2006 No.33
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区外にチベットの真の姿を

――チベット自治区政府新聞弁公室の劉萱主任に聞く。

馮建華

7月1日、青海・チベット鉄道が開通したことで、鉄道のなかったチベットの歴史は幕を閉じた。汽車はチベットに好奇心溢れる数多くの観光客をもたらすだけでなく、鉄道の開通は情報や意識を伝えるルートの拡大にもつながり、チベットは情報から隔絶された状態からさらに抜け出すことができる。この意味から言えば、情報と社会の環境の変化にいかに対応するかが、チベット自治区政府が直面する課題となる。自治区政府は今後、この問題をいかに捉え、どの様に対応するのか。本誌記者はこのほど、チベット自治区政府新聞弁公室で情報・社会問題を主管する劉萱主任にインタビューした。

記者 地理的に特殊な位置にあるため、情報の隔絶がチベットの発展を妨げる要因だった。この数年の情報と社会の発展、変化をどのように評価するか。

劉主任 自治区の面積は122万平方キロで、平均海抜は4000メートルを超える。中国で未発達の地域でもあり、交通も極めて不便だ。郷(最基層の政府)と県(郷より1級上の政府)との間は長くて1000キロ、短くとも100〜200キロ離れている。情報の隔絶や意識の遅れが、発展を妨げる1つの要因となっていた。過去、内地から手紙が届くのに半月もかかっていたが、今では交通はかなり便利になり、ラジオやテレビも各村に通じている。この20年の間に人々の意識や考え方も大きく変わった。一部の都市は内地に近い発展を遂げており、多くの農牧民が外の世界に目を向けるようになった。

2004年までは、中国は記者会見制度を広く普及させることをしなかった。当時、人々は政府の仕事に一種、神秘感のようなものを感じていた。不透明で公開されていなかったために、政府の多くの重要な政策決定を理解できず、とくに市民が関心を寄せる問題はその都度、政府から確証が得られることがなかったことから、マイナスの情報が社会に広まりやすかった。長年にわたり、情報がスムーズに伝わることはなかった。そのために、チベットは誤解されたり、歪曲されたりすることが多かったし、政府の仕事が受け身になったこともある。当然、政府自身にも、例えば、考え方が保守的であったり、仕事の方法が簡単であったり、いろいろ問題があった。

この数年、自治区政府は一貫して情報の公開に尽力してきたし、かなり進展したと言っていいだろう。2004年から現在までに、記者会見を51回開いており、去年だけでも30回。月に平均少なくとも2回は開く。会見には十数のメディアから20人ほどが出席している。

記者 これまでで最も印象に残る記者会見は。

劉主任 2005年6月に、西部のシガチェのゾンバ村でペストが突発した時だ。その月の25日午後、記者会見を開いた。当時、私は郊外にいたが、電話で報告を受け、すぐに会場に駆けつけた。準備する時間は1時間しかなく、短い時間内に会見を開くのは、チベットでは初めてのことだった。市民の生命の安全に直接かかわるこうした突発事件は、しっかり把握できなければ、人を不安にさせ、ひいては社会の安定に悪影響を及ぼす。そのため、会場に着いた時には、すでに記者たちが長い時間待っていて、緊張した雰囲気に包まれていた。主宰者として、私は事実に基づいて記者の質問に答えた。例えば、感染死亡者の数など、とくに敏感で猜疑の目で見られる問題であっても、私は決して曖昧に答えることはしなかった。会見終了後、中央テレビ局など有力メディアが、会見内容に基づき間髪をいれず報道してくれたので、外部の世界が真相を理解する手助けとなった。

記者 チベットの政府記者会見で、まだ不足していると思うところは。

劉主任 制度の整備が遅かったために、スポークスマンの能力や資質をさらに向上させる必要がある。問題に素早く対応する態勢を健全化する必要もあり、記者会見での柔軟性のある問題提起も十分とは言えない。とくに突発的な事件では、政府がいち早く声を上げなければならないが、この点も十分ではない。

記者 今後は、どのようにして記者会見を推進していくのか。

劉主任 青海・チベット鉄道が開通したことから、チベットの経済社会の発展はさらに世界の関心を集めるだろう。我々に対しても行政の公開の声が一段と高まるだろう。ある面で、チベットは未発達の地域であり、人々の考え方も遅れているために、鉄道が開通して、新たな意識が押し寄せるのは必然であり、チベットの各指導者もさらなる意識の増強、開放が求められる。

