2006 No.07
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グリーン連盟の結成

――政府は今、NGOとの更なる協力を模索して、環境問題に共に対応しようとしている。

景小磊

国家環境保護総局は2005年1月18日、「環境に関する法律と法規に重大な違反がある」として金沙江の渓洛渡水力発電所など30件の大型建設プロジェクトの中止を呼びかけ、世論に“環境保護の嵐”が吹き荒れたとの声が上がった。

3日後、56の環境保護組織は20余の主流となるメディアに連名で、今回の環境保護総局の摘発行為に「深く賛同する」とし、政府が「より緊密な協力パートナー」になるよう求める声援アピールを掲載した。

これに呼応するように、環境保護総局も民間の環境保護組織に対して柔軟な姿勢を示すようになった。同総局環境影響評価司の牟広豊司長は「総局は民間組織の道義的な支援に非常に感謝する」と述べた。これより前、潘岳副局長も熱を入れて何度も民間組織を「同盟軍」だと語っているほどだ。

この1年余りの間、中国の多くの非政府組織(NGO)と政府機関との関係は緊密さを増してきた。

その協力の度合の拡大を示すいま一つの出来事が、2005年4月22に北京で発足した中華環境保護連合会だ。同連合会は環境保護総局が主管する。200人を超す理事の中には、113人の部・局クラスの指導者を除き、梁従誡氏や廖暁義氏、汪永晨氏など30名余りの民間組織の責任者が名を連ねている。梁氏は保護総局の謝振華局長と共に副主席に就任。

中華環境保護連合会の曾暁東副主席は「新たに成立した連合会は政府や社会、公衆の力を団結し、政府の環境保護事業を監督すると共に、国の環境保護目標の実現を支援していく」と強調した。

連合戦線の勝利

国家発展・改革委員会は2003年8月26日に開いた会議で、怒江の中下流に水力発電所を建設するプロジェクトを認可。だが会議に出席した環境保護総局の高官は、会議の議事録への署名をあくまでも拒否した。このプロジェクトまだ環境影響評価を受けておらず、『環境影響評価法』に合致しないというのが理由だ。この5日後の9月1日、同法は発効することになっていた。

環境保護総局の行動に鼓舞され、「グリーンファミリー・ボランティア協会」や「自然の友」など、地方政府は経済的利益を考慮するだけで環境の悪化には目を向けない、と常々批判してきた民間環境保護組織も“怒江戦役”に参戦。こうした組織はメディアやインターネット、講座やフォーラムなどの開催を通じて公衆に怒江水力発電所を巡る状況を積極的に宣伝し、社会の幅広い関心を集めた。

過去、別個に活動してきた環境保護NGOの連係も強化された。2003年11月に北京で開かれた「第3回中米環境フォーラム」には全国のNGOから約200人が出席。会議では、中国最後の生態を残す河川、怒江をいかに保護するかを巡って議論が交わされた。

怒江を救う行動は国際社会にも幅広い関心を呼んだ。2003年11月のタイでの反ダム会議では、自然の友などの組織が保護に向けた説得に奔走し、最終的に60数カ国のNGOが連名で署名。署名はユネスコに手渡され、ユネスコは「怒江に関心がある」との回答を寄せた。

同時に、環境保護総局も北京と雲南省・昆明で怒江流域の生態に関する調査研究と専門家による検証会を開催し、雲南の専門家を主体とする支持派と、北京の反対派とが激しい論争を交わした。NGOが発起した活動は大きな社会的反応を呼び、建設派、反対派ともに歩み寄りは見られなかった。

こう着状態に転機が訪れたのは、2004年2月。国家発展・改革委員会が国務院に提出した『怒江の中下流における水力発電所計画の報告』に関して、温家宝総理が「これについては社会の高度な関心を引き起こしており、しかも環境保護の面で異なる意見のある大型水力発電プロジェクトであるため、慎重に検討し、科学的な政策決定をしなければならない」と自ら指示したからだ。

最終的に怒江大型ダム計画は暫定的に中止され、怒江の原始的な生態環境は全面的に保護されることになった。

増大するNGOの影響力

清華大学NGO研究センターの王名教授は「怒江を巡る防衛戦は、中国の環境保護NGOにとって発展に向けた重要な転換点となった。NGOの意見が政府の公共政策の決定過程に影響を及ぼすようになったからだ」と指摘する。これまでは民間の環境保護組織の活動は植樹、野生動物の保護といった環境に関する周辺教育分野に限られていた。だが、怒江ダムの反対は公共の行動であり、これによって、その影響力が強化されたと言えるだろう。

