義務教育を完全無料化へ
改正後の「義務教育法」が来年、最高権力機関である全国人民代表大会で採択される見通しとなったことから、義務教育の完全無料化に向けた具体案の制定がいま、各地方で進められている。
唐穎
1986年7月1日に施行された「中華人民共和国義務教育法」(以下「義務教育法」と略称)は、学校は9年制(小学校6年・中学校3年)義務教育を受ける児童・生徒の授業料を免除すると規定している。後に国務院が制定した「義務教育法実施細則」には、義務教育の実施校は飲用水や光熱、机などの設備の維持・管理など、児童・生徒の学習や生活に必要な諸雑費は徴収できると盛り込まれている。
9月8日、北京市の教育担当の范伯元副市長はラジオ放送のある番組で、来年から義務教育段階の授業料や教科書代、雑費の完全無料化を実施する市政府の計画を明らかにした。また、北京市は「第11次5カ年計画」(2006-2010年)期間中に高校の教育費の無料化や、特に農村部と経済的に困難な家庭の高校生を対象にした完全無料化を目指している。だが、北京の戸籍を持たない生徒や出稼ぎ労働者の子供について、范副市長は「まだ検討中だ」と説明するにとどまった。
蘇州、完全無料化の実施を表明
同日の9月8日、蘇州市は来年秋の新学期から授業料や教科書代、雑費を完全に無料化することを明らかにした。この計画が実施されれば、義務教育費を全額負担する市政府として蘇州は全国初となる。
蘇州市は「教育都市」を自認している。朱永新副市長は「義務教育の完全無料化は、政府が保護者に代わって負担を受け持つことであり、政府が履行すべき基本的機能だ。完全無料化を推進するのは、義務教育事業に対する政府の責任を強化することが目的だ」と強調する。
江蘇省教育庁監督指導団の成尚栄氏は「義務教育には本質的に強制的実施と、無料という二つの重要な点がある。中国はこれまで長年にわたって強制的実施に取り組んで、9年制義務教育を普及させてきたが、無料という点も忘れてはならない」と指摘する。
蘇州市民にとって、一学期200元〜300元程度の授業料の免除は大した意味はないと考える保護者もいる。子供により良い教育を、という考えから高額な授業料を払って私立学校や有名校に通わせる教育熱心な親も多いからだ。とはいえ、同市で経済的に最も豊かな高新区を見ても、楓橋町に住む4000人余の小中学生のうち、経済的理由で授業料を滞納したり、支払えないでいる児童・生徒が百人近くもいる。楓橋町居民事務所社会事業科の唐国華科長は「経済がいくら発達しても、家族が病気して貧しくなったり、親の離婚で家庭が崩壊したりすることはよくある」と指摘。朱副市長も「すべての者が等しく義務教育を受けるのが、公平さを推進する措置の一つだ」と強調する。
蘇州市は1992年に9年制義務教育を実施して以来、完全無料化を目指してきた。現在、小学生は36万5000人、中学生は23万7000人を数え、このほかに出稼ぎ労働者の子供が18万人いる(うち11万人はすでに公立学校に通っている)。年間教育支出の追加額は3億元前後に達している。
蘇州市は江蘇省で経済が最も発達している都市である。統計データによれば、昨年の域内総生産(GDP)総額は3450億元で、上海と広州、北京に次ぐ規模となった。歳入額は前年比49億1000万元増の219億6000万元に達したが、教育への財政支出は40億5900万元で、GDPのわずか1.18%。財政状況を見ただけでも、市政府による完全無料化は実行可能だ。
朱副市長は「中央政府と江蘇省政府の義務教育の完全無料化実施についての基本的戦略構想と推進の方向性はいずれも、都市部より農村部、とりわけ農村部の貧困地区を優先させるという考え方だ。全国の農村部に普及させるには恐らく5年、都市部ではさらに5年かかるだろう。蘇州市は3年ないし5年で農村部と都市部で同時に達成できると見ている」と自信のほどを示す。
