2006 No.10
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中国車、世界市場に参入

――長期にわたり為すすべのなかった国内自動車メーカーが、技術革新の道を模索し始めた。

馮建華

50年余の歴史を持つ中国の自動車産業にとって、2006年1月8日は記念すべき日となった。この日、吉利控股集団有限公司は乗用車「自由艦7151CK」を年に1度開催される北米自動車ショーに出展した。国際的な自動車ショーで中国車が展示されたのは今回が初めて。北米自動車ショーは世界で歴史が長く、規模最大の自動車ショーの1つ。自動車の最新の技術と潮流を反映する「風向計」とも言われる。

同公司の李書福社長は「この乗用車は内部から外部まで完全に中国人技術者が自主設計・製造し、同社が完全に知的財産権を擁するものだ」と胸を張る。

一連の動向から見て、中国車はすでにほぼ飛躍の勢いにあると言えるだろう。わずか8年の歴史しかないが知名度の高い民族企業、奇端自動車は新世代のエンジン「ACTECO」を開発。同時に、同エンジンを初搭載した「東方の子」を市場に参入させた。これにより同社は、車体とエンジン、変速機の乗用車製造に必要な3大基幹技術を掌握したことになる。

この十数年、中国の自動車工業は多国籍グループや合弁企業の絶対的支配下に置かれていた。大望を抱く企業家は自動車の民族ブランドの開発に尽力してきたが、二者の狭間にあって、成果を上えることはできなかった。中国の自動車工業の主体は急速に外資が主導する「ブラジル・モデル」へと向かいつつあり、外資ブランドの加工工場になった、とさえ指摘する専門家も多い。この面から言えば、自動車産業の「市場と技術を交換する」構想はほぼ期待薄となったと言える。

民族自動車工業の発展の将来性に、業界内には多くの戸惑い、ひいては悲観的な思いが満ちている。昨年9月末に開かれた「全世界企業家トップフォーラム」で、一部の企業関係者は今後30年間、中国車は停滞する苦しい立場に立たされると断言。その一方で、楽観派は急速に発展するか否かは、3年過ぎれば明らかになるとの考えを示した。

2001年以降、それまで長期にわたり合弁企業のジェッダとサンタナ、フーカン(福康)の3車種が国産車市場を占有していた状態に変化が生じ、市場には数十種のブランド、200車種が出現するようになった。

中国車は2005年に25%のシェアを占めた。その年の上半期、経済型乗用車ベスト10でのシェアは55%超に達し、価格6万元以下では大半を中国車が占めた。

政府が大々的に提唱してきた省エネ・小排気量の乗用車だ。すでに発表された「2006年新車33車種計画」では、中国車は15車種と、50%近くにのぼる。

2005年の「単一車種月間販売台数ランキング」では、中国車「シャーリー」がトップとなった。このほか、奇端や吉利も好業績を上げている。吉利の2005年1〜11月の販売台数は前年同期に比べ30%増と、自動車業界の平均伸び率を大幅に上回った。

2006年に入ると、多くの国内自動車メーカーが中高級車の生産に転じるようになった。2005年末、奇端は中国の「ロールス・ロイス」製造を目指してすでに設計を開始したと発表。専門家は「中高級車市場に対する攻勢は、中国の自動車業界の“第2次革命”だ」と話す。

国内市場での競争のほか、一部の中国車は海外に進出し始めた。統計によると、2005年1〜8月の完成車の輸出は10万台に達し、前年同期比で148%増加。同時に、輸入台数は減少傾向にあり、同年1〜9月はわずか9万4000台と、初めて輸出が輸入を上回った。

輸出地域は主にアフリカや中東、中央アジア、東南アジア、ラテンアメリカなど。こうした地域への輸出では中国車が著しく伸びている。2005年上半期、「長城」の輸出台数は前年1年間の実績に相当する約4000台。長安自動車のSUV車「陸風」はヨーロッパ市場に初めて参入、400台が輸出された。

