2005 No.50
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鳥インフルエンザは天災か、それとも人災か

渡り鳥が訪れてロマン溢れる秋に寄せる人々の想いは今年、H5N1型と呼ばれるウイルスによって打ち砕かれてしまった。専門家の研究から、多くの地区で家禽の大規模な死亡を引き起こした高病原性ウイルスは渡り鳥によって世界各地に運ばれたことが判明し、また新型インフルエンザの流行を引き起こす可能性があり、一旦流行すれば、2003年のSARS(新型肺炎)の感染を上回る深刻な状況になると予想されている。

統計によると、2003年に初めて鳥インフルエンザが報告されてから、今秋に再流行するまで、処分されたものを除き、全世界で約1億5000羽の家禽が死亡。感染者は121人で、うち死亡者は62人。経済的損失は30億ドルに上る。

鳥インフルエンザの蔓延と拡散は人々に恐怖感を抱かせ、大量の家禽が処分された。こうした状況に対する人々の考え方は様々だ。人命に重大な係わりがあるため先ず、人の生命の安全を考慮すべきだ、いかなる時でも動物を大切にし、たとえ殺さざるを得ない場合でも、できるだけ人道的に処理すべきだ、鳥インフルエンザの流行は天災だが、恐らく、人類が動物を大切にしなかったことによる生態環境破壊の結果でもあり、より人災的である……。

どんな時も動物は愛護すべきだ

■米ゲティーズバーグ・カレッジの沈睿準教授

動物の福利と権利に関する運動が広まるにつれ、天災か人災に関しては、動物は人間と同様に地球の住人であり、彼らにも権利がある、との共通認識がすでにある。

動物の権利と福利への関心は、一定の過程を経てきた。傾向としては、人類は自分と共に地球上に住むその他の動物に益々関心を寄せ、重視すると共に、自分も動物の1種に過ぎないと意識するようになった。地球の生態と生物との関係は複雑な過程を持っており、ある意味で、どちらも欠かすことはできない。人が地球を司っている、との考え方はすでに厳しい試練を受けている。

現在、鳥インフルエンザが人類の健康への脅威となっているが、私は、この問題から新たな啓発が得られるのではないかと思う。

先ず、人と動物との区別だ。人と動物は完全に同じではない、と多くの人が考えている。人は動物よりずっと“高貴”であると。何故そうなのか、と聞けば、人には感情や理性があり、動物にはないと答えるだろう。ペットを飼っている人なら誰でも、こうした論点に直接的な経験をもって反駁することができる。この百年近くに人類の動物研究が進んでいることからも、こうした理論に深い理論をもって反駁することができる。実は動物は人類と同に様に、感情を持ち、理性も持っているのだ。その区別は程度の問題に過ぎない。ただ、人自身の感情と理性の程度も同じではない。感情が豊かで理性の強い人に、彼らがその他の人より高貴だと考える権利があるとでも言うのだろうか。他人の運命を決定する権利があるとでも言うのだろうか。

次に、私たちは人と動物との関係を改めて認識し、検討しなければならない。この関係は、人はいかに動物に対処するかといった問題にとどまらず、人はいかに自身と自然との関係に対処するか、人はいかに自己の自然環境における位置を理解するか、という問題でもあるのだ。西側の主要大学の哲学部は「動物権利哲学」課程を設置して、この問題を研究している。動物の福利と権利に関する運動も一貫して、哲学的な研究と歩調を合わせて進められてきた。動物の権利あるいは福利に対する考えや認識がなければ、行動を起こすことはできない。我たちの哲学者や思想家は、これについて研究したことがあるのだろうか。

■北京動物保護ボランティアの王培氏

鳥インフルエンザが発生すると、いつでも、全世界で数百万羽のニワトリやアヒル、カモが無情にも殺される。国際ニュースで目にするが、彼らは絶望的に羽をばたつかせながら逃れようとし、防毒マスクをつけた人間に野蛮にも捕えられて、1羽ずつ容器に押し込まれ、毒ガスで燻されて焼死するか、深い穴に活きたまま埋められてしまう。

鳥インフルエンザが怖がれる中、人びとは無辜な渡り鳥にまで怒りを爆発させはじめた。一部の国では、野鳥が巣をつくる場所を破壊したり焼き払ったり、ツバメが屋根下に巣をつくらないように、細かな目のネットや粘着剤のついたネット網を付近の通路に掛けたりしている。

彼らの恐れる鋭い叫びを聞いても、反対する人はいない、これは犯罪ではないかと大声で叫ぶ人はいない。この事実を僕たちは受け入れている。

これは疾病を防止するには仕方のないことだ、と言うかもしれない。だが、僕らの心の深いところにある問題をも突いている。こうした一切の手段を講じる本当の理由は、結局、疾病を防止するためなのか、または万物を司る者として、完全に殺戮する権利を持っている、との過度の自信があるからではないか、という問題だ。

