2006 No.27
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中国人のW杯への熱き思い

――中国はワールドカップ(W杯)に参加できなかったが、中国ファンのW杯への熱き思いは少しも衰えていない。

唐元カイ

時差の関係で、W杯ドイツ大会では大半の試合は北京時間の夜9時以降、零時あるいは午前3時ごろにようやく始まるものもあった。準々決勝ではホイッスルが鳴るのは23時以降、準決勝は午前3時だ。

民間企業に勤める28歳の劉さんは、大のサッカーファン。「社長の林元氏がファンでなかったら、W杯を観戦するために辞職も考えたかも」と話す。幸運にも社長の配慮で、休暇や出勤時間などを柔軟に調整することができた。

だが、林氏のような社長は現実には少ない。中国のサッカーファンの多くも世界のファンと同様、好きなチームやアイドル選手、忘れがたい一瞬を見たいとの思いがある。そのために、睡眠を惜しんでまで朝早く起きてテレビの前に座るのだ。

実際、睡眠不足になれば翌日の仕事に影響が出る。自分が応援するチームが敗退すれば、なおさらだろう。林氏は「W杯を利用して従業員を激励し、これをチャンスに、企業の団結力を高めたかったからだ」と強調する。

ただ、サッカーファンである従業員の気持ちは理解できても、中国チームが参加していないのに、そこまで熱を入れるのは不可思議だとも話す。

しかし、林氏もテレビ中継にしがみついた。「開催場所は中国ではなく、中国チームも参加していないが、“ひそかに思いを寄せる”ように毎日、テレビに釘づけになって参加チームを応援した」と、多少自嘲的に話す。

W杯への“初恋”は

W杯への“初恋”について、44歳になる林氏ははっきりと覚えていた。「1978年6月26日は、多くのファンの目を開かせてくれた。記念すべき日だった」。その日、中国人はテレビを通して初めてW杯を観戦。アルゼンチンとオランダの決勝戦だった。林氏は「その時、北京大の教室に置かれた白黒のテレビの前には、黒山のような人だかりができた。非常に絶妙なシュート、グランドに舞い散る紙ふぶきに、強烈な印象を覚えたものだ。それに、アルゼンチンの10番の選手がそうだったように、男性も長髪が許されることを知った」、と当時を振り返る。

1978年、改革開放政策が始まる。中国サッカーはそれまで世界とは完全に隔絶され、W杯も資本主義の“汚泥”と見なされていた。

1957年にさかのぼる。当時、ナショナルチームのメンバーだった年錘泗氏は、1954年のW杯で準優勝したハンガリーに2年留学して帰国した球友とともに、「中国人もW杯に挑もう」と、第1声を発した。これがきっかけで、ファンも世界に「W杯」のあることを知った。

1981年。2度目の参加となったW杯予選リーグでは、優れた技術と攻撃力をみせた。2点リードされたものの、試合を放棄することなく最後まで奮闘したが、4対2でサウジアラビアに敗退。その日、多くの大学では遅くまで明かりが灯っていた。これを機に、W杯は中国人にとって近い存在となり、ファンの“胃袋”を満たすようになり、選手やコーチの間にも「アジアを突破する」夢が広がった。そうした思いは代々引き継がれてきた。

生活が変わった

36歳のサッカーファン、林熹さん。彼の家がテレビを購入したのは1986年。父親の決心を促したのが、W杯だった。林熹さんは「12歳の私にとって、W杯は、サッカーそのものよりも、全く新しい世界をみせてくれた」、と感慨深い表情をみせた。

この年のW杯は初めて、全試合が生中継された。林熹さんも含めて多くのファンはテレビにかじりついた。やがて、W杯のファンの規模は膨れ上がっていく。

「僕たち多くの人が、サッカーとW杯を熱愛するようになったのには、多くの理由がある。最大の理由は、W杯と一緒に育ち、W杯がいろいろことを教えてくれたことだ」と林熹さん。

大学を卒業し、現在就職活動中のサッカーファン、王敏さんは「W杯を観て、すごく興奮する自分を発見した。生活に疲れている現代人が熱狂する理由は、そこにあると思う」と話す。

半導体のエンジニア、万備氏はこう話す。「最初に観たW杯は、1998年だった。初めは格好いいと思い、時代の流れに乗りたいと思っていたからだ。でも、その試合は僕に熱き思いを与えてくれた」。北京の5星ホテルのコンシェルジェ、朱冠琳氏は「W杯は、われわれの精神的な支えだ。信仰の薄くなった今、それにプライドを感じる。W杯がわれわれの性格に影響を与えたのは確かだ。個人的な英雄主義があったり、チームワークを重んじたり、われわれの現実の生活と大差ない。競技するグランドそのものに、自分自身を発見するからこそ、W杯を愛するのだ」と強調する。

“愛”に性の別はない

テレビでスマートな選手と出会い、それがきっかけでサッカーの世界に触れるようになり、さらに基本的な知識をマスターして、W杯を深く愛するようになる。こうした女性ファンが少なくないのは確かだ。彼女たちにとって、本当のサッカーとは、ロマンと激情、冒険、モダン、セクシーと不可分だと言っていいだろう。

「私は熱狂的なファンです」。翡冷翡さんは1982年7月の生まれ。その年、W杯が開かれた。そして1998年のW杯は、大学を受験する年に開催された。「同級生が私に、W杯は4年に1度あり、大学受験は毎年あると言うので、私たちは汗臭い男子生徒のファンと一緒に、テレビでW杯を観戦したのです」。翡さんは今でもアルゼンチンファンだ。「サッカーは私にとって、文字や音楽、色彩のようなもので、生命にとって塩分や水が不可欠のように、芸術的な美を形づくっているのです」

女性ファンの多くは彼女に賛同する。躍動感のある足、優雅なボールの弧線、優美な疾走……。どのシュートも卓越した芸術品なのだ。翡さんは「もっと感動的なのは、完全なる美、霊的とも言える反応、チームの無比なる調和の取れた精神です。これが恐らく、サッカーの魅力ではないでしょうか」と話す。

さらにこうも語る。「サッカーを観はじめた時期は私と違っても、サッカーを好きな彼女たちはもう異類ではありません」

中国映画界「第5世代」の女性監督の第1人者、胡?さんは「サッカーを観るときに性の別なんてありません」と強調。「1つの事に専心する場合、性別が軽視されることは、監督してかなり経験しています」。彼女は自分が女性であることを重視している。でも、サッカーについては違うのだ。「試合を観るなら、大声を上げなければ」

女性作家の徐坤さんはこう強調する。「サッカーを観ると、この世界が確かにますます平等で、民主的になっているのを感じます」。作品「犬の日のサッカー」で、女性サッカーファンの愛憎を描いて深い感銘を与えた徐さん。「サッカーを観る出発点は、快楽を求める点では基本的に男性も女性も同じです。違いと言えば恐らく、女性は技術的な観賞よりも、アイドル的な関心により目を向けているところにあるでしょう」と強調した。