しかしながら、蘇州市政府には、義務教育の完全無料化の推進に必要な経費は誰が負担するのか、どんな割合で、どんな対象範囲で実施するのか、いかにして計画通りに資金を確保するのかなど、まだ対応や解決を要する問題は多い。全住民を対象とする完全無料化の実施によって起きると考えられる「就学のための転居」について、朱副市長は「出稼ぎ労働者の子供は無料で義務教育を受けられないというわけではないが、条件にかなっていなければならない」と説明する。蘇州市教育会議がまとめた「出稼ぎ労働者の子供に対する教育のさらなる着実な実施に関する意見」草案には、「戸籍の所在地に保護する者がいる場合、原則的に戸籍の所在地で義務教育を受けるようにすべきである。戸籍の所在地に保護する者はいないが、両親が蘇州市に1年以上居住し、安定した住居があり、安定した職業に就いていれば、9年制義務教育をまだ終えていない6歳から16歳までの子供は、市立の中学校や小学校で義務教育を受ける申請をすることができる」という規定が書き込まれている。この「意見」から見ても、同市が今後制定しようとする「無料義務教育細則」がかなり条件の緩いものになることはないだろう。高新区新墅学校の方国伝校長は「たとえ市政府に出稼ぎ労働者のすべての子供に無料で義務教育を受けさせる資金があったとしても、児童・生徒が激増すれば、既存の施設では足りなくなる」と憂慮を示す。
義務教育の無料化は公有資源を無償で使用するため、どのように浪費を避けるかも問題となっている。例えば、来年から、義務教育無料化の実施校には教科書のリサイクルが導入されることになっているが、児童・生徒が今の教科書の使い方を短期間で変えられるかどうかは別にしても、国内の教科書や付属教材の内容が頻繁に変更されることだけを見ても、求められる「効率の利用」は必ずしも達成できるとは限らない。鳳凰テレビ局の倪方六記者は「財政支出の効率化を論じるなら、しかるべき管理措置がそれに合わせてさらに必要だ」と指摘する。
同市のある教育経済専門家は「全国に先がけて義務教育の無料化を実施する都市として、ほかの地域にとって参考になる関連規則の策定に当たっては慎重に考慮しないと、好例も悪例となる可能性もなくもない。これが『細則』の制定の最も難しいところだ」と懸念を示す。
これに対して、朱副市長は「具体案はまだ検討中だが、市直轄の5つの区・県はいずれも、実施に問題はないと言明してくれた。財政難にある区や県及び郷、鎮も一部にあるが、市と県政府はそのための専門基金を設立する考えだ」と自信を示す。
南京大学社会学部の張玉林教授は、蘇州市が率先かつ慎重に実施することに賛同する。張教授は「率先して実施すればほかの豊かな地区にとって大きなプレッシャーとなるだけでなく、貧困地区の政府にもプレッシャーをかけられるだろう。ほかの地区が実施しているなら、自分のところも実施を急がなければならないと考えるからだ。従って、蘇州市の率先的な実施は全国範囲の推進に大きな役割を果たすと期待される」と評価している。
江蘇省は来年から一部地区で義務教育の無料化を試行する予定だ。広東省も、一般の家庭より経済的に困難な家庭を優先させ、都市部より農村部を、経済が発達した地域より経済が遅れている地域を優先させる原則に基づいて、15年かけて義務教育の無料化を推進する目標を打ち出した。省内に戸籍のある児童・生徒の義務教育経費を全額免除した場合、年間財政支出は60億元を超すと予想されている。
農村部で完全無料化へ
温家宝国務院総理は11月28日、北京で開催された国連教育科学文化機関(ユネスコ)の第4回「万人のための教育(EFA)ハイレベル・グループ会合」で、今後2年内に農村部で義務教育の完全無料化を実施することを明らかにすると共に、「9年制義務教育の普及、中等職業教育学校の募集規模の拡大、大学教育の質の向上が当面の中国の教育の三大任務だが、なかでも農村部における9年制義務教育の普及が最重要課題となっている。児童・生徒が2億人余りいるが、その80%が農村部に生活しているため、国は増加分の教育経費を主に農村部へ投入する」と強調した。