中国の環境保護組織の歴史はまだ浅い。比較的影響力のある自然の友は1994年、「地球村」は1995年、グリーンファミリー・ボランティア協会は1996年の創設だ。設立当初、NGOはいずれも登記難、資金難などの問題にぶつかったことから、発展はずっと緩慢だった。

だが2000年以降、政府が次第に支持するようになり、またNGO自身も努力したことから、民間組織は急速に成長していった。2001年に北京で開かれた中米民間環境組織協力フォーラムの発表によると、中国のNGOの数は2000を超えており、参加者は数百万人に上る。最大の組織である自然の友では会員数が10万人を超えた。

民間の環境保護組織は広範なメディアやNGO間の相互協力を通じて、力を絶えず伸ばし、社会的影響力を増強しつつある。NGOの梁従誡氏や廖暁義氏などは、北京五輪委員会の環境保護担当顧問に就任。またグリーンNGOはこの数年、北京の昆玉河改修や動物園の移転など、重大な環境問題にも参与するようになった。

政府の姿勢の変化

NGOに対する政府の姿勢が変化したのは、いま一つの要素、政府の環境保護機関自身に大きな声を発したいとの願望があったからだ。環境保護機関は長年にわたり政府部内で弱い立場にあり、各地の政府が経済を発展させる重大なプロジェクトに関しては、全く反対の声を上げることができなかった。保護総局の苦しい役柄について、潘副局長は「多くの人は我々を飾り物だと見ている」と形容する。

環境保護総局により多くの合法的権限が必要なのは明らかだ。だが、『環境保護評価法』が公布されていても、発展・改革委員会環境司と総局の環境評価の認可を巡る権限の画定は明確ではない。環境保護の嵐が吹き荒れる以前、発展・改革委員会のプロジェクト認可に関する発言権は総局よりはるかに強かった。

こうした状況の中、同盟軍に道を求めるのが環境保護総局の選択となった。「建設プロジェクトの件数は膨大であり、政府だけで監視・監督するには、意余って力足らずだ。そのため、同盟軍の役割を十分に発揮し、メディアや専門家、公衆、全国人民代表大会、グルーンな民間組織群の力に依存しなければならない」と潘副局長は指摘。グリーンファミリー・ボランティア協会の汪永晨氏は「この様に細かな作業に、政府が気を配るのは難しい。NGOであればこそ、環境保護の理念を各毛細血管の抹消部にまで浸透させることができる」と強調する。

より幅広い協力を模索しようと、中華環境保護連合会は中央連絡部などの協力を得て、2005年8月に全国範囲で初のNGO調査を実施。現状を明確に把握することで、環境保護組織の健全な発展を促すのが狙いだ。

協力は限定的

王名教授は「現段階では、政府とNGOはそれぞれの指導者間の個人関係に依存している部分がより多く、協力は決して制度化されていない」と指摘する。

一部の国では、政府と環境保護組織は常に緊密な協力を展開している。廖暁義氏は「米国では、環境保護局が資金を必要な場合には、決まって民間組織に議会で呼びかけさせ、資金を手にすると、民間組織に資金を渡して具体的なプロジェクトを実施させる。彼らは互いに協力し監督し合い、まるで相互に依存しているようだ」と語る。

また廖暁義氏によると、外国政府の環境保護機関とNGOとの間では常に人的な流動がある。民間組織で活躍すると、政府機関で働く機会があるとか、政府機関で一定の期間勤めると、その経験を生かして民間組織で働くといった具合だ。

現在、中国の場合、NGOと政府との協力分野はかなり限定されている。王名教授によると、国外の成熟したNGOは専門性が強く、人権や環境保護などの分野では、国連の多くの重要な条約や草案にNGOが参画している。

廖暁義氏は「政府の支援を受けて我々が行うのは主に、公民教育や一部の具体的な環境保護プロジェクトに集中しているが、できない分野もまだ数多くあり、政府を監督するというNGOの職能も担っていない」と語る。