考古上の重要な成果・2005年
安子
このほど2005年の考古上の新たな十大発見が公表された。20人の専門家からなる評価委員会は、浙江省の 州小黄山遺跡、湖南省の洪江高廟遺跡、貴州省の威寧中水遺跡、河南省の鶴壁劉荘遺跡、福建省の浦城猫耳山商代窯群、山西省絳県の横水西周墓、陝西省韓城梁帯村の東・西周遺跡、江蘇省の句容・金壇周墓群、河南省の黄楊荘漢代集落遺跡、山西省の大同沙嶺北魏壁画墓の10件を選定した。
中国考古学会の徐苹芳理事長は「今回の選定は遺跡の歴史・科学・芸術的価値や中国の考古学の発展に対する意義に基づいて行った。百件余りの考古学上の発現から絞り込んだ25件を候補にして選んでおり、旧石器時代から宋、元代までのさまざまな文化遺跡が含まれている」と説明する。
小黄山遺跡
浙江省の 州市甘霖鎮上杜山村に位置する小黄山遺跡は、面積5万平方メートル。長江の中下流地域にある集落遺跡としては規模最大で、およそ9000年前のもの。出土した陶器、食品加工用の石磨盤、砥石、貯蔵室などが同遺跡の文化的特徴だ。
小黄山遺跡が発見されたのは1984年。浙江省考古所研究員で考古学チームの王海明隊長によると、同遺跡は曹娥江上流の広大な河谷平原にあり、発掘で二つの集落が同時に存在していたことが分かった。これまでに発掘された新石器時代の遺跡では希少なもので、浙江省や東南部沿海地区の河谷丘陵地帯にある新石器時代の集落の形態を研究する上で貴重な資料になるという。
考古学チームは遺跡で貯蔵に用いられた可能性のある土穴を数多く発見した。石磨盤や砥石、石錘などの道具から推測すると、小黄山の先人はすでに定住生活を営み、採集や狩猟で食糧を得ていたと思われる。地層から稲類の珪酸体が見つかったことから、水稲を栽培あるいは利用していたことも判明した。
このほか、個性の鮮明な人首の石像も見つかっている。測定によると、今から9000年以上前のもので、「中国の新石器時代では最古の石像だ」と王隊長は強調する。
石像は玄武岩に彫られており、大きさは手のひらの半分ほどで、卵形を呈していた。
専門家は「これまで新石器時代の遺跡で石像が出土した例は多くはなく、このような人首の石像は非常に希だ。新石器時代の人は衣食の満足を主体としていたため、生産に関する以外のものを作ることはめったになかった」と指摘。さらに専門家は、この9000年前の人首の石像は何を象徴しているのか疑問を呈している。トーテムなのか、部落のエンブレムなのか、装飾なのか、誰をモデルにしているのか、どのようにして生まれたのか……。
小黄山遺跡は2大古代文化をつなぐ“紐帯”と言えるだろう。1つは、同省の1万年近くの歴史がある浦江上山遺跡。いま1つは、今から7000年余り前の蕭山跨湖橋遺跡。共に浙江省の新石器文化の多源性と複雑性を具体的に示すものだが、文化層が断裂しているため、蕭山跨湖橋文化の由来やその後の動向は長年にわたる考古学界の1つの謎だった。今回の小黄山遺跡の発掘によって、跨湖橋文化と上山文化の地層が重なっていることが明らかになり、年代が2000年余りも離れ、その文化の内包が比較できなかった二大古代文化に関係のあることが分かった。
小黄山遺跡では大量の陶器が出土した。いずれも縄紋時代と河姆渡時代のものに酷似していることから、小黄山遺跡は河姆渡文化の源の1つではないかと推測されている。
高廟遺跡
高廟新石器時代遺跡は湖南省の洪江市岔頭郷岩里村にある。発掘作業では遺跡下部の堆積層から約7000年前の祭祀の場所が見つかった。年代の早さや規模の大きさだけでなく、祭祀用設備の多さから、現存する同時代遺跡の中では希少なものであり、宗教祭祀の場面が生き生きと再現されていた。