現在、31の省・直轄市・自治区のうち、27の地方政府が農業税を撤廃しており、5年間とされていた当初目標を2年繰り上げて達成した。8月初めに、国務院はまた、新しいタイプの農村合作医療制度の確立を加速することを決め、中央政府の財政負担割合はこの二つの改革によって倍増。「義務教育の完全無料化行動」が来年から始動すれば、農民の「三大負担」の軽減が期待できる。
今年3月5日、温家宝総理は「政府活動報告」の中で「政府の資金投入を柱とする経費の保障メカニズムを完全なものにし、今年から国家貧困扶助開発重点県で貧困家庭の児童・生徒の教科書代と雑費を免除するとともに、寄宿生には生活費を補助する。2007年までに全国の農村にこの政策を普及させて、貧困家庭の児童・生徒が全員就学し、義務教育を終了できるようにする」ことを確約した。
張玉林教授は「農民にとって、義務教育の完全無料化は農業税の撤廃と同程度のメリットがある。全国の農村部には児童・生徒が1億人以上おり、1人あたりの免除額を数百元として計算すると、総額で数百億元にもなる。全国で撤廃された農業税も400億元余りだ。江蘇省には、学校に上がれない、入っても途中で止める子供が毎年80〜90万人もいるが、義務教育の無料化を1年早めれば、百万人近くの子供が教育を受けられるようになる。その功徳ははかり知れない。これ以上引き伸ばしてはいけない」と強調する。
義務教育を無料化するに当たっては、不合理な費用徴収の廃止を徹底させることが必要だ。例えば、教育部は昨年、農村部の児童の授業料・雑費・教科書代について各学年120元、中学生では230元(今年はそれぞれ160元と260元)の上限額を設けたが、これで問題が根本的に解決されるわけではないのも明らかである。中央政府が再構築に取り組んでいる義務教育財政制度の枠組みの中では、貧困家庭の教科書代と雑費の免除、寄宿生への生活費補助は、その前段階での措置に過ぎず、今後は義務教育の最低保障ラインの制定や、各地方政府の財政負担の画定、義務教育関連財源移譲制度の整備、均等出資制度の確立、義務教育経費の監督管理制度の確立と整備などの作業が行われることになる。
義務教育費の構造調整と教育に対する政府の財政責任の強化が今後、農村部での義務教育の実施にとって課題となるだろう。中央政府と各地方政府がそれぞれどれほどの責任を担うかも、なかなか難しい問題だ。
関連機関は現在、国務院の指示に基づいて国と地方の財政分担の割合について検討しているという。改正案で良策だと一部の専門家に認められているのが、財源の移譲である。政府が財政面から収入不足にある地方政府を支援するというものだ。起草者によれば、各地方間の財政力の格差を考慮したもので、県を最小単位として、義務教育費の不足分は政府が直轄市、省、自治区を通じて財源を移譲して払うことで均衡させる、というものだ。
この不足分は、農業税が大多数の地区で撤廃されたことで生じた新たな問題でもある。地方の税収が減ったことで、一部地区、特に貧困地区の地方政府は財政が逼迫している。そればかりか、義務教育費にもしわよせが来ており、新しい財源の開拓が必要となっている。
教育部発展研究センター専門家諮問委員会の蔡克勇副主任は「義務教育の完全無料化は、すべての子供に教育を受ける機会を提供しようとするものにすぎない。だが、もっと深層的な問題がある。農村部では現在、児童・生徒1人当たり教育経費や、義務教育への基本投資、教員の給料はいずれも都市部に及ばないことだ。こうした問題も早急に解決することが必要である」と指摘する。
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