2006 No.22
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聖書の「読者」たち

――この20年近くの間、中国で印刷・発行された聖書は4000万冊を超えている。その「読者」の間に、さまざまなドラマが生まれた。

唐元カイ

北京に住む22歳のスチュワーデス、韓トさんは大の映画ファンだ。2人の大スターが共演した「ダ・ヴィンチ・コード」が近くの映画館で上映されたが、それでも観ないことに決めた。

理由は簡単。彼女は敬虔なクリスチャンであり、「ダ・ヴィンチ・コード」の内容は自分の信仰を犯すものだからだ。

北京のある医学研究所の職員、28歳の蘇卉さんもやはり観ないという。彼女はクリスチャンになったばかりだ。

「小説『ダ・ヴィンチ・コード』は読んだことがありますが、小説は、私たちが今読んでいる聖書は根本的には神によるものではなく、異教徒が後に編さんしたものに過ぎないという。2000年以上にわたるキリスト教の信仰は、原作者には真相を隠ぺいのために確立された、と考えられているのです」。彼女は、「ダ・ヴィンチ・コード」は聖書と聖書をもとに発展してきたキリスト教信仰に対する挑戦、威嚇だと見ている。

70年代末から80年代初めにかけて始まった改革開放以降、中国で印刷・発行された聖書(中国語版)はすでに4000万冊を超えた。中国キリスト教教会の曹聖潔牧師によると、この数字は日々増え続けており、聖書を読んだ人の一部は教徒になっているという。

イエスを知った

蘇卉さんが初めて聖書を手にしたのは、英語学習の参考書にするためだった。大学3年のときで、米国で生物学の造詣を深める準備をしていた。

彼女はこう語る。「聖書はほかの書物を読むのと同じように、字面の意味はほとんど分かったのですが、その言葉の持つ深い意味を理解するには時間がかかりました。先ず文脈を読み、次に各段落と文脈にどんな関係があるかを見る。そして、当時の信徒がこの教典を見たときどんな風に思ったかを考えました。さらに教典の重点を探し求めることで、何度も出てくるカギとなる単語やショートフレーズを発見したのです」

読めば読むほど、イエス本人をますます敬服するようになったという彼女は「最も印象が深かったのが、彼の勇気、自信と信仰でした」と話す。

聖書のなかにあるイエスがいかに各地を回って病を治したり、打ち解け合えない人を導いたり、普通の人のために相談に乗ったりする場面の描写に、彼女は粛然として襟を正したという。「『ヨナ書』を読んだときです、イエスは大きな愛のある人だと確認しました」。だが、彼女は生物を学び、進化論を信じている。「聖書のなかの神は良いことは良いし、語る道理も良いことだし、生活のなかの信仰としてならいいでしょう。でも、真実の存在を信じるのはむしろやはり非常に難しくて、彼が世界と私たちを創造したとは信じられませんでした」

その後、蘇さんは米国に行き、英語のレベルをさらにアップさせるため、バイブル研究グループに参加。「グループの人たちに、世界に大きな愛、なんら理由のない愛が存在することを初めて知らされたのです」。彼女は、世界の発展した多くの重要なものは決して理性的なものではないことを意識し始めた。「例えば、母親の子どもへの愛は理性的なものではありません。もし個人の理性のコストと利益から分析すれば、彼女たちは子どもを構うべきではないのですが、母親の子どもへの愛は人類の生存にとって最も重要なものなのです」と語る。

彼女が「感性的」だと言う映画、メル・ギブソン監督の「イエス受難記」によって彼女は「天帝」と「神」を感じ取ったようだ。また聖書をさらに理解することで、少なくとも「理論的」には「すでに完全にキリストを受け入れられる」ようになった。

大半のクリスチャンはいずれもこうした見方を認識している。つまり、イエスが唱える倫理観の核心は愛、ということだ。「愛することと愛されることは、人生最大の渇望であり、最も意義のある経験です。聖書のなかでは、『愛』という言葉が驚くほど多く出てきます。神は万有の上にあり、人を己のように愛し、自らの敵さえ愛することを強調しています」。蘇さんの信者仲間である秦大地さんはこう話す。

人生が変わった

北京で弁護士をしている秦さんも、米国に留学したことがある。「多くの人と同様、僕も外国で学んでいるときにキリストに帰依しました。宗教のなかに生活の意義を求めたかったからです」。米国にいたときに教会に行き、聖書を学んだことで、郷愁から解放され、全く異なる環境にも適応できるようになり、教会と聖書は精神生活のなかで重要な一部になっている、と秦さんは言う。

当初、秦さんは、各米ドル紙幣に「IN GOD WE TRUST」(われわれは神を信じる)と印刷されているのに「可笑しさ」さえ覚え、同時に周りのアメリカ人がともすれば自分には「罪がある」と語ることに好奇心を感じたという。さまざまなことに戸惑いながらも、彼は聖書をひも解いた。

