2005 No.46
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老後をどこで過ごすか

――高齢化社会に入った中国では、老後をどこで過ごすかが、多くの高齢者、特に身体の不自由な高齢者にとって、頭の痛いかつ直面せざるを得ない問題となっている。

馮建華

つい先日、戴和さん(77歳)は、自分と妻のために養老院(老人ホーム)を選ぼうと、1週間ほどかけて北京にある数カ所の介護施設を尋ね歩いた。戴さんは16年前に退職。それまでは政府機関に勤務していた。

高齢化社会に突入した中国では、伝統的な考え方から、多くのお年寄りが自宅で暮らすことを望んでいるが、多くの都市で、戴さんのように介護施設を選ぶ人が増えつつある。そうした人の多くは退職金があり、自分なりのライフスタイルを持ち、長年にわたって子どもと同居していない。体が悪くなったとしても、子どもに面倒をかけるのを望まず、家政婦を雇うか、施設に入ることを考えている。

だが戴さんは気に入った施設がなかなか見つからず、少し落ち込んだ様子だ。「経済的に問題はないと思うと、設備が気に入らない。気に入ったかと思えば、経済的に無理。様子を見て決めるしかない」と小声で語り、嘆息した。

戴さんは5歳年下の妻と一緒に暮らしている。妻も定年退職した。子どもたちはすでに結婚し、市内に離れて暮らしている。仕事が多忙なため、見に来るのは週末だけだ。普段は電話で連絡を取っているという。

戴さんと妻には退職金があり、生活に問題はなく、子どもを経済的に支援する時もある。だが、万が一にも大病を患ったり、自分で身の回りのことができなくなったりしたら、2人の退職金では生活は多少なりとも困難になる。「それはあり得ないことではない。年老いたら何でも起こり得る」と戴さんは憂慮する。

数年前まで元気だった戴さんは、単純だが充実した生活を送っていた。午前中は読書、午後は勤め先の高齢者活動室で仲間と娯楽に興じる。朝晩の散歩は欠かさない。時事問題や政治、歴史に興味を持ち、定年退職してから数百万字におよぶ中国通史に挑み、すでに読み終えた。毎日何種類かの新聞に目を通し、世界で起きた重大ニュースや時事の動向に関心を持っている。

「今では体は弱くなり、目も不自由になって、物を見るのが大変だ」と戴さんは頭を振った。

体が日ごとに弱くなってきたので戴さんは、自分と妻のために養老院を探すことを考えた。「万が一にもいつか体が動かなくなったら、面倒を見てくれる人がいないと困る。子どもたちは仕事に忙しく、家庭もある。期待することはできないだろう」と戴さん。

自分で身の回りの世話ができなくなった時の扶養の問題については、これまで子どもたちと相談したことはない。事前に「不幸」なことを語るのは「不吉」だ、と考える人が多いからだ。これが意図的に相談しなかった原因だ、と戴さんは言う。

「だが、もう待つことはできない。なんとかしなきゃ……。でないと、自分の人生は受け身になってしまうかもしれない」。そう思って戴さんは、北京にある数カ所の養老院を尋ねたのだ。

しかし、このことはまだ妻に告げるつもりはない。彼女は考え方が伝統的で、「家」は人生最後の終着点であり、いくら年老いても、困っても、離れることはできないと考えているからだ。そこで戴さんは一人でこっそりと尋ねることにした。気に入った施設が見つかったら、なんとか妻を「騙して」入所させ、自ら体験させたら、考え方を変えるかもしれない、と戴さんは考えている。

戴さんの周りには、すでに施設で暮らしている人も少なくない。いずれも子どもたちとの関係は良いという。

今悩んでいるのは、費用が高いか、設備があまり良くないか、そのどちらかであり、しかも両方とも受け入れ難いことだ。

初秋のある午後、戴さんは普段と同じように、近所を散歩した。妻は彼より元気だが、外出は好きな方ではないから、散歩はほとんど一人だ。少し疲れたので、道端のベンチに腰をかけて一休み。後ろでは、お年寄りが三々五々集まって輪をつくり、中国将棋を指したり、トランプに興じたりしている。たびたび笑い声が起きる。言い争う声も聞こえてくる。こうしたお年寄りが自発的につくる娯楽の場所は、街でよく見かけるようになってきた。一人で長いベンチに座る戴さんは落ち込んだ顔をしている。体が言うことを聞かなくなってきたので、こうした活動は戴さんにとって「心はやれど力及ばず」なのだ。

