2006 No.34
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新たに2カ所が世界遺産に

安子

7月12日と13日の両日、リトアニアの首都ビィリニュスで開かれた第30回世界遺産大会で、四川省のパンダ生息地と河南省安陽市の殷墟がそれぞれ世界遺産として登録されることが決まった。これで中国の世界遺産は33カ所に達し、スペインとイタリアに次いで第3位となる。

四川省のパンダ生息地

ジャイアントパンダは絶滅に瀕する動物として世界的に関心を集めており、中国だけに生息する「生きた化石」と言われる。

今回パンダの生息地として登録が決まったのは、山系に属する「臥竜・四姑娘山・夾金山脈」一帯。成都や阿、雅安、甘孜など4市・自治州と12県が点在し、大渡河と岷江の間に位置する。面積は9245平方キロ。南北の長さは180キロ、東西の幅は約40〜70キロ。景勝地は9カ所、自然保護区は8カ所を数える。コンサベーション・インターナショナル(CI)から世界25の生物多様性重要地点に選ばれたほか、国連環境計画(UNCP)からも世界200の生態環境地帯の1つに指定された。

臥竜自然保護区

現在、臥竜自然保護区に生息する野生パンダは約150頭で、全国の10%を占める。今年4月に人工飼育されていた「祥祥」が世界で初めて自然界に放たれ、その後、保護区の海抜2300〜2800メートル地点で仲間といるところが観察された。臥竜保護区では今年もさらに人工交尾と飼育を行って、自然界に回帰させることにしており、野生パンダの数は増えていくと期待されている。

建設・保護作業を継続

四川省はパンダ生息地の保護に力を入れ、パンダと生息地の保護、全国野生動植物保護や自然保護区建設プロジェクトなどを相次いで実施してきた。これによりパンダ生息地の面積は3割拡大し、自然保護区が37カ所設立されたことで、パンダは有効に保護されるようになった。80年代から現在までに野生パンダの数は300頭増加。中国政府はパンダ生息地の保護範囲を徐々に拡大するとともに、パンダの生態環境を整備することで、破壊され孤島化した生息地の現状を改め、野生パンダの遺伝子交流と繁殖に向けた環境を整えていく方針だ。

パンダ生息地の世界遺産への申請が認められた後の7月12日、四川省の王懐臣副省長は「申請の成功はパンダが世界的範囲で保護されることを示すものだ。中国政府と四川省政府は全力をあげてパンダ保護の強化に取り組み、生息と繁殖にとって良好な生態環境を整備していく。パンダは国の法律と国際法により二重の保護を受けることになる」と強調した。

絶滅の危機に瀕する種

国家林業局の趙学敏副局長は一文の中で「絶滅に極度に瀕している種の人工繁殖に成功し、さらに飼育した後に自然界に戻す。これは生態保護が新たな段階に入ったことを示すものである。中国のパンダはそのモデルとなるものだ」と指摘。

パンダは現存する最も古い動物種の1つ。世界の生物多様性と野生動物保護の中で代表的な種である。中国の国宝、そして世界の貴重な遺産でもある。しかし、ここ数十年来の人口の急増から、野生動物種とその生息地は、人類の活動と経済発展に伴う深刻な影響を受けて著しく破壊されてきた。過去、パンダは多くの地区に生息していたが、20世紀に入って分布面積は急減し、今では四川と陝西、甘粛3省の6大山系の一部でしか見られない。

中国は60年代からパンダの人工繁殖試験を開始。現在、パンダ繁殖飼育センターと基地が全国4カ所に設立されている。パンダはなかなか発情しない、なかなか妊娠しない、なかなか成育しない種と言われていたが、研究者によってこうした問題が解決されたことから、人工飼育は安定して進められており、パンダ自身が自立し、子を増やすことができるようになった。現在、人工飼育されているパンダは183頭いるが、90頭以上が人工繁殖だ。

趙副局長はさらに「絶滅に瀕する動物を長期的に生存させるには、根本的に言えば、生存に適した生息環境に依存するほかない。長年努力を重ねてきた結果、四川と陝西、甘粛3省の55カ所にパンダ自然保護区が建設された。50%以上のパンダ生息地と、70%以上の野生パンダが保護区内で効果的な保護管理の下にある」と説明する。

