2006 No.33
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敦煌で漢字で書かれた前漢の麻の紙を発見

このほど、敦煌の文物主管部門は初めて、敦煌で漢字で書かれた前漢の麻の紙を発見した、という重要な考古学上の発見を公表した。これらの紙は後漢の「蔡侯紙」より100年以上も早く製造されたと見られている。

数年前、地元の文物主管部門が玉門関の補修工事の際、小方盤城の南側の廃墟で、前漢の麻の紙と見られるものを発見した。その中には、漢字で書かれた約10平方センチの黄褐色の麻の紙の残片があった。紙の残片の文字はきちんとした隷書であり、「陵叩頭--言-君夫人御者足下也-不審至不陵不?従者景君恵達恩」(-は識別不可能の字を表す)と、20字余りがはっきりと見て取ることができた。これらの文字は手紙の一部である可能性が大きいと、専門家は推測している。比較を通じて、麻の紙の筆跡は漢代の簡にある筆跡とほぼ同じであることも分かった。紀年のある前漢の簡をもとに判断すれば、漢字で書かれたこの麻の紙は、漢の成帝劉?の綏和二年(紀元前8年)のものではないかと見られている。そうすると、後漢の和帝劉肇の元興元年(西暦105年)に、蔡倫が製造し、朝廷に報告した「蔡侯紙」より113年も早いことになる。

敦煌は、わが国古代の軍事要塞のあったところで、東洋と西洋の文化の交流が絶えず行われたところでもあった。20年前、敦煌の馬圈湾烽燧(のろし台)の遺跡で、残存面積の大きな、よく保存された前漢の麻の紙が発見されたことがある。同時に出土した紀年簡により、その中の早い時期の麻の紙は漢の宣帝の頃のものと見られ、後漢の「蔡侯紙」よりは170年も早い時期のものである。

今回、漢字で書かれた前漢の麻の紙の発見は、前漢の頃に、すでに麻の紙が製造されていたばかりでなく、字を書くためにも用いられたことを物語っている。