2005 No.43
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知識人VS過労死

安子

年齢わずか36歳の浙江大学数学部の教授、博士課程院生の指導教官だった何勇氏は、拡張性の末期肝臓がんで8月5日に亡くなり、家族や大学の同僚は過度な疲れが死因だと指摘している。年初には「清華大学で2人の若い教師が相次いで死亡」との報道もあり、過労死への関心が再び高まっている。

最近相次ぐ過労死

病気もせずずっと健康だった何勇氏は今年5月31日突然、発熱した。解熱剤を飲み続け、学内の病院で診察を受けたが、一向に良くならなかった。6月9日からは学生と一緒に大学入試問題の採点に取り掛かり、この時に熱は38度。家に帰るとひどい疲れを感じ、食事も少ししか口にできなかった。7月5日に肺のCT結果が出ると、医師は肝臓の検査を行うよう勧め、その日の午後、拡張性の末期肝臓がんと診断された。

8月5日、何勇氏は診察を受けてから30日余りで亡くなった。「彼は苦しみながら行ってしまった。1カ月の間、痛みに襲われていた」。何度も彼を見舞った同僚は非常に残念だと話す。

今年に入り、何勇氏のような訃報をメディアが報道するようになった。

蕭亮中氏は中国社会科学院辺疆史地研究センターの学者で、享年32歳。1月5日の夜明け前、睡眠中に息をひきとった。メディアは「この若者を襲ったのは、過度の疲労と生活のプレッシャー、心につもった焦燥だ」と報道した。

焦連偉氏は清華大学電機・応用電子技術学部の講師で、享年36歳。1月22日、突然亡くなった。医師の診断によると、死因は突発的な心臓停止による心筋梗塞だ。亡くなる前、心臓には何ら問題はなかった。親族や同僚は、長年にわたる仕事の過度の負担、大きな心理的、生活のプレッシャーと関係があるのではないかと考えた。

高文煥氏は清華大学工程物理学部の教授で、享年46歳。1月26日午後、肺腺がんで亡くなった。医師は、仕事が多忙を極めため最良の治療時期を逸し、病状が悪化したと話している。

1月26日、新華社は「ノーベル賞の受賞を期待されていた山東大学の全息生物研究所の張穎清氏が、不幸にも2004年10月20日に57歳の若さで亡くなり、科学技術界に強い反響を呼んだ」と、長編の報道記事を発表した。実は知識人の過労死については、80年代に集中的に報道されており、当時の光学の専門家・蒋筑英氏などの夭折は一時、中央政府も重視したが、残念なことに20年を経た今日でも、深刻な社会問題となっている。

仕事の過度の負担

「私と16年共にした学生が、どうして私より先に行ってしまったのか」。何勇氏の修士、博士課程の指導教官で、数学部の姚恩瑜・元主任は全く突然だったと惜しむ。

数学部が彼のために開設した追悼のホームページには、内外の数学者から何勇氏の夭折は「中国の演算学界の重大な損失だ」と死を悼むメッセージが寄せられた。

「彼は疲れきっていた」。同僚の張国川氏はこう話す。「彼は言葉数が少なく、自分に厳しく、仕事に一生懸命だった。奥さんが言っていたが、食事をする時も片手で茶碗を持ち、片手で本を持ったり、コンピューターを打ったりしていたそうだ。いつも肩に黒いカバンを掛けて忙しそうに出入りしていた。昏睡状態に陥る間際になっても、奥さんに肩に掛けたカバンを下ろしてくれと頼んでいた。掛けている布団をカバンだと思ったのだ」

姚元主任は「彼はいつも体力と気力に溢れた様子だった。私たちは常々、若者に責任を担わせることは良いことだと考えていたが、今では大変後悔している。長期にわたって過度に負担をかけたことで、損失を大きくしてしまった」と心を痛める。

数学部の劉克峰主任は「国内の青年、中年の教授は国外の教授に比べ、その責任とプレッシャーはずっと大きい。我々はこうした状態を改めて、彼らにもっとリラックスした環境の中で学問をさせることができるのだろうか」と語っている。

清華大学の段遠源教授は「夭折は我々の大学ではニュースにはならない。仕事量は過度の負担となっているが、誰もがこうした環境の中で生き、競争しているため、すでにマヒしている」と指摘する。

死亡年齢の大幅低下

ある研究統計によると、中国では中年知識人の平均寿命は非常に低い。

上海市社会科学院がこのほど公表した「知識人の健康調査」によると、知識人が最も集中している北京市では、平均寿命が10年前の58.52歳から調査時点で53.34歳まで低下しており、第2次全国人口調査時の北京市の平均寿命75.85歳を20数歳下回る。

新興都市の深?市も同様で、この20年近くの間、経済特区で働く知識人のうち3000人近くが亡くなっているが、平均年齢はわずか51.2歳と、第2次全国人口調査時の広東省の平均寿命76.52歳を25歳下回っている。

中国科学院工会(労働組合)は1997年8月、全研究所の職員・労働者を対象に1991年から1996年末までの死亡状況について調査を実施。その結果、科学者の平均死亡年齢が52.23歳であることが判明した。

