2006 No.26
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葫蘆島、在留日本人送還60周年記念イベント

6月25日、遼寧省の葫蘆島市で在留日本人送還60周年記念イベントが盛大裏に行われた。イベントの内容には、「葫蘆島在留日本人100万人送還60周年回顧・中日関係展望フォーラム」、平和公園でのテープカットと定礎式、記者会見などが含まれ、日本側からは村山富市元首相をはじめ、村岡久平日中友好協会理事長、津村重光宮崎市市長、60年前にこの地から乗船して日本に帰国した一部代表たちおよび日中友好事業に携わっている人たち約180人がこのイベントに参加した。

中国人民対外友好協会の陳昊蘇会長がフォーラムの開幕式を主宰し、遼寧省の張文岳省長と共産党葫蘆島市委員会の陳暁コン書記が歓迎の挨拶を述べ、唐家セン国務委員、村山富市元首相がそれぞれスピーチした。

中国人民対外友好協会の陳昊蘇会長、葫蘆島市の孫兆林市長、村岡久平日中友好協会理事長、津村重光宮崎市市長ら9人がフォーラムでスピーチした。村岡久平理事長はフォーラムの中で、「葫蘆島でこのような記念行事を行い、過去を直視し、歴史を正しく学び、認識する機会を持ちましたことは大変意義深く貴重なものであると考えます。葫蘆島での今回の催しの意義を、私たちは大切にしていきたいと思います。

戦後の困難な時期に果敢として国際主義の崇高な精神のもと、実に多くのさまよえる日本の同胞を故国に送りとどける事業を推進された葫蘆島大送還を、私たちは日本の多くの人たちに、特に若い世代の青少年に知らせ、聞かせ、正しい歴史認識の具体的な教材として役立たせるようにしていきたいと考えています」と述べた。

「葫蘆島記念の会」を設立し、記録映画《葫蘆島大遣返》を作成した故人である劇作家国弘威雄氏のご夫人の佑子女史は次のように語った。久しぶりに私たちは再生の地――葫蘆島に参りました。60年前に私と亡き夫の威雄と同じ運命の105万の日本人が、ここからあの忘れがたい帰国の道に向かったのです。歴史がわれわれに教えてくれたのは戦争を離れてこそ、幸せな生活があり、理解と寛容こそ、真の平和を実現し、歴史を正視して未来を迎えることです。

信州葫蘆島友好会の穂刈甲子男会長は、私は82歳になりました。私は戦争の体験者であり、被害者であり、中国人は私を助けてくれました。戦争が人々にもたらした苦難を痛感し、友好平和が人類に幸福をもたらす最短な道であると、当時の葫蘆島から返還した日本人を代表して葫蘆島市民に心からの感謝と敬意をあらわすものであります、と語った。

この記念イベントに参加するため、はるばる日本から来られた代表の中には、94歳の年長者もいるし、かつて人民解放軍に参加し、中国人民の解放戦争に参加し、7年間のなかで解放軍の幹部に昇進し、軍功章を胸につけた82歳のお年寄りもいた。

葫蘆島百万日本人居留民大送還60周年中日関係展望フォーラムは、中国人民対外友好協会、遼寧省人民政府によって主催され、中日友好協会、中国人権発展基金会、宮崎市日中友好協会、松本市日中友好協会、日本信州葫蘆島友会が後援し、中国共産党葫蘆島市委員会、葫蘆島市人民政府、遼寧省政府外事僑務弁公室、遼寧省政府新聞弁公室によって実施されたものである。

関連資料:

葫蘆島――105万人日本居留民の再生の地

葫蘆島は遼寧省の港湾都市のひとつであり、渤海湾に臨み、面積は1万415平方メートル、人口は273万。気候が温暖で、資源も豊富であり、交通が便利で、住み心地のよいところである。

60年前に、中国人民は日本の侵略に蹂躙された苦境の中で、多くの人員、資金と物質を投入して日本降伏後においても中国の東北に在留していた145万の居留民と捕虜であった人たちを日本に送還した。

そのうち、105万1047人がこの地で乗船して日本に帰り、葫蘆島はこれら日本居留民にとって再生の地と言えるものであった。

「チャイナネット」 2006年6月26日