同遺跡は独特な文化を見せていることから、暫定的に「高廟文化」と名づけられた。
このほか、今から7800年前の鳳や鳥、獣、八角星が刻まれた白色の陶器が見つかった。図案の構想は精巧で、同時代の遺跡では稀な発見だ。
専門家は「これらの図案は古代人の心にあった『鳳凰』であり、陽光や雨露、五穀豊穣を崇拝していた。中華民族の鳳凰崇拝は高廟文化に始まったことを裏づけるものだ」と指摘する。
鳳凰は伝説の中の「神鳥」で、トーテムとしての意味を持つ。中国史学界と考古学界は、河姆渡遺跡で発見された「双鳥朝陽」の象牙彫刻を中国最古の鳳凰のトーテムとして公認している。しかし、高廟遺跡で出土した白色陶器の上に刻まれた鳳と鳥の図案は風雨に浸食されても鮮明だった。専門家は「高廟の鳳凰は河姆渡の鳳凰より約400年早く、中国の宗教史と芸術史の研究に大きな意義がある」と話している。
「太陽崇拝」とは、古代人が「天と人の合一」を追求する一種の精神状態。高廟遺跡で出土した「太陽」の彩陶は約7400年前のもので、新石器時代早期の工芸品と言える。
発掘作業で考古学者は、甕棺墓や膝を曲げた形で葬られた墓、数人合葬墓など30余りの墓を発見。そのうち最も重要なのが夫婦合葬墓だ。大量の陶器や珠玉、貴族と宗教指導者の権力を象徴する祭祀用品の「玉 」、貴婦人の装身具である「玉 」や「玉 」など精美な玉器が出土した。専門家は「墓は今から6300〜5300年前のもので、湖南省で高級の玉器が出土したのは初めてだ」と強調する。
同遺跡下部の堆積層からは、大量の淡水マキガイや貝殻、シカ、ブタ、キョン、牛、クマ、象、サイ、バクなど数十種の動物の遺骸が出土した。また見つかった生産工具がいずれも打製石器が主体であったことは、その時代の人類が漁業と狩猟を食糧獲得のための主要な手段にしていたことを物語っている。ブタの歯を調べたところ、家畜であったことが判明。当時、動物の飼育が行われていたことも分かった。これは古代人類の食物構造や牧畜業の起源、当時の生態環境の研究にとって貴重な資料となるものだ。
横水西周墓
横水墓は山西省の絳県横水鎮横北村にある。現時点では、西周時代(約紀元前11世紀〜同771年)の君主クラスの夫婦合葬墓と見られている。今回の発見は西周文化を研究する上で貴重な資料となり、その意義と価値は大きい。
2004年12月から今日までに、考古学者は3基の墓を発掘しており、いずれも犬が副葬されていた。1号墓と2号墓は夫婦合葬墓と見られ、晋国侯爵の墓と類似している。南北に4メート離れており、深さ1.8メールと、規模は大きく、副葬品も豊富。
1号墓の内棺の被埋葬者は頭を西に向け、仰向けに脚をまっすぐに伸ばし、両手を下腹部に置いて横たわり、大量の精美な玉の装飾品が見つかった。外棺にはムシロに包まれた3人が副葬されていた。また、赤い絹織物で作られた「荒帷」(棺を覆うもの)も出土。鳳と鳥を図案にして施された刺しゅうは非常に精美だ。
2号墓の被埋葬者は頭を西にしてうつぶせに横たわっていた。棺内から青銅で作られた車や馬、鼎、鬲、盤、爵などの副葬品が16点出土した。いずれも銘文が刻まれており、文字数はおよそ230字。
専門家は「横水墓は晋文化の中心だった山西省南部にあることから、晋文化や晋国の歴史、また西周の歴史をより全面的に認識する上で重要な資料となる」と話している。
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