乗用車などを含めブランドは355種あり、うち自主ブランドが69%、外国ブランドが31%占めている。しかし、乗用車のブランド100種のうち自主ブランドはわずか37種。これについて、中国自動車工業協会常務副理事長の蒋雷氏は「37%は好ましい数字には見えるが、真に市場価値と知名度を備えた有名ブランドは数えるほどしかない。中国の自動車産業は50年前に日本と同時にスタートしたが、いまは日本に遅れをとっているだけでなく、韓国にも追い越されてしまった。その原因は一言では言い尽くせない」と強調する。

先進技術の導入――品質向上――新製品開発によって自動車の国産化を促進するというパターンは、何年も前から自動車業界の多くの専門家が提唱してきたが、実際には国産化は想像以上に難しい。

ブランド育成は必要ない

博鰲・アジアフォーラム事務総長の竜永図氏:単に自主ブランドのための自主ブランド育成であってはならない。経済のグローバル化時代にあって、自動車産業が国際的な産業になるのは必定だ。今後、中国本土で生産された自動車を、その多くの基幹となる部品や技術が中国で開発され、中国で使用されるならば、ビュイックにせよ、フォルクスワーゲンにせよ、また日産やトヨタにせよ、それを何と呼ぶかはそれほど重要ではなくなり、高い起点からスタートし、グローバル化された協力と競争に参与することこそが重要になるだろう。

今後数年の内に、全世界で大手自動車メーカーは5、6社しか残らないかもしれないが、中国が広大な自動車市場となれば、生き残った大手自動車メーカーが国内に定着すれば、中国の自動車産業はともかく成功したと言えるだろう。必ずしも単独出資で中国ブランドを創出したからといって、成功したと言えるとは限らない。

対外的という問題においては、グローバルな視野が必要だが、私々が求めるのは製品の名称ではなく本質だ。自動車産業の発展を加速させるには、世界で最も優れた最大手の自動車メーカーとの協力を強化していかなければならない。

また、外国企業は、中国に進出して中国の企業法人となり、中国政府に税金を納め、中国人労働者を雇用しさえすれば、本土の企業となる。その後は企業にとって資金の出所は重要ではなくなる。経済のグローバル化が中国のグローバル化の発展を推進しているため、いかなる企業もその資金の出所を問わず、中国に就業の機会を提供し、中国政府に税金を納めさえすれば、良い企業となる。

中国自動車産業の発展をめぐっては異なる見方のあることを私も承知しており、その両方が本日のフォーラムで発表されたのは何ら不思議はない。どちらが正しいかは歴史が立証してくれるだろう。歴史に任せようではないか。

中国自動車工業コンサルティング発展公司・首席コンサルタントの賈新氏:11年前に中国初の自動車産業政策が打ち出され、自動車産業を自主的に発展させる絶好のチャンスとなったが、その機を逸してしまった。現在では合弁が数多くの業界にとって企業拡大を図る有効な手段であり、自動車業界も例外ではない。

私は竜氏の見方には大いに賛成だ。つまり「外国企業は、中国に進出して中国の企業法人となり、中国政府に税金を納め、中国人労働者を雇用しさえすれば、本土の企業となる」という見方である。業界は「単独出資または国有こそが本土の企業とであり、民営ではだめだ」という計画経済的な思考方法をしっかりと改める必要がある、というのが私の見方だ。

経済学博士の衛志民氏:竜氏は、自主ブランドは重要ではないと言っているのではなく、経済的代価を計算せず、計画経済的な手段と思考方法で自主ブランドを開発するというやり方に反対しているのである。

計画経済時代には、中国のブランドはほとんどが自主ブランド、民族ブランドではあったが、それによってわれわれは何を得たのだろうか。改革・開放以来、外国ブランドが中国市場に氾濫しているが、社会福祉や生産力はもしろ奇跡ともいうべき飛躍を遂げた。

自主ブランドは重要だと考えられているいま1つの原因は、自主ブランドを利用すれば加工費だけでなく、巨額の利潤を得られるからだ。こうした見方が広まっているが、正しいとは言えない。まず、市場競争力のあるブランドは激しい市場競争の結果であり、ブランドの確立には極めて大きな経済的代価を払わなければならない。従って、今後も「ボーイング一機だけで数億枚の中国製ワイシャツと交換できる」といった類の記事を目にしたとしても、不満や不平は必要などない。その企業が研究開発に投じた資金は、中国企業一社の総売上高の数倍にも上るからだ。それよりは、資源利用の効率にもっと関心を寄せるべきだ。近代化された大手企業は人心を奮い立たせるものだが、こうした分野での投資収益率が道端の靴の修理屋よりも低いことはよくある。

次に、竜氏が言うように、単に自主ブランドのための自主ブランド育成であってはならないことだ。「民営企業家は高邁な理想を持たず、他人のために汗水流すことに甘じている」との批判の声があるが、誰でもが知るブランドのメリットを、まさか企業家自身が知らないわけはない。実際、国内企業は、進んだ技術の活用や、管理ノウハウや資本の蓄積を実現したあかつきには、自らのブランドを創出できるだろう。ビジネスマンほど利潤を追求する者はいないからだ。

ある具体的な産業について言えば、国内の資源の強みを生かして産業構造の拡大と調整を行う必要があり、今はもはや「自力で完全な工業システムを発展させる」時代ではなく、すでに国際経済分業体系に参与しているため、何でも生産する必要はなくなっている。比較的優位にある産業には、資本の蓄積や技術水準、研究開発能力の向上に伴って自然に、競争力のある自主ブランドが創出されるだろう。これは議論の余地のない結果だ。

ブランドの育成は必要

元機械工業部部長の何光遠氏:私は竜永図氏の見方にはあまり賛成できない。竜氏の見方は知的財産権保護の潮流にそぐわないからだ。知的財産権は知識面での抑制権を代表するものであり、ブランドは知的財産権を代表するものである。自主ブランドを創出する必要はないという見方は理にかなっていない。

中国は外国企業との協力を通じて、外国の技術や管理ノウハウを学ぶとともに、自らを発展させ、知的財産権のある自主ブランドを開発していかなければならない。こうしてこそ、中国はより大きな利益を得ることができるのである。合弁企業においては、中国側には製品問題で基本的に発言権はなく、いかなる変更であれ、外国の認証機関の認証を受けなければならず、またずいぶん長く待たされるのが現状だ。こうした状況が長期にわたって続くことは、中国の目指すところのものではない。

中国社会科学院博士課程の管清友氏:自主ブランドは民族産業にとって一体何を意味するのか。そこからいま1つの問題が派生する。それは民族産業は国際協力と競争に平等に参与する必要があるのかどうかという問題だ。これは論理的な問題だ。つまり、民族産業に自主ブランドがなければ、基幹となる部品や技術を開発する原動力が充足することはない。だが、すでに開発能力があれば、自らを外国ブランドの傘の下に置く必要はあるだろうか。

民族として、また国としての自主ブランドが確立していないということは、私的な感情から言えば受け入れられないものだ。

むろん、中国には自主ブランドが必要であり、これは単なる感情論ではない。民族産業にとっては、自主ブランドは一つの標識であれば、機会でもあり、民族産業がグローバル化の過程において長期的な利益を獲得する上で重要な条件でもある。知名度のある自主ブランドは、その民族の名刺であり、製品の属性や利益、民族の文化、価値観を具現するだけでなく、民族産業を絶えず発展させる原動力ともなる。