人類自らが編んだ殺戮のネットは地球上のすべての生命の頭上を覆うことができる。だが最後には、それが同じ様に人類を縛りつける日が来るのではないかと思う。

処分は時に人類保護最良の方法

■雲南大学法学院の楊臨宏副院長

『中華人民国動物防疫法』第12条は、「国は予防措置を講じて養殖産業と人体の健康に著しい危害を与える動物の疫病を撲滅しなければならない」と規定している。

私個人としては、法律の角度から言えば、動物が人類に危害を及ぼす可能性のある伝染病にかかった場合は、先ず積極的に方法を考えて治療、つまり、人類と同様に、例えば食用する食べ物に疾病を治療し、または疾病を予防する薬を入れるといった治療手段を与える必要があると考える。もちろん、こうした方法では人類にもたらされる危害を防ぐには十分でない場合には、私個人としては、屠殺する方法を採用するのが人類を保護する最良の方法になるのではないか、と考える。

一般の状況では、法律では野生動物は保護しなければならず、保護し、われわれ人類と共に未来に向かっていくことができれば、人と自然の調和の取れた発展を遂げることができる。しかし、こうした動物がすでに人類の健康への脅威となっており、人類の安全を脅かすとなれば、人類が自己防衛の方法を講じなければならないのは確かである。先ず自己を保護して初めて、その他の動物にも配慮することができる。そのため私は、『伝染病防止治療法』や『動物防疫法』の捕獲・屠殺に関する規定、緊急措置に関する規定はいずれも特別措置であり、人類が自己を保護するためにやむを得ず講じる手段だと考える。

■北京のタクシー運転手・呉有旺氏

現在の厳しい状況の中で、動物の福利について語るのは一種、非常に非現実的な贅沢な談義だ。人類自身の生命が脅威にさらされている時には、先ずこうした危険を取り除く方法を考えるべきだろう。人類が安全であってこそ、動物を保護することができ、自然環境を保護することができる。でなければ、すべては空談となってしまう。現在、鳥インフルエンザが人間社会で急速に蔓延するのを防止する最も有効な方法は、あくまでも、かつ思い切って、少しの情も残すことなく、疾病を伝播する可能性のあるすべての家禽類を屠殺することだ。そうしなければ、疫病が拡散して取り返しのつかない結果を招くことになる。

人類にとってはまさに自業自得

■北京市民の王大明氏

SARSが収まった後、今はそのワクチンの製造が進んでおり、近く臨床実験が始まるという。

これで多少は安心できる。だが、枕を高くし寝られると考えるなら、それは大きな間違いだ。「冠状ウイルスの父」と呼ばれる台湾の学者、頼名詔氏は「実は、ウイルスはウイルス学より賢く、人と細菌やウイルスの戦争では、人類は勝つことは無理であり、そのためウイルスや細菌は変異する可能性がある」と指摘している。鳥インフルエンザを例にすると、蔓延してから現在まで、ウイルスは何度も変異しており、人類はそれを食い止められないでいる。SARSウイルスに科学者はより大きな関心を示したが、米国のある中国人科学者は、SARSウイルスは絶えず変化しており、今後、伝染性や毒性がより強い新型の冠状ウイルスの変種が出現する可能性がある、と指摘している。

現在、我々は好き勝手に動物を屠殺しており、屠殺する前にも、何ら配慮することもなく虐待している。早く生長させるために、様々なホルモンを投与することで、遺伝子を変異させてきた。コスト節減のために、狭く汚い檻の中に閉じ込めてもいる。

現代人の動物に対する冷淡さと残忍さが、人と動物との関係をこれまでにないほど緊張させ、争いを引き起こしている。この争いで、人類の受動性が明らかになった。我々は最も重要な時を迎えている。人類中心主義を放棄せず、動物を尊重し、大切にすることを学ばなければ、近い将来、人類は危険な立場に置かれることになるだろう。

■国家林業局野生動植物研究・発展センターの銭法文氏

SARSや、鳥インフルエンザにしてもそうだが、人体のある部位の突発的な潰瘍と同じ様に、それは非偶然的なことではなく、必ず因果関係があり、内因も外因も、決して根拠のないものではない。

この2つの疾病は人類に感染することから、社会は大きな関心を寄せている。同時に、それと関連づけることができるのが、東アジアや東南アジアでこの数年頻発している水害や干ばつ、砂漠化、赤潮などだ。こうした災害頻発地域の経済発展状況とさらに関連づけて見ると、生態環境の犠牲を代価に経済を発展させてきた地域では発展を続ければ、それだけ実際は人災である「天災」が多発していることが分かる。これは大自然の人類が生態バランスを破壊したことへの報復だろう。

現代文明と自然の規律との間の矛盾を解決する根本的な方法は、経済を発展させる同時に、我たちはより科学を尊重し、自然を尊重して、生態環境を改善していく必要がある。これは大自然によるこの数年間の様々な災害が私たちに提起した要求だ。経済の発展と自然の尊重、これこそがより次元の高い現代文明である。