2006 No.32
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8月15日に小泉外交は「大きな対決」をするか

馮昭奎
(中国社会科学院日本研究所研究員)

――小泉氏が靖国参拝で「大きな対決」をするのは、その最も重要な目的は、参拝問題でどうしても態度を明確にしようとしない候補者を参拝支持の「小泉路線」に強引に引き込むことにある。

まるで謎解きをするように、小泉氏の8月15日の靖国神社参拝を巡って3つの可能性があれこれ論議されている。第1は、参拝しない。目下のところ、首相の靖国参拝に対しては反対するか、あるいは賛成しないとする国民が増えつつあり、「勅命」した後継者を煩わさないためには、参拝問題が総裁選の争点になることを避ける必要があるからだ。第2は、(2)昨年のように平服で昇殿せず参拝する。いわゆる「表面的」な参拝で、ともかくは「役目は果たす」というものだ。第3は、最後の賭けに出て、大手を振ってやる。任期中最後の機会として、「8.15参拝」の公約を果たすことだ(前5回はいずれもこの敏感な日を避けている)。その際に、国会議員や市民が鼓舞されて怒涛ように押し寄せるのは間違いなく、参拝反対者や周辺諸国に対して「大きな対決」をすることになると言っていいだろう。

「小泉路線」

モーニング姿で、大勢の議員が随行し、数十万の参拝支持者が大仰に示威する。小泉氏にとってはこうすることで、国内のナショリズムを扇動し、中韓などの国に向かって「拍子木を鳴らす」効果を上げることができるのだ。また、参拝の性格を「中国に屈するかどうか」に歪曲し、靖国参拝を「中国に屈しない運動」とし、さらに参拝に賛成しない、あるいは反対する国内の民衆を「中国に屈するよう主張している」との立場に置き、ひいては「参拝に反対する者は親中派の売国奴だ」の雰囲気まで醸成しようとしている。

「大きな対決」という方法をもって、「中国に屈しない」とのスローガンを利用することで、歴史や憲法の角度から参拝に反対している国民に圧力をかけ、さらには彼らを参拝支持の旗の下に取り込むか、あるいは引っ張り込もうとしている。まさに小泉氏が郵政民営化問題で見せた古い政治手法の再演だ。いうまでもなく、小泉氏の最も重要な目的は、「首相退任後の野望」、つまり「キングメーカー」となる野心を実現し、靖国参拝問題でどうしても態度を明確にしようとしない候補者を参拝支持の「小泉路線」に強引に引き込むことにある。

何を根拠にするか

小泉氏に「大きな対決」に踏み切らせかもしれない事由は3つ挙げられる。

第1は、現在の日本経済は堅調であり、小泉内閣の高支持率が続いていることだ。そこで、「改革者」という華々しいイメージを武器に「失政」と批判された外交分野で反撃に出るかもしれない。

第2は、昨年9月11日に行われた衆議院選挙での自民党圧勝の余韻がまだ残っていることだ。総選挙が反対派に向けた「大きな対決」だったとすれば、外交分野で再び「大きな対決」をすることで、内外でともに勝利を得られれば、功成して名を上げ、その名を歴史に残すことができるだろう。

第3は、最近の米国訪問が小泉氏を有頂天にさせたことだ。米国の世論は東京裁判に対する日本の一部政治家の言論姿勢に不満を示しており、小泉氏の靖国参拝についても批判してはいるものの、ブッシュ氏はリアリストであり、歴史の是非と道義的問題を米国の国益より優先することはなく、ましてや小泉氏が参拝し続けることで、日中関係が破壊されることは、根本的に言えば米国の国益に合致するのだ。まさに米国の学者が言うように、緊張した中日関係は米国のアジア戦略の「政治的基礎」であり、だからこそ、米国のある大物が小泉氏に対し「中国が反対すればするほど、参拝に行くべきだ」と檄を飛ばしたのである。

小泉氏を相手としない

最近の日本政界の要人への対応を見れば、1972年の中日国交回復前の佐藤栄作首相がそうであったのと同じように、中国がすでに明らかに小泉氏を相手にしなくなっているのがわかる。従って、「小泉氏を相手にしない」ことを、「8.15の大きな対決」に対処する基本方針とすべきだろう。小泉氏は戦略的頭脳を有する政治家ではなく、率直に言えば、思想性が欠落した、レベルの低い政治の遊び人に過ぎないからだ。

国内には小泉氏を過大評価し、日本はすでに「吉田路線」から「小泉路線」へと転換したと言う人もいる。このような結論を下すのは時期尚早だろうか。保守政治家の中で、小泉氏は戦略面で中曽根康弘氏に及ばず、政治面で田中角栄氏とは比べものにならず、思想面ではなおのこと石橋湛山氏の足元にも及ばない。

中国は外交では保守派、右派との交流を拒絶したことはない。だが、事理をわきまえぬ政治の遊び人と事の是非を論じるのは何と難しいことか。