北京に住む楊秀春さん(86歳)は、家から近い養老院に住んで約20年になる。夫が亡くなった後、一人暮らしが寂しくなり、生活習慣も子どもたちと違うため、同居は望まず施設に入ることを希望した。

楊さんは無口な人だ。手足も多少不便になってきた。記者が写真を撮ろうとすると、ゆっくりと手を振って拒んだ。今の生活を人に知られたくないのだと言う。

施設の生活に不満がある、食べ物が口に合わない、設備が整っていない、スタッフのサービスが悪いことがある……。楊さんは語ってくれた。彼女はもともと潔癖な性質で、ほかの老人の不衛生さは見ていてたまらないという。それが原因で、入所者とよく悶着を起こすらしい。しかし、もう一度選ぶ機会があったらどうするかと聞くと、やはり養老院に入ると答えた。「どうしたって、施設での生活の方が自由だし、何にも増していいから」というのが理由だ。

子どもたちはほぼ毎月1、2回は訪れる。おいしい物や新しい服を持ってきて、世間話をする。楊さんにとって最も幸せな時間である。仕事が忙しくて、子どもが長く来ない場合や、気分があまりすぐれないと、楊さんは杖をついて自分の方から子どもの家に出かけて行く。しかし、数日泊まると落ち着かなくなり、養老院に戻ってしまうという。

現在の養老施設は「両極分化」の状態にある、と言っていいだろう。デラックスか、でなければ、設備が充実していないかのどちらかだ。一般のお年寄りが真に満足できる施設は数少ない。戴さんのように「様子を見て決める」お年寄りや、楊さんのように我慢しながら施設に住むお年寄りが多いのが実情だ。

しかし、養老施設に住む能力のあるお年寄りと比べて、退職金を持たない農村部のお年寄り、あるいは都市部の貧しいお年寄りを扶養する問題は一段と難しくなってきた。統計によると現在、全老齢人口のうち約70%が農村で暮らしている。少なくとも今後20年間は、こうした状態が続くと考えられる。

孫有勝さん(72歳)は中国北部の貧しい農村に住んでいる。息子は1人、娘は2人。息子は村の大多数の若者と同じように、早くに妻子を連れて北京に出稼ぎに出て行き、夫婦2人だけが残された。元気だったころは、わずかばかりの田畑を耕してなんとか生活を支えていたが、ここ4、5年の間に2人とも体が弱くなり、野良仕事はできなくなった。

農村の伝統的な考え方では、老人を扶養するのは息子の義務であり、嫁に行った娘は「他人」になるため、娘に扶養してもらうことはできない。北京に出稼ぎに行った息子は、田舎に帰って両親の世話をする暇はなく、生活も余裕がないため、十分な生活費を与えることできない。そこで、両親を北京に迎えることにした。一家6人は今、約20平メートルの半地下の部屋に住んでいる。

生活費を少しでも補おうと、孫さんは息子の目をごまかしては、廃棄物を拾い集めて売っていたこともあったが、最近になって商売を始めた。道端に小さな屋台を置いて、靴下や靴の中敷きなどの小物を売っている。標準語が話せないのが商売に多少影響していたが、聞いて分からないと、手振りで客と駆け引きをするようになった。それが人気で“野次馬”が集まるようになったという。

「家では何もすることがなくて暇だ。いくらかでも稼げれば、それなりに息子の負担は減らせるだろう」。孫さんは頭を上げながらそう言った。

日が暮れ、気温も下がってきた。息子に心配させないよう、早く家に帰るよう勧める人もいる。「もうちょっと待てば、多少でも稼げる……」。体は寒さに縮こまっているが、質朴な笑顔がそこにあった。