奇端の乗用車はシリアで販売が非常に好調だった。現地の販売代理店は「中国車は人気があり、価格以外に、品質も消費者に認められるようになった」と高く評価する。

実際、中国の自動車業界が大規模な輸出を実現するまでには長い過程があった。十数年来、国内の乗用車需要は大量の輸入に依存し、自国が生産した乗用車は輸出できなかった、というのが自動車産業の発展を阻んできた2大要因だ。

「2005年に中国は世界の自動車工業史に足跡を残した」。中国社会科学院工業研究所の趙英研究員はこう強調するが、「輸出は依然として低価格車に過ぎず、国際市場で占める比率もまだ低い」と指摘する。

実情は確かに趙氏が言う通りだ。成長しつつある民族自動車業界は今、多くの困難と想像すらしなかった障害に直面している。ヨーロッパ市場に参入したばかりの「陸風」は、その安全性がすぐに疑問視されるようになった。また意気盛んな吉利はマレーシアで、輸入完成車の販売禁止と現地組立車の販売不許可、という打撃を被った。

中国車の国際市場への参入について、合弁企業の一汽豊田販売有限公司の董海洋副社長は「主流の市場で主流のブランドになるには、一汽グループにとって言えば、先ず中国市場を席巻し、その後に海外進出問題を考えるべきだと考えた。輸出は企業の総合能力の表れであり、国内市場でうまくいかないうちに、国際市場を考えるのでは、すき間に風が入るだけだ」と指摘。

さらに董副社長は「現在、多くの国内メーカーの製品が一部の国に輸出されており、輝かしくは見えるが、真に誇りなどなくなる時もある。現在の機会が熟していない時に、輸出を急ぐのには賛成しがたい」と強調する。

上海華普通汽車有限公司の徐剛総裁も「民族自動車業界が核心となる競争力をつけるには、自己ブランドで力を発し、自主的な研究開発、生産、ブランド確立、製品向上、品質管理を行う必要がある」と提言する。

国内の一部の政策や環境も中国ブランド車の発展を阻害している。自動車部品の基礎的技術の遅れ、長期にわたる投資の著しい不足、完成車の発展の停滞などだ。このため、核心となる技術を有する部品は一貫して国外から輸入せざるを得ず、しかも輸入価格は国際市場よりはるかに高い。

研究開発費の深刻な不足も解決の待たれる問題だ。自動車メーカーの年間研究開発費が売上高に占める割合はわずか1%、それを下回るケースもある。一方、外国メーカーでは一般に3〜5%を占める。米ゼネラル・モーターズの新車開発費は50億〜60億ドル。一方、中国の自動車業界全体の年間開発費は20億元だ。人材不足の問題も深刻化しており、一汽を例にすると、技術者が従業員総数に占める割合は2.6%。トヨタは9.8%を占める。

趙研究員は「2005年は中国の自動車業界が世界市場に参入する起点に過ぎず、今後の道のりは長く険しい」と指摘する。

◆参考資料

――事実と数字

●現在、自動車生産台数は570万台。ゼネラル・モーターズ、フォード・モーター、トヨタ、フォルクスワーゲンなど、多国籍企業1社の年間生産台数にも及ばない。

●自動車を生産するメーカーは全国で数百社。最高の一汽グループは約百万台、最小のメーカーでは数百台に過ぎない。

●構成面では、乗用車が占める割合は2000年の30%未満から2005年に約50%まで上昇。一方、先進国では70%に達しており、相当の開きがある。

●予測では、2005年の民間所有の自動車台数3000万台。2004年の日本の保有台数は7470万台、ドイツに比べても、かなりの差がある。

●現在、中古車の販売台数は新車の3分の1。2005年の新車・中古車販売総台数は760万台余りだが、同年の日本での中古車販売台数は800万台に達した。

●日本は生産した自動車の50%近くを輸出。中国の2005年の輸出台数は同年の生産台数の3%に過ぎない。

●ウォール街の著名な自動車市場アナリストの予測によると、2010年に中国の自動車販売台数は1560万台に達する。2014年に、中国は確実に日本を抜いて世界第2の自動車生産国になる。2020年に中国は米国を追い越して世界最大の生産国になる可能性がある。