河南省安陽の殷墟

第30回世界遺産大会は河南省安陽の殷墟をこのように評価している。「エジプトやバビロン、インドに匹敵する遺跡である。甲骨文や青銅器、玉器、暦法、葬祭制度、それに関連する理念と習俗、帝王陵、古城の遺跡、建築などで世に知られており、中国考古学の揺籃の地である。その文化的影響は広範かつ深遠である。真実性と完ぺき性に優れ、世界で突出した普遍的価値を有しており、管理と公開方法も理想的である」

殷墟は面積24平方キロ。中国中部の河南省安陽市西北部の小屯村に位置し、3300年余りの歴史がある。殷墟は商代晩期の都の遺跡として内外に知られており、中国史で文献から考察できるとともに、甲骨文と考古学的発掘で実証された最古の都の遺跡だ。史書の記載によれば、紀元前1300年、歴代20番目の国王である盤庚が山東省の「奄」(今の曲阜)から「殷」(今の小屯村)に遷都した。都として8代12王、合わせて254年の歴史があり、殷商王朝の政治や文化、経済の中心だった。紀元前1046年に最後の王である紂が周の武王に滅ぼされると、次第に荒れ果てて廃墟と化したことから、歴史的に「殷墟」と呼ばれるようになった。

統計によると、殷墟の考古学的発掘が始まった1928年以来、甲骨15万枚、玉器2600点、青銅器6000点のほか、石器や骨器、竹木器、漆器、皮革製品、織物などが数十万点出土している。

高い文化的価値

国家文物局の童明康副局長は「殷墟が世界遺産になったことで、文物を保護し、公開するために中国が払ってきた努力が世界的に認められることになった。同時に、その他の文化財の保護や公開に当たってモデルになるものだ」と強調。

童副局長はさらに「殷墟は重要な考古学遺跡として、中国史への影響が今に至るまで続いている。殷商時代の文字はかなり成熟したものであり、確立された都の制度や、儀礼や葬祭制度などは数千年にわたって後世に直接的な影響を与えてきた」と指摘する。

世界最古の文字・甲骨文

1899年に出土した甲骨文は中国最古の系統化された文字であり、世界の4大古代文字の1つ。すでに古代エジプトの象形文字とバビロンの楔形文字、インディオのマヤ文字はいずれも伝承されていないが、殷墟の甲骨文だけは、それに由来する漢字が数千年におよぶ変遷を経て今なお使用されている。

甲骨文の文字は合わせて約4000あり、うち識別できるのは1700余り。

中国社会科学院考古研究所の徐広徳研究員は「甲骨文は文明の符号、文化の記号であるだけではない。『史記』など一連の文献の信憑性が証明されたことで、これまで記載されていた中華文明史は500年遡ることになった」と説明する。

世界最大の青銅器・司母戊鼎

1978年に出土した司母戊鼎は、高さ133センチ、重さ875キロ。世界最大級の青銅器だ。現在、北京の中国国家博物館に収蔵されている。損害保険金額は1億5000万元(1元は約14.5円)。

司母戊鼎は重厚かつ壮大であり、腹部に「司母戊」の3文字が刻されている。考証によると、商王の祖庚か祖甲が母を祭るために鋳造したという。王室の祭礼用の器物だ。造形や装飾文様、技巧はきわめて高い水準にあり、商代の青銅器鋳造業の生産規模と技術の高さを如実に物語っている。大量に出土した青銅製の祭器や容器、兵器、工具は、設計や合金の配分率、装飾文様技巧、製錬規模などでも空前絶後の水準にあると言えるだろう。なかでも錫と鉛の含有量が現在の配合比率に近いことに、冶金専門家は感嘆の声を上げたという。

3000年前の最大の都市

殷墟では50カ所で大規模な宮殿、寺院や廟の遺跡が見つかった。宮殿区や帝王陵区、製錬基地、作業場などに区分され、道路が縦横に交錯するなど、秩序だった都市計画に基づいて造られたことが、数十基発見された壮大な車馬坑から検証された。さらに突出しているのは、水路を設けて区画を整理していたことだ。専門家は、当時の人口は30万を超えていたと推測している。

科学技術の発展に貢献

殷墟で出土した文物が示しているように、科学技術は多くの分野で先進的な水準に達していた。

暦法では、甲骨文の記載を見ると、住民は日食や月食、星回りを正確に記録することができた。陰暦と陽歴を併用して、1年を12カ月に分け、閏月を加える方法も採用。こうした方法は今でも中国の農歴(旧暦)に用いられている。