また、内地との関係が一段と緊密になり、内外に対してさらに開放されることから、チベットの政治や経済、社会など様々な面での情報に対する区外の関心はますます強まっている。過去、チベットは主に伝統的なメディアを通して、この面での一部の要求に応えてきたが、現在のネットワーク情報化社会では、ネットメディアで情報を得る人が多い。チベットはネットワークの整備が遅れており、内地に比べると、専業化された情報サイトは非常に少なく、時代の要請に根本的に応えられないのが実情だ。政府による情報伝達に不確定要素が多いのも、それが原因だ。

一部の地区では、これまでは伝統的で主流となるメディアが形成していた世論の場が、商業化されたメディアやネットメディアが形成する世論の場によって縁へと追いやられており、政府による世論の形成が衰退しつつあるのは否定できない。市民にとって切実な問題である利益と、政府のイメージにかかわる突発的な社会的事件では、政府の声が極めて重要であり、多くの場合、政府がいち早く権威ある情報を発せられるかどうかが、事態の成否を決定するカギとなる要素となる。政府が一刻も早く勇断を下すには先ず、地方政府の官僚がより柔軟に考えることが必要であり、メディアを透明化させる時代に我々はいるのだ、ということを明確に認識することが肝要だ。今という時代、どんな片隅で起きた出来事でも、メディアの追求と報道から逃れることはできない。いかなる“秘密”であれ、暴露されることになるのだ。

記者 チベットの記者会見制度の主要な推進者の一人として、具体的な仕事の中でどんな体験をし、どんな思いを感じたか。

劉主任 私が今の職場に着任したのは、2004年7月だ。初めてチベットの記者会見を主宰したのは、統計作業の状況に関するものだった。当時はやや緊張していた。1つは、発表する内容に確信がなく、この方面の仕事を理解していなかったからだ。もう1つは、ニュースメディアに対して自信が持てず、彼らがどんな質問をするのか分からなかったからだ。ただ、国務院の会見のように争って質問する場面は全くなかったし、その場の雰囲気はよく把握できた。

後に仕事をしていくうちに、より多くのスポークスマンを「ニュース執政」に適応させるにはどうしたらいいか、を考えるようになり、いろいろな政府の会議の席で、突発的な事件のニュース報道を重視し、健全な報道体制を確立するよう訴えてきた。その一方で、新聞記者に対しては様々な場で、単に「受話器」あるいは「メガホン」的な役割を担うだけでなく、積極的に考えるようにして、大胆な質問をし、記者会見というこの窓口を十分活用して、区外にチベットの真の姿を紹介するよう求めてきた。これらは言わば、相互の連動性を促進するというものであり、後に状況はかなり変わってきた。

私自身について言えば、記者会見を主宰するに当たっては、官僚的な言葉遣いや決まり文句はできるだけ少なくすると共に、情報量や人間性のあるものを多くすることで、メディアとの距離を縮めるよう努めてきた。一方で、会見を行う手続きをできるだけ簡素化し、各部門に対しては、会見を通して外部の世界と意思の疎通を図るよう奨励してきた。会見を開きたいと思えば、我々は必ず後押しするようにしている。

チベットにいる間、スポークスマンとしての仕事を積極的に推進することができて、私は幸運だと思っている。だが、その反面、責任の重大さも感じている。意識が原因で、また一部の指導者や部門が十分重視していないために、私は、今の記者会見は相互連動性、活発さ、内容の充実さでいずれも理想的ではないと感じている。時には、テレビに囲まれている記者たちが、スポークスマンに意表を突くような質問を浴びせるよう、またスポークスマンもすらすらと記者の質問に応対し、もうすこしユーモアとギャクがあれば、と願ったりもするが、こうした光景は非常に少ない。これまで主宰した会見は44回を数えるが、満足した時も、不満足の時もあるが、総じて言えば、満足していると言っていいだろう。何故なら、会見はまだ発展の過程にあるからだ。もちろん、制度上の問題、考え方の問題、見方の問題など、改めるべきところは数多くある。ただ日々、世界に目を向けていく中で、チベットはその発展する姿や、様々な面での新たな状況や、これまでになかった自信を示しながら、これまで以上に積極的に、主体的に、世界の関心の目を迎え入れていくべきだと考えている。