秦さんは「ロマ書」まで読んだときの思いをこう話す。「まるで突然のように、すぐに自分は罪ある人間だということが分かったのです」。それ以前、彼は「完ぺきな人間」と自任してはいなかったが、自分に「罪がある」とは考えたこともなかった。「僕は法を犯したこともなく、何をするにしても、『こうあるべきだ』との気持ちでやってきました」。それでも、徐々に自らを反省し、自分も人をきっと傷つけたことがある、と認めるようになった。だが彼は「向こうが先に傷つけるから、自分を守るということに対してはずっと、何ら大きな過ちはない、さらには何の罪でもないと思っていた」と語る。

聖書のなかには、イエスは人の罪過を許すとともに、彼らが自己反省できるようにさせる場面が随所に出てくる。「まさに自己反省の強調、この角度からキリスト教は固体の真実の存在を発見したのです」と秦さんは話す。

現在、彼は毎日、自分に何か過ちがなかったか反省している。同時に、善行を一層重視するようになった。「キリスト教を信奉し、イエスの教戒を心に刻むいかなる人であれみな、イエスは積極的で有為な人であり、彼が自らの追随者にも活力に満ち、善行に力を尽くすよう求めていることを知っています」と秦さん。

ある慈善活動の場で、彼はキリストを信奉する上海出身の呉禹絲さんと知り合った。彼と異なるのは、呉さんがイエスを信じるようになったのは家庭の影響を受けたことだ。両親は礼拝を欠かさない敬虔なクリスチャンだった。

呉さんはその経緯を話しくれた。「父が初めてキリスト教と接したのは監獄のなかでした。1966年のことで、私はまだ生まれていません。全国的に“文化大革命”が始まり、父はそれ以前に書いた一文が“毛沢東の歴史観に合わなかった”のが理由で“有罪”になったのです。父と同じ監獄に閉じ込められていた人はクリスチャンで、毎朝かならず祈りを捧げていました。政治的迫害の前でも少しも恐れることはなく、ほかの人を常に助けてもいたのです。その人は、神が私に苦難を受けさせ、愛をこの世に捧げるよう導いてくれた、と語っていたそうです」

1976年に“文革”は終わり、その6年後に呉さんは生まれ、洗礼を受けた。少女時代の彼女の最大の願望は、教会で式を挙げることだった。

その願望は北京で実現。その後、彼女は秦さんとともに米国ロワ大学の博士課程で学んだ。だが、数年たって二人の感情は些細なことでぶつかり合うようになり、互いに相手を容認できなくなって離婚を叫ぶまでになった。

そんな時、教会に参加すると約束した静修会に行くことになった。だが、帰ってから分かれることを決めていたという。

週末の2日間、自然のなかで、世事の煩わしさから解放されて聖書を読んで研究し、牧師の話を聞くのが静修会だ。

秦さんは「神に感謝しています。静修会が僕たちの結婚を救ってくれたからです。より重要なのは、そこから問題や意見の食い違いに直面したときには先ず、相手の欠点をより多く見るのではなく、自分を反省しなければならないと真に分かったことです」と語る。

現在、昔のように仲のよくなった秦さん夫婦は、これまで以上に聖書の読書や研究を心がけている。

愛国心は変わらない

北京の雑誌記者、秦山さんは農村を取材した際、ボランティアで教師をしている武文さんと出合った。後に妻となる彼女は、聖歌を数多く創作する農家の女性を彼に紹介した。「特筆するに値するのは、歌詞にある『愛』は神を指しているだけではなく、そこには祖国や故郷も含まれていて、彼女の眼には、イエスの愛と国への愛が少しも矛盾していないことでした」と秦さんは話す。

秦さんの両親は教会での婚礼に出席した。それまで息子と嫁がクリスチャンであることはずっと知らなかった。

彼は幼いころ父親が話してくれたことを今でも覚えている。1840年のアヘン戦争前後、本来は福音を伝え、人を己のごとく愛するよう広める宗教、キリスト教は不幸にも侵略者の道具となってしまった。こうした歴史から父親のキリスト教への印象はよくない。

母親は地方の政府機関の幹部を務めたことがあり、確固とした無心論者だと終始言っていたが、聖書の読者でもある。職場では、各宗教の信仰と独立した自主的な主宰を保障する仕事に従事していた。「聖書を読むなど教徒の一切の正常な宗教活動は、宗教組織と教徒が自ら管理し、法律の保護を受け、われわれは決して干渉しない。同時に、中国の法律は宗教の場で無神論を宣伝することを禁止しており、憲法と関連する法律に基づき、中国政府は教職者や信徒の宗教の場または家での一切の合法的な宗教活動を保護する責任があり、この政策は全ての宗教に適用される」。母親は公開の場で国家宗教事務局の葉小文局長の話をよく引用した。「宗教の自由に対する尊厳は中国の客観的事実に対する尊重が源であり、これはわれわれが堅持する弁証唯物主義と無神論と相一致するものである」

息子の選択について、両親は「彼に任せる」との姿勢であり、「宗教は一種の世界観に過ぎず、神を信じたことのない人も生や死、苦労、社会関係といった人生の重要な問題に対して自らの見解があるはずだ」と語る。同時に、息子に対して「先ずよい公民、愛国者になることであり、国を損なういかなることも決してしてはならない」と訓告する。