2006 No.28
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神学教育の状況は

倪延碩

内蒙古自治区フロンベル盟のある小さな町。29歳の高志剛さんは4年前まで炭鉱労働者だった。クリスチャンの彼は地元のキリスト教会の推薦で燕京神学院を受験し、優秀な成績で合格。今は四年生、学生会の会長だ。

「神学院に入学しようと志した原動力は信仰でした。両親と妹も敬虔なクリスチャンで、いつも一家で礼拝に行っています」と高さん。

彼の住んでいた町は炭鉱が多く、住民の大半が炭鉱労働者。両親は10数年前、クリスチャンだった隣人に誘われるまま教会に通い、何回か礼拝を重ねていくうちに、クリスチャンになった。10万人足らずの小さな町には、なんとクリスチャンが5000人もいる。この8年間に、5人のクリスチャンが各地の神学院に入学し、うち1人が卒業した。

町の中心に教会が一つあった。昔は小さな平屋建てだったため、礼拝は3回に分けて行なわれていた。そこで、信者たちは3年前、資金を出し合って1000人収容できる大教会を新築。現在は1回で礼拝を済ますことができる。

「でも、宣教師が非常に少ないのです」と高さんは言う。

彼が学ぶ燕京神学院は北京北部の清河鎮にある。敷地面積は約1.2ヘクタール。北京のキリスト教史上最も重要な役割を果たすなど、品格の最も高い教育機関だ。

「現在の学習環境は、改革・開放初期に再開された時に比べると雲泥の差があります」。燕京神学院副院長の齊鉄英牧師は感慨深げだ。

1983年、北京キリスト教会は北京神学院(燕京神学院の前身)を創設。募集人数は7人だった。斉牧師はその1人。「当時は固定した教室もなく、黒板を持って授業する場所を探したものでした」。昔の事に触れると、気持ちが動かされるようだった。幸い、北京崇文門教会が地下室を教室として、一階を宿舎として提供してくれた。粗末でも、やっと教室が持てたのだ。

北京神学院に次いで、天津神学院が1984年に天津キリスト教会によって創設された。1986年6月、北京と天津、河北、山西、内蒙古、陝西、甘粛、寧夏、青海、新疆の10省・自治区・直轄市のキリスト教三自(自治、自養、自伝)愛国運動委員会は、北京神学院と天津神学院を合体して燕京神学院を創設。同学院は華北地区で最も主要な神学校で、1997年9月に臨時に北京市東単北大街43号に移転した。

在校生87人はいずれも上述の10省・自治区・直轄市の出身。うち内蒙古自治区と河北省の農村から来た20数人は、ほとんどがキリスト教徒の家庭だ。

斉牧師は「現在の中国では、キリスト教徒の家庭以外の人が神学教育を受けるのはまだ難しい。しかも、都市部の若者は少なく、3%しかいない」と憂慮する表情を浮かべた。

学生のほとんどは家庭が貧しい農村部出身のため、学費が最大の重荷となっている。「年間2000元の学費は、ある家庭にとっては年収に相当するかも知れません。でも、それは教育に必要な支出の10分の1に過ぎないのです。つまり、1年間の教育支出を学生に分担させれば、2万元を超えてしまう。昨年から、すべての学生の学費を免除し、1日あたり5元の食費だけを取ることにしました。5元というのは北京の平均飲食水準よりずっと低いため、学院は毎年、食堂に補助金を提供しなければいけません」。斉牧師はこう説明した。

では、学院の資金はどこから来るのか。「主に10省・自治区・直轄市の教会からの寄付です、ある意味では、学校の支出は北京キリスト教会の寄与に支えられていると言えるでしょう」と斉牧師。教会の寄付は一般的に毎年40万〜50万元。多い時で70万元に上る。また、これまで政府から毎年約10万元の援助を受けていたが、昨年から宗教団体への政府資金援助が増大されたことで、75万元にアップした。「この資金のお陰で、学生たちの学費を免除することができたのです」