華南理工大学付属病院のデータによると、この2年来、がん患者数は最高で120数人、心臓・血管病患者数は200人余りに上り、その多くがすでに亡くなっているという。

「過労死」とは、過度な仕事が原因による急死を意味する。日本では過労死は労働災害に認定されているが、中国の関係法律にはこうした規定はない。

では、どんなタイプの人が過労死になりやすいのか。

医師は(1)裕福で地位のある人、特に消費することしか考えず、健康に留意しない人(2)事業心の強い人、特に“仕事狂”の人(3)遺伝的に早死の血統だが、健康だと自認する人(4)ワーカホリック(5)残業が多く、仕事時間が不規則な人(6)長期にわたり睡眠不足の人(7)自己への期待が強く、しかも緊張しやすい人(8)リラックスしたり趣味に興じたりしない人――などのタイプを挙げる。

各氏が語る過労死

◇山東省南一中の李先梓氏:誰が重い“カバン”を下ろしてくれるのか

「臨終の際、何勇氏はベッドの上で薄ぼんやりと『背中のカバンを下ろしてくれ』と言ったそうだ。そう、こう言えるだろう、すべての知識人は背中に、仕事や生活という重い“カバン”を背負っているのだ。知識人はどうしてこの重い“カバン”を下ろす力がないのだろうか。この“カバン”には重くてたくさんの科学研究や教育の任務、指導者としての信任や期待、事業を成し遂げたいという熱望がぎっしりと詰まっているから、自分では下ろすことができないのだ。一方で、苦闘し前進することが、中国では知識人の職業道徳となっており、これが絶えず彼らに生理的な極限を超えることを強いている。何勇氏について言えば、彼が1学年にした仕事に対する考査は、数学部の平均考査点数の3倍だった。知識人のために背負った重い“カバン”を下ろすには、管理者について言えば、第1に、彼らの仕事量を合理的に配分する、第2に、彼らに対して別に『生命の安全』の教育を実施する、第3に、自らを調整し、自らをリラックスさせる時間と機会を持たせる、この3つの点をしっかりとなすべきだと考える」

◇湖南省瀏陽市の張之倹氏:自ら重視することが重要だ

「私は、知識人は自ら重視することが最も重要だと考える。知識人の過労死はある程度、自らの生活に計画性がないからだ、と言えるのではないか。自らの職場で過労死する、その根本的原因は恐らく、仕事が急がし過ぎるからではなく、主に生活のリズムを把握するのが下手で、体を鍛えることにも留意しないからだろう。仕事は生命の全てではなく、事業も生命の全てではなく、家庭はあっても無くてもいいものではなく、休息もどうでもよいものでもない。何をいかに捨てるかを学び、長期的な視野に立つことが肝要だ。国外では、一部の知識人は定期的に休暇を取ることができ、仕事が多忙を極めると、家族と過ごす時間を持つようにしている」

◇雑誌『中国新書』の劉培錦氏:生命を犠牲にする貢献はすべきではない

「現在の知識人は快適に生活し、満足して仕事をすべきだ。だが、有形、無形の圧力が大山のように知識人の身を押しつけている。無形の圧力とは、社会の先入観だ。知識人は社会生活の中で社会ルールの最低線ではなく、最高線まで達するよう求められている。まさに『完ぺきな人』ということであり、そうでなければ、知識人にふさわしくないと見られてしまう。有形の圧力とは、大学や研究機関での職務、論文、著作といった過酷な、ひいては硬直化した規定だ。もちろん、何もせず、進歩を求めようとしなくともそれで済むが、それでは本質的に、知識人の名に恥じることになる。この両者が一体となって、知識人に我を忘れるほどの仕事をさせ、そこまでしても惜しむことのないようにさせているのだ。従って、外部から知識人の圧力を解いてやり、快適に生活し、仕事をさせるようにする必要がある」

◇広西大学の張鯤翼氏:大学は過労死に責任を負うべきだ

「筆者は、大学は知識人の夭折とは切り離せない関係を持ち、人材の損失には責任を負うべきだと考える。先ず、大学は中年、青年知識人の健康教育を行ったことがあるのだろうか。恐らくないだろう。大学構内を歩くと、病院や老人活動センターで教職員向けの健康講座や疾病予防検査を行っているのをよく目にするが、中年や青年教師の健康に対する医療保障措置はむしろ希だ。浙江大学のこの若い指導教官は『病気もせずずっと健康』で、検査してようやく不治の病にかかっていることが分かった。次に、大学の科学技術と学術管理に重大な弊害があることだ。現在の大学での“汁を搾る”式の学術研究の雰囲気にはじつに驚かされる。若い学者や専門家は無限の精力があり、若く力があるうちに多くの貢献をするのが当然だと考えられている。一方、多くの年配の専門家や指導者は重任を課し、多くの任務を与えようとする。“汁を搾る”式の方法で彼らの頭にある知識を掠め取るのは、まさに“鶏を殺して卵を取る”に等しい」