数学では、一、十、百、千、万といった数字の概念があり、十進法を採用した。

医学では、晩期に十数種の疾病が確認されるとともに、薬や針灸、マッサージによる治療を行い、医療技術は比較的高い水準にあった。

発掘によって、手工業がかなり発達していたことも分かった。青銅器の鋳造、玉器や陶器、骨器の作製や紡織はかなりの生産規模を誇り、この時代の白磁や原始的な磁器の制作は中国の陶磁器史上で重要な地位を占める。

流失した文化財を回収

殷墟が20世紀初めに発見されて以降、外国の宣教師や探検家は住民から低価格で大量の文物を購入し、自国に持ち帰った。さらに外国からの度重なる侵略戦争によって、少なく見積もっても5万点余りの文物が海外に流出したと言われる。

現在、殷墟の文物を大量に所有しているのは日本、カナダ、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、ロシア、スウェーデンなど。海外80の博物館、基金が文物を収蔵している。中国は関連する国際条約に加盟したことから、今後は法律に基づいて流失した文物を回収する方針だ。

◆参考資料

中国の世界遺産

「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」(世界遺産条約)はユネスコが1972年に採択。1975年の発効以来、182の国・地域が締約国となった。これまでに137の国・地域の812カ所が「世界遺産リスト」に登録されている。うち文化遺産は628カ所、自然遺産は160カ所、文化・自然遺産(複合遺産)は24カ所。

中国は1985年12月12日に世界遺産条約の締約国となり、1999年10月29日に世界遺産委員会の委員国に選出された。ユネスコに世界遺産登録の申請を始めたのは1986年から。1987年12月から今年7月現在までに、33カ所が文化遺産と自然遺産、複合遺産に登録された。

登録遺産は以下の通り。

遺産の名称

登録日
遺産の種類
万里の長城 1987月12日 文化遺産(※1)
明清時代の皇宮(北京故宮博物院) 1987月12日 文化遺産
陝西省の秦始皇帝陵・兵馬俑 1987月12日 文化遺産
甘粛省敦煌の莫高窟 1987月12日 文化遺産
周口店の北京原人遺跡 1987月12日 文化遺産
山東省の泰山 1987月12日 複合遺産
安徽省の黄山 1990年12月 複合遺産
湖南省の武陵源 1992年12月 自然遺産
四川省の九寨溝 1992年12月 自然遺産
四川省の黄竜 1992年12月 自然遺産
チベット・ラサのポタラ宮 1994年12月 文化遺産(※2・3)
河北省承徳の避暑山荘・寺院・廟 1994年12月 文化遺産
山東省曲阜の孔子廟・孔林・孔府 1994年12月 文化遺産
湖北省武当山の古建築 1994年12月 文化遺産
江西省の廬山 1996年12月 文化遺産
四川省の峨眉山・楽山大仏 1996年12月 複合遺産
雲南省麗江の古城 1997年12月 文化遺産
山西省平遥の古城 1997年12月 文化遺産
蘇州の古典園林 1997年12月 文化遺産(※4)
北京の頤和園 1998年11月 文化遺産
北京の天壇 1998年11月 文化遺産
重慶の大足石刻 1999年12月 文化遺産
福建省の武夷山 1999年12月 複合遺産
四川省の青城山・都江堰 2000年11月 文化遺産
河南省洛陽の竜門石窟 2000年11月 文化遺産
明清時代の皇室陵墓 2000年11月 文化遺産(※5・6・7・8)
安徽省の古代村落−西逓村・宏村 2000年11月 文化遺産
山西省大同の雲崗石窟 2001年12月 文化遺産
雲南省の三大河川の並流 2003年7月 自然遺産
高句麗王城・王陵墓・貴族墓 2004年7月 文化遺産
澳門の歴史市街地 2005年7月 文化遺産
四川省のパンダ生息地 2006年7月 自然遺産
河南省安陽の殷墟 2006年7月 文化遺産

※1:2002年11月。遼寧省九門口にある国内唯一の水上の長城が、万里の長城の一部として登録。

※2:2000年11月。大昭寺がポタラ宮の周辺環境保護対象として登録。

※3:2001年12月。ロブリンカ(羅布林)が同じく登録。

※4:2000年11月。芸圃と藕園、滄浪亭、獅子林、退思園が蘇州の古典園林の周辺環境保護対象として登録。

※5・6:2003年7月。北京の十三陵と江蘇省南京の明孝陵が明清時代の皇室陵墓の一部として登録。

※7:2004年7月。瀋陽故宮が同じく登録。

※8:2004年7月。遼寧省の盛京三陵が同じく登録。