このほかにも海外や民間からの寄付があり、主に施設や設備に充てている。校内にある清河教会。全国の神学校の中でも規模は最大、施設も先進的だ。周辺に住むクリスチャンが礼拝する場所として、500人収容できる。同教会は中国系米国人の黄光普氏が寄付した50万元を資金に、北京市東城区燈市口にある公理教会(1904年に建てられたが、文化大革命中に取り壊された)の主体設計をもとに建設、2004年7月に完成した。また、2002年8月に完成した学生寮は、国内の実業家趙展岳氏が寄付した300万元が建設基金。趙展岳氏の奥さんもクリスチャンだ。図書館も海外の教会や香港ナダソ基金の寄付で建てられている。

一方、学院も何とか支出を減らそうと“奮闘”中。斉牧師が記者に差し出した名刺は、紙は薄く、裏側に何かが印刷されていた。

政府や各地の教会の支援があるとはいえ、斉牧師は教職員の不足を痛感している。10数人いても、教鞭が取れるのはは5、6人。海外で造詣を深めた教師もいる。彼らは各地の神学校、半数以上が唯一の全国的な神学校である南京金陵協和神学院の卒業生だ。

現在の教師数で正常なスペースで教育するとすれば、神学生は年間20数人しか育成できない。10省・自治区・直轄市にはそれぞれ平均30の教会があり、燕京神学院が各地に毎年宣教師1人ずつ配置しようとすれば300人が必要だ。神学教育が再開されてこの20数年間に養成したのは、合計しても500人に過ぎない。現在、牧師の数は全国でわずか数千人だ。1700万に上る教徒の数を考えれば、大きな開きがある。1人の宣教師が司牧できる人はせいぜい50人程度、と斉牧師は話す。中国ではこの限度を大幅に超えているのだ。

そのほか、教師の質的向上も待たれている。社会科学院宗教研究所が主催する中国キリスト教シンポジウムが年に1回北京で開かれており、参加者のほとんどは宗教研究者だ。斉牧師は「理屈から言えば、キリスト教の高等教育機関としての燕京神学院は発言力を強めるべきですが、我々はレベルの低さからほとんど影の薄い存在です」と語り、「この現状を変える重要な措置としては、最も基本となるのは、学校運営を円滑に進めて優れた神学の人材を育成することです」と指摘する。

同学院は宗教以外にも、英語や国語、哲学、中国史、世界史、書道なども教えている。ここ数年はまた、宗教建築、循環経済、持続可能な発展戦略、コンピューターなどの人文・自然学科の科目を設置。「こうした授業は、別の大学の教師に依頼しなければなりません。学生が聖書以外に何も知らないのではだめだからです」と斉牧師。

高志剛さんは「学習環境はゆったりしています。他の神学校と違い、うちの学院は体育と水泳の課程もあるので、リラックスできます」と嬉しそうだ。

「新しい時代の教会の後継者、また宗教関係者として、身につけるべき知識を宗教という小さな範囲に限ってはいけません」と高さん。 高さんによると、余暇の生活は充実しているという。宿舎でテレビを見たり、インターネットにアクセスしたりできるほか、閲覧室には新聞が2、30種もあり、好きな時にいつでも読める。バスケットボールチームは時々、別の大学チームと親善試合をしているそうだ。

高さんは「私は工場の労働者でしたが、神から勉強する機会を与えられたので、この機会を非常に大切にしたいと考えています。卒業後は故郷へ帰って、キリスト教の発展に奉仕するつもりです」と話す。

海外の神学校との交流も斉牧師の重要な仕事だ。現在、米国テキサス州とロサンゼルスの神学校2校と緊密な関係を結んでいる。なかでもダラス神学校との交流が頻繁だ。昨年、斉牧師は代表団を率いて同神学校を訪問。今年後半には同校の訪中団を迎える。

「中国の神学教育の発展を客観的に見ることができるのであれば、中国に友好的な宗教機関と交流し、関係を深めていきたい」と斉牧師。

燕京神学院は5月31日、米国ピッツバーグ神学校の訪中団を受け入れた。また、近いうちに米国プロウシェア(すきの刃)学会が燕京神学院を訪れ、教師や学生と中国のキリスト教会が中国社会に果たすべき役割について意見を交わす計画だ。

斉牧師は「歴史的角度から見て、中国の宗教政策は現在最もよい時期にあります。キリスト教が中国で発展する黄金時代にあるとも言えるでしょう」と強調した。